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ホテルに戻ると、青街さんはまっすぐエントランスを突っ切ってラウンジに向かった。
もちろん私もそれに追随する。
すると、さっき私が通ったときよりは明かりが足されていて、けれど煌々とまでは言えない雰囲気の中、ラウンジには、ソファに腰掛けたりその傍らに立っていたり、複数人の姿があった。
そのうち真っ先に私たちに気付いたのは、彼らの中心でソファに座っていた紫間さんと緑堂さんだった。
「やあ、おかえり」
「おかえりなさいませ。それで、おふたりは何かおわかりになりまして?」
紫間さんと緑堂さんは、さっき別れたときとは違う服装だったけれど、どちらもルームウェアなどではなく、そのまま街中に繰り出せるような装いだった。
ふたりの声と同時に、その他の面々からも視線が集まってくる。
「………何も」
青街さんが極限まで短く答えると、緑堂さんではなく、紫間さんの正面に座っている見知らぬ男性が「何も?」と、そっくりそのまま訊き返してきた。
おそらくこの男性が黄壱という警察関係者なのだろう。
はじめて見る顔は他にもいるけれど、彼らは身なりからしてホテルスタッフのようだから。
黄壱さん(仮)は、真夜中に緊急招集されたにもかかわらず、微塵も乱れのない完璧なスーツ姿で、ネクタイも隙なく締められ、一本の規律違反さえも許さないように髪も整えられていた。
ぴんと背筋が伸び、しっかりした体格というわけでもないのになぜか圧を感じさせるその印象は、例えるなら、学園もののドラマや漫画なんかに時々登場する、表で目立つことはせずに陰で学校を操る生徒会の副会長………みたいなキャラクターを連想させた。
やけに具体的で、我ながらこの表現はぴったりだなと、ひとりで納得している間にも、青街さんは「……何も」と、まったく同じ回答を繰り返した。
さっきまでとは打って変わり、口数も表情も落とした青街さんだけど、黄壱さん(仮)の方もまったく表情を動かさず、近くに立っていた青街さんのお母様に顔を向けた。
「青街オーナー。あなたのご子息は相変わらず警戒心が強いようですね」
聞きようによっては非難めいて感じるセリフにも、青街オーナーは動じない。
「お褒めにあずかり光栄です」
オーナーの器の大きさを見せつけられた形だが、黄壱さん(仮)の方も特に深い意味はなかったようで、表情を変えないままスッと視線を戻した。
その流れで私と目が合い、そしてその瞬間を見計らったのか、紫間さんがおもむろに私を呼んだのだ。
「紅守さん。こちら、警察庁の黄壱 隼さん。魔法関連を担当なさってる方だよ。警察の中でも偉い人だから、仲良くして損はないと思うよ?」
冗談まじりの紹介は、ふたりの近い関係性も匂わせてくる。
私の推測通り、この人が黄壱さんだったわけだけど、警察庁の中でも偉い人、ということは、それなりに年齢を重ねているはずなのに、そんな風には見えなかった。
私の中で警察組織というと、それこそドラマなんかに出てくる偉い人は年配の男の人のイメージで、それと比べると黄壱さんはとても若い方に見えたからだ。
ただ、やはり黄壱さんから感じる圧は気のせいじゃなかったんだなと、腑に落ちた。
「……はじめまして」
「はじめまして。黄壱 隼です。偉いかどうかのご判断はお任せしますが……」
黄壱さんはソファから立ち上がるとそう前置きして、私に名刺を差し出した。
縦型の名刺には、【 警察庁 黄壱 隼 】とのみ記されていた。
それはあまりにシンプルで、”偉い人” という情報と答え合わせができなくて、私は両手で受け取りながらも、応じる言葉に迷ってしまった。
つい数週間前まで学生だったこともあり、ちゃんとした名刺交換をしたことはないけれど、一般的には、名刺には名前だけでなく、その人物の役職が併記されているはずだ。
”偉い人” になればなおさら。
なのにこの名刺では、いわゆる黄壱さんの ”偉さ” に関する情報が一切明かされていないのだ。
…………もしかしたら、MMMコンサルティングのカードみたいに魔法が仕込まれてたりするんじゃ………
私はいただいた名刺をじっと見つめた。
けれど、何も変化は起こらない。
すると黄壱さんの方から「私の名刺には魔法はかかっていませんよ。残念ながら」と告げられてしまった。
穏やかな苦笑が添えられているところを見ると、私と同じような微妙な反応をしょっちゅうされているのかもしれない。
とたんに恥ずかしくなって、私は「すみません……」と顔を伏せた。
「いえ、お気になさらず。私はヒマ人ですので」
黄壱さんがソファに座り直しながら言う。
「……暇人、ですか………?」
今の会話の流れとどう繋がるのか意味がわからず、素直に問い返すと、青街さんが「ハァ…」と息をこぼし、黄壱さんの隣ひとつ空けたソファに腰をおろした。
青街さんの態度から察するに、どうやら ”暇人” というのは何らかの隠語のようなものらしい。
それを聞いていた緑堂さんも、どことなく、表情に困惑色が滲んでいる。
だからそれが、額面通り ”暇な人” を指しているのではないとは理解できるものの、それ以上はさっぱりお手上げだ。
けれど、私がその意味を尋ねるよりも先に、紫間さんがヒントをくれることとなった。
「黄壱くんだって相変わらずだね。そんな差別用語を使ってまで自分を自虐するなんてさ」
「差別用語!?」
意外なあまり声をあげてしまったけれど、まだ夜の深い時間帯だったことを思い出し、慌てて両手で口を押えた。
すると紫間さんはクスクス笑って私を見上げてきて。
「ああ、大丈夫だよ?このラウンジでの音声はラウンジ外には漏れないようにしてあるから」
どうやって?という疑問は浮かべるまでもない。
けれど、いったい今の何が差別用語に該当するのか……という疑問は残しながら、私はおずおずと手を離した。
そんな私に親切に説明をくれたのは、ベレー帽を脱ぎ、さっきとは違うワンピースに着替えている緑堂さんだった。
「”非魔法使い” から ”非” と ”魔” を取って ”非魔人”……”ヒマ人” と、敢えて見下すようなニュアンスで仰る方がいらっしゃいますのよ。品性の欠片も持ち合わせていらっしゃらない、心根が卑しく、さもしい方々ですわ。わたくし、その言葉を聞くたびに、同じ魔法の世界にいるのが不快でたまらなくなってしまいますのよ?ですが、非魔法使いの方がご自身でそう仰ってるところをお見かけするのははじめてのことで、率直に申し上げて、少々戸惑っておりますの」
その言葉通り、緑堂さんは目をぱちくりさせて戸惑いを顔いっぱいに描きながら、私と黄壱さんを交互に見つめていた。




