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ビクリとして、そのまま全身が氷漬けになったように固まってしまった私に、低く低く、威圧のある小声が鼓膜を脅してきた。
「こんな時間に、どこに行くんだ?」
その声で、振り向かなくても誰に捕まったのか理解した。
見知らぬ人物ではなかったことに、多少は氷が少し溶ける感覚がして、ゆっくりと、まず肩から振り向いていった。
「青街さん………」
数時間前、部屋の前の廊下で別れたときとは違い、楽な服装に着替え、髪もラフにダウンさせた青街さんが、長身の体を少しだけ私側に屈め、厳しい双眸で捕らえていたのだ。
そのあまりの鋭さに、私は氷を溶かしながらも、率直に怖いと感じてしまった。
「まさか、外に出るつもりだったのか?」
青街さんの視線が、前方のホテル正面扉をかすめる。
ダークブラウンの、上部がガラス窓になっている木製の両開き扉だ。
客室の窓と同じく古い歴史を感じさせる。
私はその扉に完全に背を向けるかたちに立っていた。
「あの……」
私はさっきの声のことを青街さんにも知らせようか、逡巡した。
このホテルがご実家の青街さんなら近辺の地理にも詳しいはずで、声の主の捜索にぜひ協力を求めたい相手だけど………なんだか事情を説明しても、また厳しい言葉をかけられそうな気がしたのだ。
ところが、青街さんからは厳しいだけでなく、思ってもなかった事実が告げられたのである。
「ここは魔法使いの巣窟なんだぞ。その出入口に魔法が仕掛けられているとは考えなかったのか?」
「―――っ!」
…………その考えは、完全に抜け落ちてた。
でも確かにこのホテルは魔法使いのホテルで、私だってずっとその認識はあったはずなのに、どうして簡単に外に出られるなんて決めつけてしまったんだろう………
私は不安になったのか、それともさらに恐怖を感じたのか、自分の両腕を抱きしめていた。
ここは青街さんのご実家で、だから青街さんも当然扉に魔法がかけられている
ことは知っていて、だからこそ、今、何も知らない私にこんな厳しい眼差しを向けているのだ。
「すみませんでした………止めてくれて、ありがとうございます………」
いったいこの扉にどんな魔法がかけられていたのかはまったく予想もつかないけれど、青街さんの様子からして、それがどのようなかたちであっても私にとってはネガティブなものだということは想像できる。
そして、そのせいでホテル側に迷惑をかけてしまいそうなことも。
だけど、あの声は無視できない。聞かなかったことにはできないのだ。
例え質の悪いいたずらだったとしても、例え私がそれを確かめる立場になかったとしても、せめて、誰かしかるべき人に知らせておくべきだ。
ひょっと万が一、ということもあるのだから。
私は逡巡を払い捨てた。
「………あの、実はさっきの地震のあと…」
地震のあと、外から助けを求める声が聞こえてきたんです。
そう伝えようとしたのに、青街さんに途中で止められてしまったのだった。
「地震?あんたも感じたのか?」
大きく表情が変わったわけではないけれど、顔色は、それまでと完全に変わった。
青街さんがこうまでなるのだから、私が地震の話をしたことに相当驚いてるのだと感じた。
でも私は青街さんの顔色の変化よりも、やっぱり地震は夢じゃなかったんだという安堵感の方が先行していた。
「やっぱり地震ありましたよね?結構大きめでしたよね?」
部屋にはテレビもないしスマホもつながらず、震度や震源も調べようがないけれど、このホテルが実家だという青街さんなら何か情報を得ているかもしれない。
そんな思いから声が跳ねてしまった私だったけれど、青街さんの反応は渋いものだった。
「………そうか、あれに気付いたのか………」
「え………?」
…………あれって、地震のことよね?
青街さんの言い方に違和感を覚えつつも、「はい…」と頷いた。
すると青街さんは合点がいったという風情でハッと短く息つき、スッと歩き出したのだ。
「あ、あの……?」
何も言わず、ただ訳知り顔で私の横を通り過ぎた青街さんは、魔法がかかっている正面扉の前に立って、顔だけを私に振り向かせた。
「大きめの地震があったから、あんたは外に避難しようとした、そうだな?」
その顔には、もう無表情の仮面が戻っていた。
厳密には、私が外に出ようとした直接の動機はあのSOSであって地震ではないけれど、元を辿れば地震の影響と言えなくもない。
私は「そうなんですけど……」と一旦は肯定し、あの声のことを伝えようとしたのだが……
「その扉、魔法がかけられてるんじゃないんですか?」
扉の取っ手を握ろうとしている青街さんに、つい口早に投げかけていた。
言外に、”さっき自分が言ってたことなのに、いいんですか?” というニュアンスを滲ませて。
ところが、青街さんは私の問いかけを一切無視し、そして一切の躊躇を見せず、取っ手に触れて扉を押し開けたのだ。
「―――っ!」
どんな魔法がかけられているのか知りもしないのに、私は反射的に身構えていた。
―――――――が、何も起こらない。
風も吹かないし、光も放たれない。
さっきの ”転移の扉” のような何かの気配も感じないし、違和感も皆無で、本当に、ただただ、青街さんが扉を開いた、それだけだった。
ギギギギギ………ッという音は、分厚い扉が、一日の役目を終え真夜中に就寝中だったところを無理やり起こされたとクレームを訴えてる音にも聞こえてきて。
つまり本当に、それはただ趣のあるアンティークの重厚な扉に過ぎなかったのだ。
「…………魔法………かかってなかったんですか?」
私は顔の前でクロスさせていた腕を戻しながら、恐る恐る訊いた。
まだ心臓はバクバク鳴っている。
青街さんが体で押さえ、開いたままの扉からは、春とはいえ森の中の冷えた空気が流れ込んでいた。
「かかってるに決まってるだろ。あんたに嘘教えてどうするんだ」
「でも……」
「魔法といっても、出入りを記録して怪しい人物には通過させない、セキュリティみたいなものだからな。ほとんどの場合は影響を受けることはない」
「そう……なんですか?」
だったら、なぜ青街さんは私が扉に触れるのを強く止めたのだろう?
だがその疑問は、すぐに解けることとなる。
「ああ。いつもならな。ただし、イレギュラーが起こった直後となれば、話は別だ。真夜中に異常があってその直後にホテルから出ていこうとするなんて、魔法がなくても怪しまれて当然だろ?」
「異常って………地震ですよ?イレギュラーかもしれませんけど、自然現象じゃないですか」
けれど青街さんはそれには答えず、無表情のまま、片手の仕草で私に扉を通るように指示してきた。
促されるままに、私は背中で扉を押さえている青街さんの前を通ってホテルの外に出る。
しんと、森の夜が目の前に広がっていた。
すぐに青街さんも外に出てきて、魔法のかかった正面扉はギギギギッと、やれやれ……とでも言ってるように鳴って、また閉じた。
そして、青街さんが低く告げた。
「あれは、地震じゃない」
遅くなりましたが、誤字報告いただきありがとうございました。




