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そこまで遠くなくとも、至近距離というわけでもなく、 扉の向こうから姿を見せたシルエットが誰のものなのかまではわからない。
おそらく女性……せいぜいその程度の解像度だ。
けれど紫間さんと青街さんは、すぐにその人物を察したようだった。
「やあ、オーナー自らが様子を見に来てくれたようだね。きみのお母様が面倒見が良くてとても親切でいらっしゃるのは相変わらずのようだ」
ホテルオーナーの鑑だね。
紫間さんが旧知の仲であるように青街さんのお母様を褒めると、息子である青街さんは「世話好きなだけです」と、いかにも親子らしいコメントで応じた。
身内への褒め言葉に謙遜で応じるのはよくある光景で、だいたいは微笑ましい家族関係を垣間見られるのだけど、今の青街さんにその片鱗はなかった。
それどころか、ホテルからこちらに近付いてくる母親に対し、冷ややかな眼差しを向けている。
おそらく、大事な話の途中で折られたことへの苛立ちによるものだろう。
青街さんの表情があまり動かず、感情も読み取りにくいとはいえ、やはりそれがまったくないわけじゃないのだ。
その証拠に、青街さんは紫間さんに低く問い詰めた。
不服そうに、不機嫌そうに。
「やっぱり何かを誤魔化したいんじゃないですか?」
紫間さんは「まさか」と、今度はあしらうように笑った。
「あまり入社前の新人に楽しく吹聴する話ではないけれどね、別に門外不出のトップシークレットでもないよ。例え今ここで僕が話さなくても、今後きみたちが ”相手の考えを読む魔法” を身に付けたなら、すぐにでも知ることになるだろうしね。ただ………」
ちらりと、青街さんのお母様を見やった紫間さん。
「MMMとは関係のない人の耳に入って、よけいな心配をかけたくはないんだよ。世話好きな人の中には心配性な人が多いらしいからね。きみのお母様はどうかな?」
そう言いながら、紫間さんは視線を青街さんに移した。
青街さんは深めの呼吸をしたのち、
「…………必ず後で教えてもらいます」
低く低く、宣言した。
「OK。いいよ」
紫間さんが軽く了承したものだから、途中から二人に話題の主導権を攫われていた私は置き去りにされまいと、「私も教えてください」と訴えた。
すると紫間さん、青街さんともに私を向き、紫間さんは少し驚いたように眉を動かした。
「もちろんだよ。むしろ青街くんよりも紅守さんの方が聞く権利はあると思うよ?」
「あら、何の権利ですって?」
すぐ近くまでやって来ていた青街さんのお母様が、紫間さんのセリフに乗りかかるかたちで会話に参入してくる。
紫間さんはすぐにくるりと向きを変えた。
「これはこれは青街オーナー。ご無沙汰しております。直接お会いするのはずいぶんお久しぶりでしたよね?この度は二次試験会場にホテル ミスルトゥを使用させていただき、感謝申し上げます」
紫間さんは人当たりの良いとびきりの愛想で恭しくお辞儀をしたのだった。
「なかなかいらっしゃらないと心配しておりましたら、こんなところでおしゃべりしてらっしゃったんですね」
朗らかにそう言った女性は、女性にしては上背があり、包容力のありそうな空気感を惜しみなく周囲に振り撒いているような印象を覚えた。
外見でいうとやはり親子なだけあって青街さんと似ている。
ただ、ビジネスライクなホテルオーナーという肩書よりも、どちらかと言えば寮母さんや女将さんといった雰囲気があるところは、クールな青街さんとは違っている気もした。
私の個人的な感想だけど。
「そうなんですよ。ちょっと転移でイレギュラーが起こりましてね。ホテル側では何か感じられませんでしたか?」
「まあ、イレギュラーですって?こちらは特に異変はありませんでしたけれど………」
青街オーナーは心からの心配顔になり、頬に手を当てながら、ふと、紫間さんの後ろに控えていた息子の青街さんをちら見した。
「まさか、うちの息子が何かしでかしたんじゃありませんよね?あの子、ちょっと誤解されやすいところがあるんですよ」
誰に似たんだか。
青街オーナーはカラカラと笑ってから、
「それで、イレギュラーの方は解決なさったんですか?」
ぐいっと紫間さんの顔をのぞき込み、尋ねた。
「もちろん、MMMコンサルティングさんや紫間さん、あなたのことは信頼しておりますけどね、私にはオーナーとして、このホテル ミスルトゥにいらっしゃるお客様と従業員の安全確保の責務があるんですよ。特に今日からは二次試験受験者の魔法使いの卵さんたちがお泊りですからね。決して危険なことがあってはならないんですよ」
さっき青街さんが言っていたこととほとんど同じ内容だ。
「ええ、ええ。それは重々承知しておりますとも。イレギュラーは起こりましたが、ホテルにもお客様にも一切のご心配は無用だと断言いたしましょう。お約束いたします。ホテル側にご迷惑をおかけするようなことは絶対にございません。ただ、もし先ほどのイレギュラーを感知された方がホテルにいらっしゃいましたら、いらぬご心配をおかけしてしまうのではと危惧いたしましたものですので………。ですが、ホテルにいらっしゃった方に異変に気付かれた方はいらっしゃらなかったようですから、安心いたしました」
紫間さんの誠実そうで、実のところ誠実なのかわからない説明に、私は無意識のうちに青街さんを横目で見てしまい、青街さんも私にちらりと視線を寄越してくる。
一瞬目が合っただけで言葉は交わさなかったけれど、私たちの間に妙な連帯感めいたものが結ばれた瞬間ではあった。
「――――気をつけろ」
青街さんが、視線を前方に戻しながら私にだけ聞こえるように告げた。
「…………なんですか?」
なんとなく、私も彼に倣って、会話する紫間さんと青街オーナーを眺めながら返事した。
すると、青街さんが極力下げた音量で伝えてきたのだ。
「あまり信用しない方がいい。自称MMM社員の男も、あの男も」
「あの男………?」
「あの紫間とかいう男のことだ。それから、MMMコンサルティング自体も、信用し過ぎない方がいい」
「え………?」
それって、どういう………
続けて尋ねようとしたけれど、それは青街オーナーによってかき消されてしまうのだった。
「ところで、こちらのお嬢さんが紅守 雪さんね?まあまあ、お顔をよく見せてくださいな」




