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すぅ――――っと、温風を当てられているような、ぬるめのお湯に浸かっているような、湯たんぽを抱いているような感覚だ。
奇妙な感じだけど、全然嫌な感じじゃなくて、むしろ、幸せな感じがした。
今日はいくつかの魔法に接してきたけれど、幸福感を覚えたのははじめてだった。
そうしていると、瑠璃子さんがふっと手を戻した。
「どうじゃ?楽になったじゃろ?」
「あ………」
一瞬だけニッと唇の端を上げた瑠璃子さんに、私は反射的に鳩尾に手を当てていた。
「そこが痛かったのか?」
瑠璃子さんは目で指してくる。
私は鳩尾から手を離した。
「実は……そうなんです」
「ユキ、具合が悪いのなら俺に言えばよかったのに」
「でも、ただちょっと胃が痛いだけだし……」
「もう痛んではおらぬだろう?」
瑠璃子さんは律ちゃんの心配を凛とスルーして私に尋ねてくる。
言われてみれば………
「……確かに、軽くなってる気はします。ずっと痛かったわけじゃないので、はっきりとはわかりませんけど、なんていうか……体がほぐれた……ような……?」
「もう痛まぬはずじゃ。少なくとも今日のところはな」
くるりと私に背を向けて、ひょこひょこと歩き出した瑠璃子さん。
デスクをまわって、元居たデスクチェアにすとんと戻った。
「あの……ありがとうございます」
私は瑠璃子さんに頭を下げた。
胃の痛みがなくなったかどうかはともかく、体が軽くなってスッキリしているのは間違いない。
それに、さっきのあたたかい感覚は、とても気持ちがよかった。
「おかげで、緊張感がなくなったかもしれません。……すみません、曖昧な言い方しかできなくて」
「よい。それほどに些細な不調だったということじゃ。腹以外にはそなたに特に大きな病は見えぬ。べすとなこんでぃしょんで二次試験に励むとよい」
デスクに両肘をつき、瑠璃子さんはまたニッと口角を上げた。
瑠璃子さんにそう言われると、なんだかベストコンディション以上のベスト状態になってしまったような気もした。
気のせいかもしれないけど、日頃から律ちゃんに笑いかけられただけで不安が吹き飛んだりもする私は、”病は気から” を体現しているのかもしれない。
初対面ながらも瑠璃子さんには、それだけの説得力が見えたのだ。
「ありがとうございます。頑張ります」
私は自然と、前向きな言葉を瑠璃子さんに返していた。
「ユキ……」
律ちゃんがすぐ隣で私の名前を呼んだので顔を上げると、少しだけ驚いてるような律ちゃんと目が合う。
「なあに?律ちゃん」
すると律ちゃんは「いや…」とわずかに頭を振った。
「なんでもないよ。じゃあ、行こうか。瑠璃子さん、ありがとうございました」
瑠璃子さんに礼を告げる律ちゃんに重ねて、私ももう一度頭を下げた。
「ありがとうございました」
「うむ。気をつけてな」
「はい。失礼します」
そうして、律ちゃんに促されるままに、私は赤茶色のレンガ壁の、医務室らしくない医務室を後にしたのだった。
廊下も、医務室と同じ赤茶色のレンガ壁が続いていた。
長いけれど窓はひとつもなく、代わりに一定間隔で細かく照明が設置されており、アーチ状の天井を芸術的に照らしている。
まるでホテルや高層マンションの内廊下のようだと思ったものの、これほどに長い廊下はそうそうないだろうし、こんな立派なレンガ壁なんてあまり見かけないだろうと思い直した。
両側に点在する扉はどれも重厚感たっぷりで、ここだけ見ればどこか異国の重要な建物にいるかのような気さえしてしまう。
私は左右上下に興味の眼差しを泳がせていたけれど、さすがに社員の律ちゃんは慣れている様子だった。
「俺のオフィスは上層階にあるんだ」
律ちゃんはそう言って、私達が貸し切り状態の長い廊下を進んでいく。
その後をついていく私は、あんなにレアだった律ちゃんのスーツ姿にすっかり慣れていることに気付いた。
これまでは通勤姿くらいでしか見ることが叶わなかったのに、今日はかれこれ数時間も続けて目に焼き付けているのだから、見慣れてくるのも仕方ないだろう。
レア度は下がってしまうかもしれないけど、それで律ちゃんがかっこよさが減るわけじゃない。
私は長身の後ろ姿を憧れの想いで追った。
すると、私に振り向いた律ちゃんが歩く速度をゆるめた。
「ごめん、速かった?」
「ううん、平気。ちょっときょろきょろしちゃってただけ。ねえ、このレンガって、本物なんだよね?」
きょろきょろしてたのは嘘じゃない。
こんなに長いレンガ造りの廊下なんて、歴史的な建築物かテーマパークくらいでしか見たことがないのだから。
「そうだよ。全部本物のレンガだ。耐久性や耐水性に優れているからね。ちょっとした爆風なんかでも崩れないし」
「爆風って……」
物騒な例えに苦笑しつつ、私はひんやりとしたレンガの壁に触れた。
「なんちゃってレンガはよく見るけど、こんなに立派な本物のレンガ壁はあんまり見たことがないから、よけいにきょろきょろしちゃった」
「ああそうか、さっきは気を失っていたからな」
「律ちゃんが運んでくれたんだよね?ごめんね。ありがとう」
「ユキが謝る必要ないよ。謝るなら俺の方だ。ユキが倒れたのは、最初からちゃんと説明してなかった俺の責任なんだから」
律ちゃんの表情に影が差す。
私はほとんど条件反射で律ちゃんのスーツの袖をつまんで引っ張っていた。
「そんなことない。そんなことないよ?だってきっと、なにか事情があったんでしょ?私に言えなかった事情が」
律ちゃんは、本当に、おそろしいほどに優秀な人なのだ。
学校の成績は言うに及ばず、どんなときでも誰に対しても如才なく、優しく、私だけでなく私の両親やご近所さん、とにかく律ちゃんと接した多くの人が褒め称えるような人なのだから。
そんな律ちゃんが、理由なく私に隠しごとをするとは思えないのだ。
どうしても。
律ちゃんは曲がり角でふと足を止めた。
曲がった先は、エレベーターホールになっていたようだ。
律ちゃんは私をまっすぐ見つめてくると、落ち着いたテンポで告げた。
「それも含めて、俺のオフィスできちんと話すよ」
そのひと言が魔法の呪文だったかのように、エレベーターホールの扉が開いていった。




