第三四話 静寂につつまれて
★★★~ヴァール湖~★★★
漣の音が聞こえる。ときおり船は揺れ、今まで感じたこともないような感覚を足先から全身へと伝える。前方は、辺り一面、夕陽に照らされ燃えるように赤く輝く湖で、陸地などなかった。
「どんどん陸から遠のいてくよー」
「本当、大きかった船ももうあんまり見えないわね」
「ねぇ見て! こんなにちっさいよ! ……ねぇトゥヴァ見てったら!」
「……あら! 手に収まっちゃうわね!」
彼の後方でトゥヴァが最年少の子供たちをあやす会話が聞こえてきたが、とても振りかえる気にはならなかった。悲劇が起きたその場所を目にしてしまえば、苦しさが増すだけだと感じていたからだ。
それに、トゥヴァの声もどこか震えていた。気丈に振るまうのが上手くて初めは気づかなかったが、よく聞いてみれば、鼻がつまっている感じもする。
彼女の人生は、常に誰かの手の中にあり、癒しと慰めの役割を果たしつづけなくてはならなかった。言わば都合のいい人形でなくてはならなかったのである。こんな風に悲しみを誤魔化し、笑顔を振りまくのが上手くなるような、そんな半生を送ってきたことが伺い知れた。
船首には三人のうしろ姿が見え、両脇にいるファリドとヌライが、中央で蹲るステラに寄りそい、慰めているようであった。
顔を横に向ければ、仏頂面をしたサリーフが子供たちに危険が及ばないよう目を配り監視していた。
彼は操縦室へ入ると、船頭のハッシュの横に並び、同じように進行方向へ目線を向けた。
「森は思っているよりも遠いんですね、ハッシュさん。こんなにも進んでいるのに、まったく近づかない」
「オレなんかに話しかけてないで、あんたもステラさんを慰めたらどうなんだ。現実逃避かい? ルスランくん」
「ち、違う! 僕はただ……!」
「まぁどうでもいい。今は休んでな。明日は君らの手を借りることになる。それに今日はもうこの辺で停泊しよう。岩礁に隠れられるし、なによりこれ以上進むのは危険だ」
「危険って、なにがですか?」
「……さぁな。危険らしいとしか言えねぇぞ。オレだってこんなに陸から離れたのは初めてだしよ。でもステラさんの石のお陰で、森までは迷わずに行けそうだ。まっすぐ進んではいないが、これが進路を示してくれてるんだ」
「不思議な石ですよね……でも子供たちやあなたも、気味悪がらずに受けいれてる」
「ステラさんの魅力だな。石を手にした経緯や光りだしたキッカケについては茶を濁すけど……まぁ良い。ここまで来てやっとだが、学校で学んだ侵入禁止区域を避けて進んでいるのが分かった。きっと、このまま行くべき場所まで俺たちを導いてくれるはずさ」
そう言うとハッシュはまた黙った。
翌日、眩しい陽光と船体の揺れで目が覚めた。食料を調達しに船から岩礁に移っても、体全体が揺れているようで気持ち悪さを感じた。波というものに慣れるには時間がかかりそうである。
ルスランは、岩礁にこびりついた水草などを取り、船へと戻った。
相変わらず船内は湿っぽい雰囲気に支配されていた。無論それは湖のせいではなく、フィンが不在のためだ。ルスランは口を閉ざしていては気が狂いそうであった。
「そういや、なんでリエール王国の兵士は追ってこないんでしょう……?」
ルスランは船頭のハッシュへ問いかけた。しかし、彼が答えることはなかった。
遠くでは子供たちが騒いでいた。
「お腹空いたー! なんか食べたいー!」
ルスランの向かい側では、サリーフが子供たちをなだめようと、釣りをしていた。しかし成果は芳しくないようすであった。ルスランは、再びハッシュへ尋ねた。
「ハッシュさん。そこら中にプカプカと浮かんでいる、白くて丸い物体はなんですか? 魚には見えませんが……食べられるでしょうか?」
「たしか、ラクスムーンだったっけな……? 食おうと思ったことはないが……どうなんだろうな……。ルスランくん、そろそろ出発するよ」
船がゆっくりと進みはじめるなか、ルスランは子供たちの手を借り、物置きにあった網や樽を使って、船体の周囲に浮かんでいたラクスムーンをかき集めた。
樽がいっぱいになるまで集めおえると、彼はそのうちの一つを手に取り、丸く膨らんだ部分へナイフを入れた。
パンッ
見た目は美味しそうであったが、それはナイフを入れると簡単に弾けた。弾けた部分以外は硬く骨のようで、食用には適さないようすであった。
「ハッシュさん……このままでは食べられないようです」
「干したらちょっとは食べられそうか?」
「そうですね……やってみましょう!」
ルスランが漁網を切り解きながら紐を作っていると、ステラが尋ねてきた。
「ルスラン、いったいなにをしてるの……?」
「あぁビックリした! もう平気なんだねステラ……いや、語弊がある。平気な訳ないか……」
「ごめんなさい。またわたし、なにもせずにじっとしてたわ……」
「ステラはまだ、こういうのに慣れてないだろう? その……立ちなおるのが僕たちより遅くても、それは仕方ないことだよ」
「立ちなおったなんて嘘。ルスランだって、いつもより元気ないよ? 傷ついてるのは同じなのに……なんでそんなに頑張れるの?」
「忙しくしてる方が気が紛れる」
「……わたしにも手伝わせて……!」
ルスランが紐を作り、ステラがラクスムーンを船体へと括りつける。その姿を見て、一人、また一人と手伝う子供たちが増えていき、気づけば、船内にいる子供たちのほとんどが作業を手伝っていた。
ザァーン……ザァザァーン
聞こえてくるのは船が波を切って進む音。湖にポツリと浮かぶその船は、悲嘆、希望、不安、後悔、緊張といったさまざまな感情を乗せ進んでいた。




