第三五話 暗闇に蠢くもの
「船内の倉庫に穀物があったよ! この船が棄てられてすぐだったのは幸運だった。でも……この量じゃあ、二日ともたないな……」
船内の調査に当たっていたクルヴスとポニーが、布袋をもって甲板に現れた。そのころにはもうすでに、先ほどまで炎のようにまっ赤に染まり揺れていた湖は、鎮火されたあとのように暖かみを失くしていた。
落陽の残光と入れ替わるように、夕闇の中で、船体に括りつけられたラクスムーンが次々と発光しだした。
「な……いったいなにが……ハッシュさんこれは!」
「これは叔父さんが言ってたとおりだ……!」
子供たちは、はしゃいでいた。口々に魔法だと言いだし、船内に漂っていた重苦しい雰囲気はその無邪気さによって和らいでいくのであった。
「凄いね……トゥヴァはこんな綺麗な光を見たことある……?」
「ないわヌライ……ランプやお日様も、こんなに透きとおった光じゃないもの……! ステラさんは……?」
「ないわ……こんなに綺麗な光……初めてだわ!」
ラクスムーンの輝きは、夜の闇の中で子供たちに安らぎを与えた。その光景はまるで、水面に降りたった月のようであった。
子供たちが光に夢中になっているかたわらで、ルスランは闇に囚われていた。彼は、先導者でありこの世でもっとも尊敬する存在であったフィンを失ったことで、自らの選ぶべき道が分からなくなっていたのだ。
(フィンさんなら……こんなときみんなになんて言うだろうか……僕にはなにも思いつかない。字が綺麗に書けたからなんだ……。言葉はなにも知らず、なににも繋げられない……!)
拳をぎゅっと握りしめ、歯を食いしばり顔を横に振る。彼は、フィンの代わりになりたいという気持ちと、それができない現実に葛藤していた。
しばらくすると、彼の頭にぼんやりと言葉が浮かんできた。
(曼荼羅だったかな……。いくつもの光が互いに影響しあって世界を照らしてるって……なんか分かりやすく説明してくれたけど、なんだっけこれ。でもまさにこの景色そのものだ。……世界は単体では存在できず、互いに支えあってる……か)
彼はそんなことを思いながら力なく笑った。なにひとつとして知識を身につけられていないのだと、自身を嘲笑ったのである。
すぐ隣を見ると、ファリドもまたどこか憂鬱そうな顔をしていた。彼もまたフィンを慕っていた人物の一人だ。この暗い湖の上で美しい光を目にしても、そんなものではとうてい払うことのできない闇が心の中に巣食っているのだろう。
ルスランは同情したが、とても声はかけられなかった。かける言葉が見つからなかったのだ。
そうしていると、ハッシュがなにか慌てたようすでルスランに声をかけてきた。
「ルスランくん、遠くの方で蠢くあれが見えるかい?」
ハッシュの指差す方向へ目を向けると、遠くの水面にかすかに赤い光が一つ動いていた。
「赤い……光?」
「ここじゃ見えないみたいだ。もっと暗いところへ!」
ハッシュとともに船の右舷へと向かい目を凝らす。すると、うっすらと赤い光の周りでなにか黒い触手のようなものが蠢いているのが見えた。
「あれが近づいてきたらヤバいですね……剣じゃ戦えない! 早くみんなに伝えないと!」
「そう焦るんじゃない。多分大丈夫だ……叔父さんが言ってた話が本当なら」
「あれについてなにか知っているんですか?」
「あぁ……だけど本当の話だとは思わなかった」
そう言うと彼は語りだした。
彼の叔父は漁師であり、ハッシュがまだ幼いころによく漁の話を聞かせてくれたらしい。そして、その話の中に、夜に現れる一つ目の巨大な化け物の話があるというのだ。
「ハッシュさん……一つ目って、まさしく、あれのことじゃないですか?」
「あぁ……。あれはオッドフィーラーと言うらしい」
オッドフィーラーは夜になるとに現れ、船を襲い、沈める。そのため、オッドフィーラーを見て帰ってこれた者はおらず、漁師たちはオッドフィーラーの現れる夜間の時間帯を避けて漁をおこなっていた。
あるとき、ハッシュの叔父が漁に出たっきり帰ってこない日があった。家族は叔父の死を覚悟していたが、翌日の早朝、叔父はびしょ濡れで帰ってきた。
聞くと禁止区域に入ってしまい出られなくなったというのだ。
それから叔父は、仲間の漁師たちにオッドフィーラーをこの目で見たことを伝え、さらにオッドフィーラーを近づかせない方法を発見したと言ってまわった。
しかし、周囲の人々はその話を信じなかった。湖に住まう巨大な化け物を見て帰ってこれるはずがないと、誰もが口を揃えて言った。
その日から叔父は目立ちたがり屋のボケた老いぼれと罵られ、邪険に扱われだした。その影響でだんだんと漁に出る機会も減っていき、そう時間もかからずに漁師人生に幕を下ろすこととなった。
その当時、誰もが相手にしないことを可哀想に思ったハッシュが叔父へ尋ねると、叔父は得意気に答えてくれたのだという。
「だから、この船は安全だ……。あれが近よってくることもないだろう」
ハッシュはしんみりとつづけた。
「オレは叔父さんを信じていた。叔父さんは家の中で唯一マトモな人で、いつもオレに色んなことを教えてくれたんだ。トチ狂った両親よりもずっと頼もしい存在だったよ……オレほ叔父さんに憧れて、湖の男になりたいと思ったんだ」
「そんな過去があったんですね……その叔父さんの知恵を活かせるなんて、あなたは良い甥だ。きっと叔父さんも自慢だったでしょうね……僕はフィンさんの傍にいたのに、なにも学べなかった」
「ルスラン……そんなことを考えてたから、ずーっと辛気臭ぇ顔してたんだな。良いか、簡単には割りきれねぇだろうが死んだヤツは生きかえらない。必ず乗りこえるんだ。オレももう叔父さんの死を嘆いたりはしねぇ」
そう言うとハッシュは、床につくからとその場を去っていった。
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