第三三話 ボヤージュ
~~取り調べ室~~
午後一五時ごろ、ハッシュの聞きとり調査はまだつづいていた。彼は自身がいつ帰れるのか分からず、不安に駆られていた。
(そういえば、少し前からヘルハウンドと、ルースと呼ばれる兵士がいなくなっている……)
「さっきの鎧の人はどこへ?」
「あんたの家だ。細かいことは知らないよ。規約上、調べる必要があるらしい……おっと、噂をすればなんとやらだ」
そこには鎧姿の兵士とヘルハウンドがいた。兵士は面甲を上げると、険しい表情でハッシュを睨んだ。そして、それはすぐに哀れみの表情へと変わった。
「ハッシュ・クセナキス。君を解放する。君にはなんの非もなかったが、君の家からは密入国者が出入りしていた可能性を示唆する証拠が見つかった。注意するように」
解放されたハッシュが家へ帰りつくと、屋内は獣臭に満ちており、空気はどんよりとしていた。彼は換気のために部屋の窓を数ヶ所開け、ベランダへと出た。
「ふぅーーっ」
空を眺めながら彼は、自分がどうするべきか迷っていた。
知らぬふりをすれば、ステラと過ごした数日間は刹那の夢となる。往時渺茫としてすべて夢の如しというように、過去の失恋と同じくただの過ぎさった夢となるのだ。
しかし、一方で自身の命は保証される。たとえ彼女らを見捨ててつまらない日々を過ごしたとしても、両親の悪態に晒されつづけたとしても、危険に晒されることはないのである。
目を瞑れば瞼のその向こうで輝き、胸を熱く燃えたぎらせる一筋の光があった。それは数えきれない星の中でもっとも彼の目を引く一番星。つまりステラの姿であった。
「オレの心はまるで波のようだ……。人は波を操ることはできない。人はただ波を避けて進むだけ……。だがそれではつまらない! オレは荒波に乗って、激流の中を生きていたい!」
突風に吹かれ飛びだした一枚の葉。それは風に乗り、開け放たれたベランダの掃きだし窓から、家の中へと入っていった。屋内はがらんとしており、春に咲く花々の香りで満ちていた。
ΦΦΦ~リエール王国 船の墓場~ΦΦΦ
ハッシュは直感から船着き場を訪れた。そこに居てくれれば、本当の意味での船出ができるという願望もあった。
彼が周囲を見わたしていると、近くにある<船の墓場>に見慣れた人影を見つけ、彼は一目散にその人影に駆けよった。
「ステラ! ここにいたのかい!」
「どうしてここが?」
「そんなことはどうでも……! ……全員揃ってるみたいだね。船で行ってしまうのかい。ここではないどこかへ」
ハッシュは悲しそうな顔をしていた。たくさんの船が置かれ、外部とは遮断された空間で、彼はステラを見つめていた。
しかしステラは焦っていた。すぐ近くではフィンたちが一艘の船を湖まで運んでいた。自分だけが立ち話をしている訳にもいかず彼女はハッシュに告げた。
「サヨナラみたいですわ。行ってください」
その場から立ち去ろうとするステラの腕をつかみ、ハッシュは言った。
「オレが船乗りを志したのはつまらない業務のためなんかじゃない! どんな結末でも後悔はしない。オレも船に乗せてくれ……! オレなら船を動かせる!」
ステラはハッシュをフィンの許へ連れて行き、話を通そうとした。そのときであった。
「貴様ら船の墓場への不法侵入で捕縛する!」
そこには、板金の鎧を身につけた騎馬兵がいた。そしてその横には、あの思わず目を背けたくなるほどに悍ましい狼のような生き物がいた。
「見つけたぞ……密入国者ども……!」
鎧の兵士はそう言うと自身を鬼のような形相で睨みつける黒髪の少年を指差し、こう言った。
「私はルース。規則に従い貴様らを一人残らず捕縛する! 観念しろ!」
ルースの声に少年は答えた。
「我々もここで捕まるつもりはない! 手荒な真似をさせないでくれ!」
「……よかろう。命を下す! 一人残らず捕まえろ!」
ルースの命令でうしろに控えていた配下の重装歩兵たちが襲いかかってきた。フィンは腰に控えていた短剣を手に取り、叫んだ。
「サリーフ! ヌライ! 剣を取って防衛体制だ! ポニーとルスランは皆を速やかに乗船させろ!」
サリーフとヌライは十歳以上の剣術に優れた数人を指揮して、防衛陣を敷いた。
彼らは周囲の船を巧みに使い、隘路や高所に陣取り抗戦した。地形を巧みに利用するその姿に、ルースは感嘆していた。
「見るからに子供だが、素人ではないな。さりとて私も名ばかりの重装騎兵隊長ではない……。逃がさないぞ……!」
正面突破だけでは時間がかかりすぎるため、ルースは数人の歩兵を迂回させ、湖へ繰りだそうとする子供たちの船を狙わせた。しかし、そこには黒髪の少年の指示で、側仕えの少年が、それを防ごうと移動していた。
ピューーーーッ
甲高い指笛が鳴る。
「撤収だ!」
黒髪の少年が叫ぶと同時に、防衛体制を取っていた子供たちは一斉に煙玉を使い戦闘から離脱すると、一目散に船へと向かった。
船の手前で起こっていた攻防に黒髪の少年が加わる。
「ルスラン。先に行け!」
「でも……この量は!」
「いいから! 行け!」
「お気をつけて!」
子供たちが乗船した船の手前の最終防衛ラインでは、黒髪の少年が一人、隘路にて懸命に防衛をつづけていた。
隘路のような狭い道では、相手がなん人いようともぶつかりあうのは数人。鍔迫りあいでは、少年のよく訓練された型で大人の全力の剣撃を防ぎきっていた。
(なんなんだあの黒髪の少年は……間合いの取り方や素ぶりに無駄がない……。鎧のハンデがあるとはいえ、私の部下がみな遅れを取っている……!)
ルースは、少年たちが皆エディルネからの密入国者だと考えていたため、旧式で高度な操縦技術を要する船が動くことはないと高を括っていた。また、たとえ船が動き、湖へ出ることができたとしても、生き逃れる方法はないと知っていたため、首魁とおぼしき黒髪の少年の捕縛を優先した。
少年はその意図に気づいてか、巧みに身を交わしながら船とは反対の方向へと向かいはじめた。
「こちらの意図に気づいたか……。つくづく賢い少年だ」
さすがに数が多かったのか、少年は次第に、岸壁へと追いつめられていった。
ビューーーーン
バンッ
子供たちの歓声が上がるとともに船は動きだした。突然の突風を読み帆が開いたため、船は勢いよく湖を前進していったのだ。
ルースは自身の悪手に気づき船を見つめたが、次の瞬間、その船から叫び声が響いていた。
「フィィィィン!」
その叫び声の先では、岸壁へと追い詰められた黒髪の少年が六~七人の兵士に切られ、湖へと落ちていくのであった。




