福智山城(後編)
第7章「福智山城」(後編)
私が“丹波横山城”に戻った時,そこには“明智秀満”様がおられました。
“明智秀満(光春)”は“明智光秀”重臣の1人。
美濃の豪族である三宅氏の出身とされ親類の明智家に仕官するまで,“三宅弥平次”を名乗り,“明智光秀”の小姓であったと言われています。
高名な武将に顔を知られ,いずれはその家に仕官しようと諸大名と顔見知りになりたがる武士が多い中,“明智秀満”は明智家一筋を通し,主君(光秀)に忠実に仕えたそうです。
織田家重臣の“荒木村重”の嫡男のもとへ嫁いだ光秀の娘がおり,“村重謀反”の知らせを聞いた光秀は娘を離縁させて国元へ帰すも,非道な目に遭遇した事で病の床につき,秀満が懸命に看病,その甲斐あって回復し,光秀の娘と結婚。その後“明智姓”を名乗ったそうです。
光秀が信長公を討つ事を重臣達に相談した際,”明智秀満”は反対しますが「謀反を口にした以上,信長公の耳に入るのは時間の問題。」と襲撃を促したそうで,本能寺を襲撃する明智軍の先行部隊を務めたと言われています。
私 「“明智秀満”様,何故ここに!?」
秀満 「殿より仰せがあり,この藩の藩主となり横山城の城主を務める。大和,何かできる事はないか!?」
“明智秀満”様は主君(光秀)を重んじ,礼儀正しく家臣想いであり,正す所は正し引き下がる所は下がる御方です。
私 「おめでとうございます。恐れながら御言葉に甘え申し上げます。城の改修にあたり,物質と人手が不足しております故,村人達の協力を仰ぎたく,その御力を御借りしたい所存にございます。」
秀満 「あいわかった。力づくでは争いとなるだろう。減税を行い,褒美をとらせよう。村人の声を聞き,藩主の務めを果たす。だが規律は守る。押す所は押し引く所は引かねば,国は保てん。」
私 「御意のままに。」
“明智秀満”様の藩主としての姿勢が村人達に少しずつ理解され,反対する者もいましたが,物質と人手が集まり,城の修復・改修は進みいよいよ完成となりました。
天守は三重三階建ての大天守で二重二階建ての小天守を連結して設け,南側に二階建ての菱櫓を渡櫓で連結した複合連結式を築き,決して豪華さは無いが安土城の風格を持たせ,城の東側と西側を天然の川が流れている事で掘りとなり,南側に城下町を置き街の外側に東と西を流れる川に繋げる人口の掘りを造り,北側は川が合流する部分でその台地に築かれた展望の良くきく城となりました。
私の浅い構想で考えたので“難攻不落”とはならないと思いますが,お許し下さい。
そして完成した“福智山城”を御披露目する事になりました。
私 「“横山城”を改め,城名を“福智山城”と致します。」
光秀 「“福智山城”!?」
私 「ハッ。丹波の“山”に住ませる神々を味方に付け,“福”を呼び,明“智”の名を知らしめる意味を込め“福智山”と名付けました。安土城の風格を持たせたのも,信長公の重臣“明智十兵衛光秀”様の名を世に知らしめる為。」
光秀 「ハハハ。誠に奇天烈だな!!」
これより城下を“福智山”とし,“明智秀満”様が城主を務められました。
天正8年10月ーー。
この日,十兵衛様一向は大いに喜び皆で賑やかな夜を過ごします。“本能寺の変”が起こる1年と8ヵ月前の出来事でした・・・。




