福智山城(中編)
第7章「福智山城」(中編)
“丹波横山城から福知山城へ”・・・福知山地方の国人である“塩見頼勝”が八幡山の脇に築いた城が始まりと言われており,“塩見頼勝”は後に姓を“横山”と改め,息子の“塩見信房”が城主に代わり,城名を“横山城”と名付けたそうです。
その後,丹波の覇権争いに“丹波の赤鬼”と異名を持った“赤井直正”と戦うも敗れ,又,“赤井直正”は“丹波平定”の命を受け進軍してきた“明智光秀”の軍勢を“波多野・赤井連合軍”で撃退するも再度進軍する“明智軍”の破竹の勢いに敗れ,“波多野秀治”は処刑に“赤井直正”は病没したとされます。
落城した横山城は“明智光秀”が改修,城主を務め(明智秀満),城名を“福知山城”と改めたそうで,“有馬豊氏”が城主を務めた時に“福知山城”の姿が完成したそうです。
ここからは私の想像と空想によるもので城名を“福智山城”とし,引用する部分と独自な部分で書く事をご理解,ご了承下さい。
城の修復,改修を始めた私でしたが至難の連続で,その事は“斉藤利三”様から十兵衛様のお耳に入り,十兵衛様のもとに呼ばれる事となりました。
光秀 「大和,親方様より呼び出しあり,儂は安土に向かう。貴方も同行せい。」
私 「ハッ。承知仕ります。」
ーーー安土城と安土城下町ーーー
私 「これが安土・・・。賑やかな城下町に,豪華絢爛なる城,安土城。なんとも雅・・・。」
私は安土の街に圧倒され,それ以上の言葉がでませんでした・・・。
光秀 「ハハハ。驚愕したか大和,安土は親方様の築かれた街。親方様は時に庶民と戯れその声を聞き,常に先の世を見据えておられる。非道と呼ばれる姿もあるが,乱世を治めるにはそれも必要な事。儂は親方様の掲げる“天下布武”に尽力し,泰平の世を築く事を願いとしておる。」
私 「十兵衛様・・・。」
十兵衛様は安土城に入られ,私は城には入れず城下町を見学しておりました。
信長公の“楽市楽座”施策により,規制緩和された商業は自由な発展を促し,商人や町人で安土の街はおおいに賑わい,街から見た“安土城”は豪華絢爛なる天守と堂々とした姿で(「十兵衛様が仰られた信長公は残忍だが常に先を見据えた御方,なるほど常人とは違う,やはり偉大なる人物(織田信長)だ。」),私は安土の街を目に焼き付けました。
『“天下にあまねく信長公の安土城”を“横山城”の改城に取り入れ,信長公の重臣である“明智十兵衛光秀”様の名を世に知らしめ,丹波の山に住ませる神々を味方に付け,福を呼び込む,これに一文字ずつ入れ(福)が来る,明(智),丹波の(山),城,“福智山城”を築こう。』
“福智山城”の築城を考えた時,十兵衛様が戻ってこられました。
光秀 「安土の街。貴方に一度見てもらいたくてな。安土の街は活気だち,皆生き生きしておる。それに習い近江滋賀群,丹波国も庶民が活気だつ街を築こうと思う。これより儂は坂本に戻り政務にあたる。貴方は丹波に戻り“城”を築いてくれ。」
私 「御意!!」
親方様の呼び出しを終えた十兵衛様は近江坂本城に戻られ,私は一路“丹波横山城”のもとへ歩みを進めました。




