第006話 エコバッグを持て 後編
教祖が口を開いた。
「エコバッグを忘れるな。」
礼拝堂は静かだった。
結衣は一瞬耳を澄ませる。
何も聞こえない。
さっき聞こえた『『拝聴せよ。』』とは違う。
教祖だけが聞き、それを伝えている。
そういうことなのか。
天城はマイクを握ったまま続ける。
「買い物へ行く際には、持っていくように。」
「忘れたからといって、落ち込むでない、とも仰せです。」
結衣は少しだけ目を丸くした。
……慰めまであるんだ。
熊谷が深くうなずいた。
「なるほど。」
結衣は熊谷を見る。
熊谷は真剣な顔をしている。
「神は、我々の日常を見ておられる。」
教祖が言う。
「まあ……そういうことだな。」
結衣は、もう一度教祖を見る。
……本当に、これが神託?
熊谷が続ける。
「エコバッグを忘れるということは、日々の備えを忘れること。」
教祖が少し考える。
「そこまでは言っておらぬ。」
「では――」
熊谷が何か言いかけたが、教祖は先回りするように言った。
「普通にエコバッグを忘れるな、という話だと思う。」
「……はい。」
少し間が空く。
熊谷が静かにうなずいた。
「深い。」
天城は苦笑した。
「今日は普通だと思う。」
礼拝堂に、小さな笑いが広がった。
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礼拝後。信徒たちは帰り支度を始めていた。
熊谷は上着のポケットから、小さく折り畳まれたエコバッグを取り出す。
「常備です。」
結衣は思わず見た。
「前から持ってたんですか?」
「神託の後からです。」
「行動が早いですね。」
熊谷は誇らしげだった。
「以前、一度だけレジ袋を買いました。」
「それで。」
「少し悔しかった。」
結衣は、思わず苦笑いを浮かべた。
「そんな理由で。」
「神託がなくても持つべきだったのでしょう。」
熊谷は真剣だった。
結衣は小さくうなずいた。
この人は、少し変だ。
でも。
悪い人ではない。
受付へ戻る。
黒田守が書類を片付けていた。
「ありがとうございました。」
結衣が頭を下げる。
黒田も軽く会釈した。
「また見学でも構いません。」
「……何度でも?」
「もちろんです。」
結衣は少し安心した。
無理に引き止められるわけでもない。
帰れと言われるわけでもない。
本当に普通だ。玄関で靴を履く。
友人が隣へ来た。
「どうだった?」
結衣は少し考えた。
「教祖さん。」
「うん。」
「思ったよりまとも。」
友人が笑う。
「でしょ。」
「でも。」
結衣は少し声を落とした。
「あの『拝聴せよ』。」
友人の表情が少し柔らかくなる。
「聞こえた?」
「……うん。」
「最初は、みんな驚く。」
「みんな?」
「私もそうだった。」
結衣は少し黙った。
あれは、確かに聞こえた。
気のせいではない。
「神託は聞こえなかった。」
「教祖様だけだから。」
「そういうものなの?」
「うん。」
結衣は空を見上げた。
夕暮れだった。
まだ全部を信じたわけではない。
でも。
全部を否定できるとも思えなかった。
「また来る?」
友人が聞く。
結衣は少しだけ笑う。
「……うん。」
今度は。
エコバッグを持って来よう。
【調査メモ】
危険性:確認できず。
教祖:まとも。
神託:生活に役立つ。
熊谷:要観察。
結衣は少し考え、最後に一行だけ書き足した。
……もう一回来よう。




