7話 心拍強制
知らないものは気になる。
気になるなら調べる。
それは観察と同じだ。
ただし、知らないものが自分の中にある場合は少し厄介だった。
第七話です。
気になっていた。
ここ数日、ずっとだ。
観察はまだいい。
あれは少なくとも、自分の性質と繋がっている気がする。
感覚が高いのも、少し納得できる。
昔から、人より先に違和感に気付くことは多かった。
だが、心拍強制は違う。
異邦人という称号も、あまり好きじゃない。
どちらも意味は読める。
読めるのに、理解できない。
それが気持ち悪かった。
強いか弱いかの問題じゃない。
分からないものが、自分の中にある。
その事実が嫌だった。
農作業。
狩り。
食事。
村での生活。
どれも大事だった。
実際、生きるためには必要だし、知らないことばかりで観察する価値もある。
それでも、頭の隅に居座り続けるものがあった。
心拍強制。
ステータスに表示されていた、あの妙な言葉だ。
観察はまだ分かる。
俺の性質に近い。
見て、比べて、違いを拾う。
そういうものだと思えば納得はしやすい。
だが、心拍強制は違う。
意味は読める。
読めるが、内容が分からない。
心拍を強制する。
それだけ聞けば、ろくでもない響きしかない。
なのに、ずっと気になっていた。
知らないまま持っているのは気持ちが悪い。
理解できないものを放置するのは、もっと気持ちが悪い。
だから俺は森に来ていた。
人がいない場所。
ツムギにも言っていない。
言っても説明できないし、説明できたとしても止められる気がした。
それは少し困る。
止められて正しいことと、止められたくないことは、たぶん別だ。
木の切り株に腰を下ろす。
深呼吸する。
森は静かだった。
鳥の声が遠い。
風が葉を揺らす音がする。
その中で、意識を内側へ向ける。
ステータスを開く。
何度見ても慣れない。
視界の端に文字が浮く感覚は、現実味が薄い。
ゲームみたいだと思う。
だが、現実に俺はここにいて、森の匂いも、湿った空気も、ちゃんと存在している。
だから余計に気味が悪い。
表示された文字列を追う。
その中にある。
【心拍強制】
文字だけなら簡単だ。
問題は、どこまで強制するのか。
鼓動を速くするだけなのか。
遅くするのか。
身体能力に関わるのか。
それとも、もっと別の何かなのか。
何も分からない。
「……」
少し考える。
考えて、結局、答えは一つだった。
使うしかない。
理解するには観察がいる。
観察するには、対象が動かなければ始まらない。
見ているだけで分かるほど、親切な能力には見えなかった。
俺は息を整える。
逃げ道も一応考える。
危険を感じたらすぐ解除する。
立ち上がれなくなったら村へ戻る。
最悪、這ってでも戻る。
そこまで決めてから、口の中で呟いた。
「心拍強制」
一瞬、何も起きない。
失敗か、と思った。
その次の瞬間だった。
ドクン、と心臓が跳ねた。
「ッ!?」
息が詰まる。
鼓動が速い。
いや、速いなんてものじゃない。
胸の奥で、心臓が無理やり回されているみたいだった。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
一拍ごとに、身体の奥が熱くなる。
血が走る。
全身に押し流される。
勢いよく、無理やり、隅々まで。
そんな感覚だった。
手の先まで熱い。
足先まで熱い。
頭の奥まで、妙に冴える。
「なんだ、これ……」
思わず立ち上がる。
軽かった。
身体が信じられないくらい軽い。
試しに地面を蹴る。
速い。
明らかに速かった。
ただ走っただけなのに、普段より一歩が遠い。
足が地面を押すたび、身体が前へ滑るみたいに進む。
「は?」
止まる。
今度は近くの木に触れる。
軽く拳を当てるつもりだった。
本当に、確かめる程度に。
バキッ。
鈍い音がして、木の皮が剥がれた。
少しえぐれている。
意味が分からない。
強い。
速い。
身体が軽い。
だが、理解が追いつかない。
何故こうなる。
どこまで上がる。
何を代償にしている。
いつまで保つ。
何も分からない。
ドクン。
また鼓動が強くなる。
視界が揺れた。
吐きそうになる。
胃の奥が持ち上がる感覚。
頭が熱いのに、皮膚は冷える。
汗が滲む。
なのに、身体だけは妙に動く。
矛盾していた。
調子がいいのか悪いのか、どちらとも言えない。
むしろ両方同時に来ている感じだった。
気持ち悪い。
それ以上に、怖い。
初めてそう思った。
力が怖いんじゃない。
理解できないことが怖い。
自分の身体なのに、自分のものじゃないみたいだった。
言うことは聞く。
でも、仕組みが分からない。
それはかなり気味が悪い。
「止まれ」
ほとんど反射で、解除を意識する。
心拍強制を切る。
途端に鼓動が落ちた。
静かになる。
心臓も。
身体も。
森の音も。
さっきまでうるさかった自分の内側が、急に遠のく。
俺はその場に手をついて、しばらく息を整えた。
汗が嫌に冷たい。
手のひらが震えている。
軽くではあるが、確かに。
数分して、ようやく呼吸が落ち着く。
立ち上がって、自分の手を見る。
いつもの手だった。
特別大きくなったわけでも、変色しているわけでもない。
ただ、さっきこの手で木を削った感触だけが残っている。
「……」
少し考える。
結論は、驚くほど早く出た。
「使わない」
たぶん、今までで一番迷いがなかった。
理解できない。
原理が分からない。
代償が分からない。
上限が分からない。
そんなものを信用できるわけがない。
たとえ強くなれるとしても、だ。
分からない力を当てにするのは、崖の上で目を閉じて走るようなものだ。
速く進めるかもしれないが、落ちる時は一瞬だろう。
俺はそういうのが嫌いだった。
強いか弱いかより、把握できるかどうかの方が大事だ。
ステータスを閉じる。
文字が消える。
森を見る。
木を見る。
削れた幹を見る。
それから、自分の手をもう一度見る。
「やっぱり」
小さく息を吐く。
「他人を観察する方が楽だな」
自分は面倒だ。
分からないことが多い。
感情も、判断も、案外あてにならない。
そのくせ、他人のことならまだ少し冷静に見られる。
観察は得意でも、自己分析は苦手らしい。
今さらだが、少しだけ納得した。
森を出る。
村へ戻る道を歩きながら、さっきの感覚を思い出す。
速さ。
力。
熱。
不快感。
恐怖。
どれも本物だった。
あれは便利な力かもしれない。
追い詰められた時には、頼りになる可能性もある。
だが今の俺には、まだ早い。
理解できるまで使わない。
そう決める。
決めてから、少しだけ安心した。
使えるのに使わない、ではない。
分からないから使わない。
それは逃げにも見えるだろう。
別にそれでいい。
逃げて済むなら、その方がましだ。
無理に抱える必要はない。
背負えないものを背負って潰れるより、距離を取った方がまだ合理的だ。
村が見えてくる。
煙が上がっていた。
人の声もする。
当たり前の生活の音だ。
その音を聞いているうちに、さっきまでの嫌な汗も少しずつ引いていった。
俺は歩きながら思う。
強くなることより先に、知ることがある。
力を持つことより先に、理解しなければならないことがある。
たぶん、俺にとってはそっちの方が重要だった。
村の入口まで来たところで、家の前に立つツムギが見えた。
こっちに気付いて、少し眉を寄せる。
「どこ行ってたの?」
声は普通だった。
だが、少しだけ探るような響きがある。
俺は足を止めて、少し考える。
本当のことは言えない。
言っても面倒だし、説明のしようもない。
だから、半分だけ本当のことを言う。
「考え事」
ツムギは数秒だけ俺を見る。
それから、呆れたように息を吐いた。
「変な人」
「知ってる」
そう返すと、ツムギは少しだけ笑った。
その顔を見て、胸の鼓動がもう普通に戻っていることに気付く。
さっきまでの異常な脈動とは違う。
ちゃんと自分のものだと思える速さだった。
それが少しだけ、ありがたかった。
第七話を読んでいただきありがとうございます。
心拍強制は、クレにとって初めての「理解できない力」です。
強いか弱いかは問題ではありません。
仕組みが分からない。
代償が分からない。
制御できるか分からない。
だから嫌う。
クレらしい判断だと思います。
次回は少しだけ視点が変わります。
クレを観察する人間が現れます。




