6話 狩り
食べることは知っていた。
生き物を殺して食べることも、もちろん知っていた。
けれど、知っていることと理解することは少し違うらしい。
第六話です。
農作業にも少し慣れてきた頃だった。
鍬の扱いはまだ下手だが、少なくとも最初よりはましになった。
土の硬さの違いも少しずつ分かるようになってきたし、どの作業が面倒で、どの作業が単純で、どの作業が地味に疲れるのかも理解し始めていた。
慣れる、というのは変な感覚だ。
昨日まで知らなかった世界なのに、数日もすると、当たり前みたいな顔で朝起きて、飯を食って、畑に出ている。
人は案外、どこにでも馴染むのかもしれない。
それが良いことかどうかは別として。
「クレ」
ツムギが呼ぶ。
俺は手を止めて顔を上げた。
「なんだ」
「狩り行く?」
少し考える。
そして、
「行く」
即答だった。
興味があった。
この世界の動物。
この世界の食料。
この世界の生き方。
畑だけでは分からないことがある。
人がどう育てるかと、人がどう奪うかは、たぶん少し違う。
ツムギは「よし」と小さく頷いて、家の中に戻った。
しばらくして出てきた時には、小さな袋を肩に掛けていた。
「それは?」
「罠に使うの」
ツムギは袋の口を開いて見せる。
中には紐、木片、細い杭、小さな刃物。
どれも地味な道具だった。
「狩りって、追いかけて仕留めるんじゃないのか」
「それもあるけど、私はこっちの方が得意」
なるほど、と思う。
ツムギらしい。
力任せより、慣れた方法で確実に取る方を選ぶのだろう。
合理的だった。
森へ入る。
昼の森は、最初に迷い込んだ時とは印象が違った。
怖さが薄い。
もちろん安全だとは思わない。
だが、夜や遭難直後の森に比べれば、ずっと見えるものが多かった。
足元に残った小さな跡。
低い枝の折れ方。
木の幹の擦れた痕。
土のへこみ方。
前はただの森だった。
今は、誰かか何かが通った痕跡の集まりに見える。
「ここ」
ツムギがしゃがみ込む。
俺も隣にしゃがむ。
ツムギは地面を指差した。
「分かる?」
「分からん」
正直に答える。
小さな凹みがいくつか並んでいるように見えるが、それが何なのかまでは判断できない。
「ニーラビットの足跡」
聞き慣れない名前だった。
だが、どこかで見た響きだと思う。
「ウサギか?」
「みたいなもの」
少し嫌な予感がする言い方だった。
「“みたいなもの”って、あの三つ目のやつか」
「見たことあるの?」
「ある」
ツムギが少し驚いた顔をする。
「それなら話は早いね」
早いのかは分からないが、少なくともイメージは共有できたらしい。
ツムギは足跡の先を指でなぞるように見せる。
「この辺、よく通るの。草が少なくて歩きやすいから」
言われてみればそうだった。
低い枝も少ないし、地面も比較的平らだ。
人間でも歩きやすい。
なら、小型の動物にとっても通りやすいのだろう。
「なんでそこに罠を置く?」
「通るから」
「なんで通る?」
「歩きやすいから」
単純だった。
だが、単純だからこそ分かりやすい。
生き物は、必ずしも賢いわけじゃない。
けれど、楽な道は選ぶ。
それは人間も同じだ。
ツムギは手際よく罠を仕掛け始める。
しなる枝を選び、
紐を結び、
輪を作り、
地面に固定する。
派手さはない。
だが、迷いがない。
「覚えられそう?」
「多分」
「本当に便利だね、その返事」
「失敗しても嘘にならない」
「ひどい理屈」
少し笑いながら言う。
ツムギは笑ったまま、次の場所へ移動した。
その日、罠を三つ仕掛けた。
帰り道、俺は何度も周囲を見ていた。
木の間隔。
草の擦れ方。
足跡の深さ。
ツムギが立ち止まる位置。
全部に意味がある気がした。
前はただの景色だったものが、少しずつ情報に見えてくる。
それが面白い。
翌日。
罠を確認しに、また森へ入る。
一つ目は空だった。
輪は揺れていたが、何もかかっていない。
「外したかな」
ツムギが言う。
二つ目も空だった。
痕跡はある。
だが、捕まってはいない。
「難しいんだな」
「毎回うまくいくわけじゃないよ」
ツムギはあっさり言う。
その言い方が、少し好きだった。
見栄がない。
失敗を失敗として扱って、それでも続ける人間の言い方だ。
三つ目の罠に近付いた時だった。
「お」
ツムギが小さく声を上げる。
何かいた。
白い毛。
長い耳。
そして三つ目。
あの時森で見たウサギだった。
「ニーラビット」
ツムギが言う。
罠に足を取られ、吊られるようにして暴れている。
逃げようとしていた。
必死だった。
枝がしなる。
紐が軋む。
小さな身体が激しく跳ねる。
俺は黙って見ていた。
生きようとしている動きだった。
少し前の自分も、こんなふうに何かに抗っていたのだろうかと思う。
いや、あの時はもっと雑だったかもしれない。
車に撥ねられる直前、俺が考えていたのは生きることより、後悔の方だった。
どちらにせよ、必死さだけは少し似ている気がした。
「クレ」
ツムギが呼ぶ。
見ると、短剣を差し出していた。
意味は分かる。
分かってしまう。
「殺すのか」
確認のつもりで聞く。
「食べるから」
当たり前みたいにツムギは答える。
そうだろう。
肉だ。
生き物だ。
誰かが殺さなければ、皿の上には乗らない。
その当たり前を、俺は知識としては知っていた。
だが、知識と実感は少し違う。
短剣を受け取る。
軽かった。
ニーラビットを見る。
暴れている。
目が合う。
三つの目が全部こちらを見ている気がした。
逃がす、という選択肢が頭をよぎる。
だが、それはたぶん、綺麗事だ。
罠を仕掛けた。
捕まえた。
食べるつもりで来た。
ここで手を止めるのは、優しさではない。
ただ責任を他人に押し付けるだけだ。
それは分かる。
「……悪いな」
謝る必要はない、と思う。
食べるためだ。
生きるためだ。
ニーラビットだって、俺が弱れば躊躇わないかもしれない。
それでも、口から出た。
俺は近付く。
暴れる動きを見て、喉を狙うのが一番早いと何となく分かった。
たぶんツムギの手元を見ていたからだろう。
観察は、こういう時にも役に立つらしい。
短剣を振る。
感触があった。
血が出る。
白い毛が赤く染まる。
ニーラビットの身体が一度大きく震えて、それから少しずつ力を失っていく。
やがて動かなくなった。
森が静かになる。
さっきまでの暴れ方が嘘みたいだった。
風だけが吹いている。
俺は短剣を見下ろす。
手は震えていなかった。
吐き気もない。
怖さも、今さら遅れては来ない。
罪悪感も、思ったほど強くない。
ただ、少し驚いていた。
俺は殺せるらしい。
動物だからかもしれない。
食べるためだからかもしれない。
必要だと判断したからかもしれない。
理由はいくつかある。
でも結局、やったのは俺だ。
「クレ?」
ツムギが不思議そうにこちらを見る。
「なんでもない」
そう答える。
本当は、少しだけあった。
気持ち悪いわけじゃない。
でも、軽くもない。
生きるって、もっと綺麗なものだと思っていたわけじゃない。
むしろ、綺麗じゃないことくらい知っていた。
それでも、実際に手を汚すと、知っているのと理解するのは別だと分かる。
ツムギはニーラビットを手際よく下ろしながら言った。
「初めてにしては、ちゃんとできたね」
「褒めてるのか」
「褒めてる」
迷いのない返事だった。
少し困る。
褒められると、どう反応していいのか分からない。
だが、悪い気はしない。
「……そうか」
それだけ返す。
ツムギはそれ以上何も言わなかった。
たぶん、今の俺に余計な言葉がいらないと分かったのだろう。
そういうところは、よく見ている。
帰り道、ツムギがニーラビットを持ち、俺は隣を歩いた。
森の見え方が、少し変わっていた。
昨日までは、ただ面白い場所だった。
知らないものがあって、観察しがいのある世界だった。
でも今日は、それだけじゃないと分かった。
ここは、生きる場所だ。
食べるために捕まえて、
捕まえたなら殺して、
殺したなら食う。
綺麗じゃない。
だが、不快とも言い切れない。
少なくとも、嘘は少ない気がした。
「どうしたの」
ツムギが前を向いたまま聞いてくる。
「いや」
少し考えてから答える。
「生きるって、面倒だなと思ってた」
「うん」
「でも、案外嫌いじゃないかもしれない」
ツムギは少し黙って、それから笑った。
「今さら?」
「今さらだな」
自分でもそう思う。
空を見上げる。
青かった。
相変わらず綺麗な空だ。
けれど、その下でやっていることは綺麗とは言い難い。
それでも、悪くないと思った。
少なくとも、目を逸らさずに済む分だけ、前の世界より少しだけ分かりやすかった。
第六話を読んでいただきありがとうございます。
クレは今回、初めて自分の手で命を奪いました。
極端な葛藤も罪悪感もありません。
だからといって、何も感じなかったわけでもありません。
この作品のクレは、出来事よりも「理解」に時間が掛かる人間です。
今回の経験も、すぐに答えになるわけではなく、少しずつ彼の中に残っていきます。
次回は、クレが少しだけ自分のスキルに興味を持ち始めます。




