5話 日常
朝が来る。
知らない村で、知らない少女の家で。
クレは初めて、この世界の生活に触れていく。
第五話です。
目が覚める。
知らない天井だった。
しばらくぼんやり見上げて、それから思い出す。
森。
三つ目のウサギ。
ツムギ。
ソリ村。
昨日の食事。
屋根のある部屋。
夢ではなかったらしい。
「……そうか」
小さく呟く。
少し残念で、少し安心した。
どちらが本音かは、自分でもよく分からない。
身体を起こす。
窓から朝の光が差し込んでいた。
空気は冷たいが、不快ではない。
扉の向こうから音がする。
何かを切る音。
鍋の音。
食器の触れ合う音。
人が生活している音だった。
その音を聞いていると、自分がまだここにいていいような気がしてくる。
不思議だった。
ふと、昨夜は寝る前に何も確認していなかったことを思い出す。
異世界らしいもの。
気味の悪いもの。
なのに、無視しておくには気になるもの。
「……ステータス」
小さく呟く。
視界の端に、半透明の文字が浮かんだ。
名前:クレ
年齢:17
筋力:E+
耐久:D-
敏捷:D
感覚:B-
魔力:E
スキル
観察 Lv1
心拍強制 Lv1
称号
異邦人
「……」
しばらく黙って見つめる。
まず分かるのは、強くないということだった。
筋力も。
耐久も。
敏捷も。
高いとは言い難い。
魔力に至っては、あるだけまし、という程度に見える。
その中で、感覚だけが少し高かった。
少し納得する。
見ること。
聞くこと。
違和感に気付くこと。
昔から、そういうのは少し得意だった気がする。
だから観察なのだろう。
だが、納得できるのはそこまでだった。
心拍強制。
意味は読める。
読めるが、理解はできない。
そして何より、気持ち悪かったのは称号の方だった。
異邦人。
この世界の人間ではない、ということだろう。
意味としては単純だ。
だが、ただの説明にしては妙に冷たい。
最初からここには属していないと、突き付けられているみたいだった。
「……嫌な感じだな」
小さく呟いて、ステータスを閉じる。
強い弱いの問題じゃない。
分からないものが自分の中にある。
その事実が、あまり好きになれなかった。
「起きた?」
扉が開いて、ツムギが顔を出した。
「起きた」
「知ってる」
そうだろう。
返事をした時点で起きている。
会話が一度そこで終わる。
ツムギは気にした様子もなく続けた。
「朝ご飯できてるよ」
「そうか」
部屋を出る。
机の上には、パンとスープが並んでいた。
昨日と似た組み合わせだった。
だが、それで十分だった。
温かい食事は、それだけでかなり強い。
座る。
食べる。
やはり美味い。
昨日と同じようでいて、少し違う。
慣れた味ではないのに、安心する味だった。
「どう?」
ツムギが訊く。
「美味い」
そう答えると、ツムギは満足そうに頷いた。
昨日も見た反応だった。
「毎回聞くのか」
「聞くよ」
「何故」
「気になるから」
理解しにくい理屈だった。
だが、人間としては分かりやすい反応でもある。
自分が作ったものを、相手がどう感じたか知りたいのだろう。
そういう感覚は、俺には少し薄い。
だから余計に面白い。
食事を終えると、ツムギは立ち上がった。
「今日は畑」
「畑」
「うん」
当然のように言う。
この村では、たぶん当然なのだろう。
「手伝うのか?」
「泊めるんだから働いてもらう」
かなり正しい。
反論の余地がなかった。
「分かった」
俺も立ち上がる。
外へ出る。
朝の空気は少し冷たく、肺に入ると頭がはっきりした。
村はもう動き出していた。
畑に向かう人。
水を運ぶ人。
洗濯物を干す人。
子供を呼ぶ声。
生きている、と思う。
当たり前のことなのに、少しだけ面白かった。
人はこうやって、毎日を積み重ねる。
劇的な何かがなくても、腹は減るし、仕事はあるし、日も昇る。
そういう当たり前の連続で、生きるということは形になっていくのかもしれない。
「こっち」
ツムギが手を振る。
あとを追って、畑へ向かう。
思ったより広かった。
昨日、籠を持って森を歩いていたから、何となく忙しいのだろうとは思っていた。
だが、実際に見ると想像以上だった。
「全部一人で?」
「うん」
少し驚く。
「大変じゃないのか」
「大変だよ」
また即答だった。
そこに見栄がないのがツムギらしい。
「でも、やるしかないし」
続けてそう言う。
当たり前のことを、当たり前の顔で言う。
その感じが少し眩しい。
俺はそういう種類の人間ではない。
やるしかない状況になったら、まず逃げ道を探す。
ツムギは違うらしかった。
「じゃあ、まずこれ」
鍬を渡される。
見覚えはある。
日本でも学校行事か何かで触ったことくらいはある。
だが、使えるかと言われれば怪しい。
「耕す」
「説明が雑だな」
「見た方が早いよ」
ツムギはそう言って、自分の鍬を持つ。
そして、実際にやってみせた。
土に入れる角度。
身体の沈め方。
力を入れる順番。
引き上げる時の重心。
無駄が少ない。
なるほど、確かに見た方が早かった。
ツムギは動きを止めて、こっちを見る。
「できそう?」
「多分」
「便利だね、それ」
「失敗しても嘘にならない」
「ひどい理屈」
少し笑いながら言う。
ツムギは笑ったまま、鍬を俺に渡した。
俺は構える。
土を見る。
ツムギの動きを思い出す。
自分の手の位置を見る。
足の幅を見る。
それから、やる。
最初の一回で分かった。
思ったより難しい。
土は見た目より重い。
腕だけでやると駄目で、腰も使うらしい。
しかも少しやっただけで、すぐに息が上がる。
「下手」
「知ってる」
「でも、さっきよりはいい」
「それは褒めてるのか」
「一応」
雑だった。
だが、ちゃんと見ているのは分かる。
俺はもう一度やる。
土を見る。
ツムギの動きを見る。
自分の動きと比べる。
どこが違うかを考える。
深さ。
角度。
力の入り方。
足の位置。
ただ真似するだけでは駄目だった。
違いを見つけて、直して、また試す。
観察。
ステータスにあった言葉を思い出す。
なるほど、と思った。
ただ見ることじゃない。
見て、比べて、違和感を拾うこと。
それが多分、俺の観察だ。
感覚が少し高いのも、そのためかもしれない。
「どうしたの?」
ツムギが聞く。
「いや」
少し考えてから答える。
「見てると、分かることがあるんだなと思って」
ツムギはきょとんとして、それから少し笑った。
「今さら?」
「今さらだな」
自分でもそう思う。
「意外と真面目だね」
ツムギが言う。
「働く以上はな」
「もっと嫌そうにするかと思った」
「泊めてもらって飯も食ってるからな」
そこまで言ってから、自分でも少し意外に思う。
ずいぶん素直なことを言った。
ツムギも少し驚いたような顔をして、それから笑った。
「えらい」
「それは違う」
「なんで?」
「別に立派な理由じゃない」
「でも働いてるじゃん」
「働かないと気まずいだけだ」
本音だった。
恩を着るのは苦手だ。
感謝されるのも得意じゃないが、一方的に世話になるのはもっと落ち着かない。
ツムギは少しだけ考えてから言った。
「それでも、ちゃんとやるなら十分すごいよ」
理解できない。
基準が甘い気がする。
だが、その言い方には変な打算がなくて、少しだけ困る。
褒められるのは嫌いじゃない。
でも、素直に受け取るのも落ち着かない。
「……そうか」
結局、それだけ返した。
ツムギはそれ以上突っ込まなかった。
助かる。
空を見る。
青かった。
昨日見た空と同じ色だ。
それなのに、少しだけ違って見えた。
ただ生きている世界じゃない。
理解すれば、少しずつ形を変えて見えてくる世界だった。
第五話を読んでいただきありがとうございます。
今回は、クレがこの世界で初めて「生活」に触れる回でした。
食事、畑、仕事、朝の音。
派手な出来事はありませんが、クレにとってはどれも観察対象です。
彼の強さは、最初から強いことではなく、見て、比べて、少しずつ理解していくことにあります。
次回は狩りへ向かいます。
クレは初めて、この世界で命を奪うことになります。




