9話 慣れつつある
人は慣れる生き物です。
良いことにも。
悪いことにも。
そして時々、その慣れは自分自身を驚かせます。
今回はそんな話です。
それからの日々は、思ったより単調だった。
朝に起きる。
安宿を出る。
ギルドへ行く。
依頼を選ぶ。
街を出る。
金を稼ぐ。
街へ戻る。
飯を食う。
寝る。
また朝が来る。
その繰り返しだった。
最初は薬草採取が多かった。
次にニーラビット討伐。
荷運びも一度やった。報酬は悪くなかったが、腰が痛くなっただけで面白くはなかった。
川沿いの見回りも受けた。何も出なかったが、街の近くにある畑や小屋の位置を覚えられた分だけ無駄ではなかった。
危険な依頼は受けない。
無理な依頼も受けない。
死なないことを優先する。
その方針だけは変えなかった。
◇
「クレ、これ」
ツムギが薬草を持ち上げる。
「葉の先が丸いでしょ。こっちが普通の薬草」
俺は頷く。
もう、前ほど全部同じには見えない。
「で、こっちは先が少し尖ってる。根も少し色が濃い」
「毒消し草か」
「正解」
ツムギが少し嬉しそうに笑う。
見分けがつくようになっていた。
最初は知識がなくて見えていなかっただけだ。
葉の形。
土の湿り気。
日当たり。
近くに生えている草の種類。
風の通り方。
法則はある。
あるなら覚えられる。
覚えられるなら、次からは速い。
観察はそういう時に役立つ。
「こっちは?」
俺がもう一株を摘んで見せる。
ツムギは少し顔を寄せて、すぐに首を振った。
「それは違う。似てるけど食べるとお腹痛くなるやつ」
「危ないな」
「だから確認してって言ったでしょ」
「してる」
「今、したのは確認じゃなくて当てずっぽう」
否定しづらかった。
だが、前よりは分かっている。
分からないものが、前より少し減った。
それだけでも十分だった。
◇
ゴブリンとも、何度か戦った。
最初ほど怖くはなかった。
勝てるようになったからじゃない。
知ってしまったからだ。
どう動くのか。
何を嫌がるのか。
どこを狙うのか。
何体から危険になるのか。
どの地形で速くなって、どの地形で鈍るのか。
観察し続けた結果だった。
「左!」
ツムギが叫ぶ。
俺は反射で身体を開く。
棍棒が空を切る。
そのまま踏み込み、片手剣を短く振る。
浅い。
だが足は止まる。
そこへツムギの矢が飛んだ。
肩に刺さる。
ゴブリンがよろめく。
十分だった。
俺はもう一歩だけ前へ出る。
首元へ剣を押し込む。
倒れる。
終わる。
短い。
前よりずっと短かった。
「……大丈夫?」
ツムギが聞く。
「たぶん」
そう答えてから、自分でも少し嫌になる。
またその返事かと思う。
それでも、今はそれで足りた。
倒れたゴブリンを見下ろす。
前より落ち着いて見られる。
それは良いことだ。
たぶん。
だが、同時に少しだけ気味が悪かった。
慣れている。
前より早く動ける。
前より早く殺せる。
そのこと自体は助かる。
助かるが、好きにはなれない。
「耳、取るね」
ツムギが言う。
「いや、俺がやる」
しゃがみ込む。
短剣を抜く。
最初は気分が悪かった。
今は違う。
必要だからやる。
それだけだった。
刃を入れる。
切る。
終わる。
そこで初めて気付く。
手が止まらなかった。
嫌だと思う前に、もう終わっていた。
「……」
気分が悪くはならなかった。
そのことに、少しだけ気分が悪くなる。
慣れるというのは便利だ。
だが、同時に恐ろしい。
◇
依頼をこなすたび、少しずつ金は増えた。
少しずつ装備も揃った。
俺は片手剣を買った。
最初の短剣だけでは間合いが足りないと分かったからだ。
重い。
だが嫌いではなかった。
振り方はまだ雑だが、短剣よりは分かりやすい。
届く距離が増える。
届く分だけ、無理をしなくて済む。
ツムギは弓を買った。
最初は当たらなかったが、今は近い距離なら十分使える。
石を投げるよりまし、と本人は言っていた。
実際その通りだった。
「見て」
宿の裏手で、ツムギが胸を張る。
少し離れた木へ矢を放つ。
刺さる。
中心からは少しずれた。
それでも当たった。
「当たった」
「見れば分かる」
「そういうことじゃないの」
少し怒る。
だが嬉しそうだった。
その顔を見ると、悪くないと思う。
そういう時間が、少しずつ増えていた。
◇
安宿にも慣れた。
寝台は相変わらず固い。
壁も薄い。
夜中にどこかの部屋で喧嘩が始まることもある。
隣の客のいびきが聞こえる日もある。
それでも、最初ほど気にならなくなった。
屋根がある。
扉が閉まる。
朝になれば水が飲める。
金を払えば、それが手に入る。
街は面倒だ。
だが、面倒な代わりに分かりやすい部分もある。
払えば中へ入れる。
払えば泊まれる。
払えなければ外に出る。
そういう場所だ。
気楽ではない。
だが、理屈はある。
理屈があるものはまだましだった。
人間そのものよりは、たぶん分かりやすい。
◇
ギルドにも慣れた。
依頼掲示板の見方も覚えた。
報酬が妙に高いものは、何かある。
文が短すぎる依頼は、説明を削っている。
採取依頼でも場所が曖昧なものは面倒になりやすい。
依頼人の名前を見れば、何となく癖も出る。
「またこの人」
ツムギが掲示板の端を指す。
「前も薬草採取出してた」
「報酬は?」
「銅貨四枚」
「却下」
「だよね」
こういう会話も増えた。
最初の頃より、選ぶのが速い。
仕事の内容だけではなく、書き方や貼られ方まで目に入るようになっていた。
観察は役に立つ。
だが、役に立つということは、余計なものも見えるということだった。
焦っている字。
雑な説明。
自分では行きたくない場所を、金で誰かに押しつける気配。
街は便利だ。
その便利さの中に、ちゃんと人間がいた。
そこが少し面倒だった。
◇
夜。
宿の窓から街の灯りを眺める。
遠くで誰かが笑っている。
酒場の声も聞こえる。
荷車の音が遅くまで止まない日もある。
少し前まで知らない世界だった。
今は違う。
知らないなりに、生き方を覚え始めている。
俺は小さく呟く。
「ステータス」
半透明の文字が浮かぶ。
名前:クレ
年齢:17
筋力:E+
耐久:D-
敏捷:D
感覚:B
魔力:E
スキル
観察 Lv4
心拍強制 Lv1
罠仕掛 Lv2
片手剣 Lv1
称号
異邦人
「……」
観察が上がっていた。
感覚も少しだけ伸びている。
片手剣も増えていた。
だが筋力も耐久も、大きくは変わらない。
それでよかった。
急に強くなる方が気味が悪い。
少しずつでいい。
その方が、まだ信用できる。
「クレ?」
振り向く。
ツムギが寝台の上からこっちを見ていた。
「どうかした?」
「少しだけ、見えるものが増えた」
「なにそれ」
「俺にもよく分からん」
本当だった。
見えるものは増えた。
分かることも増えた。
だが、それで不安が全部消えるわけじゃない。
むしろ、前より分かるからこそ面倒なことも増えた。
「でも」
ツムギが毛布にくるまりながら言う。
「前よりマシな顔してる」
「そうか?」
「うん」
適当かもしれない。
それでも否定しきれなかった。
野宿をしなくて済む。
明日の飯も、たぶん何とかなる。
銀貨を見ても前ほど怯まない。
依頼票の見方も覚えた。
街の道も、安い飯屋も、危ない裏路地も、少しずつ分かってきた。
生きていけるかもしれない。
まだ断言はできない。
だが、前よりはそう思える。
窓の外の灯りを見る。
街はまだ起きている。
俺たちも、たぶんもう少しここで生きる。
そう考えると、知らない世界だったはずのこの街が、ほんの少しだけ近く見えた。
第九話を読んでいただきありがとうございました。
今回は大きな事件はありません。
ただ、クレとツムギが少しずつこの世界に馴染んでいく過程を書きました。
慣れることは成長です。
ですが同時に、何かを失うことでもあります。
クレが感じている違和感は、その始まりなのかもしれません。
次回は「売られているもの」。
人間社会の、また別の一面へ進みます。




