10話 売られていもの
人間は色々なものに値段を付ける。
食料。
家。
道具。
土地。
それは分かる。
だが、たまに理解したくないものにも値段が付いている。
今回はそんな話です。
その日は依頼を一つだけにした。
朝のうちに終わる軽い薬草採取。街の外れで済む、危険の少ない仕事だった。
ギルドの受付で依頼票を受け取り、外へ出る。朝の空気はまだ冷たい。人通りも昼ほど多くはなく、街全体が起き切っていない感じがした。
「最近、余裕出てきたね」
隣を歩きながら、ツムギが言った。
「そうか?」
「そうだよ」
ツムギは即答する。
「最初の頃みたいに、宿代見て青ざめなくなった」
「慣れただけだ」
本音だった。
銀貨一枚の重さは、今でも軽くはない。だが、前よりは計算できるようになった。何日分の食費か。何回分の依頼か。どこまで減らせるか。そういう形で見られるようにはなった。
怯えなくなったわけではない。
ただ、数字として扱えるようになっただけだ。
「それを余裕って言うんじゃないの?」
「違うな」
「違うんだ」
「余裕があるなら、もう少し高い飯を食ってる」
そう言うと、ツムギが少し笑った。
「それはそうかも」
街門を抜ける。
冒険者カードを見せるだけで通れるのは、未だに少しだけありがたかった。銀貨を取られない。それだけで気分はだいぶ違う。
門を出て、街道を少し歩く。
依頼場所は近い。街の近場で済むのは助かる。遠くへ行く依頼は、それだけで帰りが面倒になる。
「ゴブリンも倒せるし」
ツムギが何でもないように言う。
俺は少しだけ顔をしかめた。
「倒したくて倒してるわけじゃない」
「分かってるよ」
「ならその言い方はやめろ」
ツムギは肩をすくめる。
「でも前より落ち着いてるのは本当でしょ」
「慣れただけだ」
また同じ言葉が出る。
それ以外の言い方を、あまり知らない。
慣れた。
たぶんそうだ。
ゴブリンを見ても、前みたいに足が竦むことは減った。どこを見ればいいか、何を避ければいいか、何体から危険になるか、前より少しだけ分かる。
それは助かる。
助かるが、あまり気分のいいものでもなかった。
◇
薬草の群生地は、街からそう遠くない場所にあった。
前にも何度か来た場所だ。地面の湿り気、陽の当たり方、周囲の草の種類。そういう条件が頭の中で少しずつ繋がってきて、薬草が生えやすい場所も何となく分かるようになっていた。
しゃがみ込んで、葉を確かめる。
丸い先端。薄い緑。根元の色。これは普通の薬草。
その少し横。先がわずかに尖っていて、色も少し濃い。こっちは毒消し草だ。
「見分け早くなったね」
ツムギが言う。
「前は全部同じ顔してた」
「今も半分くらい同じ顔してる」
「半分も分かれば十分じゃない?」
「死なないならな」
摘み取って袋へ入れる。
薬草採取は、討伐より楽だ。少なくとも、草はこっちを殺しに来ない。
「村にいた頃より話してる」
ツムギが薬草を摘みながら言った。
「そうか」
「うん」
「俺は元から喋る」
「嘘」
即答だった。
俺は一瞬だけ考える。
「……そうでもないだろ」
「そうだよ」
「お前基準じゃないのか、それ」
「村の人基準でもそう」
返す言葉が浮かばなかった。
たしかに、ソリ村にいた頃の俺は今より黙っていたかもしれない。話す必要が少なかったのか、話す相手が少なかったのか、その両方か。
今はツムギがいる。
そこは、たぶん違う。
「でも今の方がいいよ」
ツムギが言う。
「静かすぎるクレ、ちょっと気持ち悪いし」
「ひどいな」
「今も変だけど」
「それは知ってる」
ツムギが少し笑う。
俺も何も言い返さない。
こういう会話が増えた。
増えたこと自体は、悪くないと思っている。
しばらく採取を続ける。
風が吹く。草が揺れる。遠くで鳥が鳴く。街の中より、こっちの方が落ち着く。情報量が少ないからだ。
見たいものだけ見ていればいい。
人間の顔色まで拾わなくて済む。
「こんなもんかな」
ツムギが袋の中を覗き込む。
「十分だと思う」
俺も数を確認する。
依頼分は超えている。余分も少しある。買い取りに回せるなら、その分だけ得だ。
「じゃあ戻るか」
「うん」
立ち上がる。
平和だった。
平和すぎて、少しだけ拍子抜けするくらいには。
だが、こういう日がある方が助かる。
毎回死にかける生活を、長く続けられる気はしなかった。
◇
ギルドへ戻り、薬草を納品する。
受付で数を確認され、報酬が支払われる。
銅貨の重みは前より少しだけ現実味があった。これで今日の飯が買える。宿代の一部になる。そういう風に繋がるからだ。
「終わったね」
ギルドを出て、ツムギが伸びをした。
「まだ昼前か」
「どうする?」
空を見上げる。
時間はまだある。
依頼をもう一つ受けることもできる。だが、急ぐ必要はなかった。今日の分はもう稼いだ。無理に増やして怪我をする方が高くつく。
「まだ見てない場所がある」
そう言うと、ツムギが半眼になった。
「また観察?」
「生きるためだ」
「趣味じゃなくて?」
「違う」
即答する。
ツムギはじっと俺を見る。
「絶対趣味」
「違う」
「じゃあ半分趣味」
「しつこいな」
「認めないのが怪しい」
面倒だった。
だが否定しきれるほど、自信もなかった。
街を知る必要があるのは本当だ。安い店。危ない通り。使える道。人の流れ。そういうものを見ておくのは、生きるために必要だと思う。
ただ、必要以上に見ている自覚も少しだけある。
それを言われると面倒だった。
「行くぞ」
「はーい」
ツムギが一歩遅れてついてくる。
表通りから外れ、まだ歩いていない道を選ぶ。一本変わるだけで店の並びは変わる。食い物を売る店が減り、代わりに服や装飾品、刃物や革細工が増える。歩く人間の服も少しだけましになる。道の汚れ方も違う。
さらに進む。
今度は逆に、少し雑多な空気が混じってきた。高い店とも、安宿街とも違う。物を売る声はするが、どこか硬い。呼び込みというより、見世物に近い気配がある。
「……何か変だね」
ツムギが小さく言う。
俺も頷く。
人だかりができていた。
買い物の列ではない。足を止めて、見て、値踏みして、それから流れていく種類の人だかりだった。
妙な声が聞こえる。
「丈夫だぞ!」
「若い!」
「力仕事向きだ!」
足が止まる。
横でツムギも止まっていた。
「何だ?」
「分かんない」
人の隙間から中を見る。
最初に見えたのは木の台だった。
次に鉄の柵。
その次に、首輪。
「……あ」
声が漏れる。
売られていた。
人が。
いや、全部が人間ではない。耳の長い種族。獣の耳を持つやつ。小柄なやつ。大きいやつ。年寄りはいない。若いのばかりだった。
立たされている。
並ばされている。
値札みたいな札を首から下げているやつもいた。
意味が分からなかった。
いや、分かる。
分かるから余計に嫌だった。
「クレ」
ツムギの声が低い。
横を見ると、顔が強張っていた。
「行こ」
その判断は正しいと思った。
見ていい場所じゃない。
分かろうとしていいものでもない。
なのに、視線が切れなかった。
売られている。
物みたいに。
いや、この街ではたぶん、物として扱われているのだ。
鍋や布や刃物と同じように、値段を付けられて並んでいる。
人間社会だな、と思った。
その感想が一番嫌だった。
整っている。
秩序がある。
呼び込みの声も、値札も、柵も、全部ちゃんと仕組みとして収まっている。
だから余計に気持ち悪い。
「……行くぞ」
ようやくそう言って、踵を返しかける。
その時だった。
「助けてー!」
場違いなくらい明るい声が響いた。
思わず振り返る。
柵の内側。
そこで一人だけ、空気の違うやつがいた。
年は俺たちより少し下かもしれない。獣の耳が生えている。服は粗末で、首輪もついている。なのに顔だけが妙に明るい。
「そこのお兄さん! 助けて!」
俺は即答した。
「嫌だ」
「即答!?」
声が大きい。
周囲の視線が少しだけ動く。面倒だった。
「見捨てた!」
「当たり前だ」
「お兄さん冷たい!」
「金がない」
本当だった。
いや、金があっても困るが、今は本当に余裕がない。
するとそいつは、一瞬だけ真顔になってから言った。
「稼いで!」
「嫌だ」
「また即答!?」
横で、ツムギが吹き出しそうな顔をしている。
笑うな。
余計に面倒になる。
獣耳のやつは柵にしがみつく。
「ひどい! 人の心ないの!?」
「売られてるやつの第一声がそれなのか」
「助けてって言ったじゃん!」
「軽いんだよ」
「重く言い直す!? 助けてくださいお願いします!」
「嫌だ」
「硬くなっただけじゃん!」
うるさい。
本当にうるさい。
それなのに、目が合うと少しだけ妙だった。
明るい。
明るすぎる。
この場所にいて、そんな声が出るのが少し不自然だった。
だが、そこまで考える理由もなかった。
「行くぞ」
今度こそツムギに言う。
ツムギはまだ少し笑いを堪えていたが、頷いた。
「うん」
背を向ける。
後ろからまだ声が飛ぶ。
「ほんとに行くの!?」
「行く」
「薄情!」
「知ってる」
「お兄さん絶対そのうち後悔するからね!」
「しない」
「するってー!」
うるさいまま、声は少しずつ遠ざかる。
俺は振り返らなかった。
ツムギも何も言わなかった。
少し歩いてから、ようやく小さく息を吐く。
「……変なやつだった」
ツムギが口元を押さえたまま頷く。
「うん」
「たぶん、もう会わない」
そう言うと、ツムギは少しだけ変な顔をした。
だが何も言わなかった。
俺も、それ以上は何も言わない。
街の音がまた戻ってくる。
物を売る声。荷車の音。人の足音。人間の匂い。
その中に、さっきの明るすぎる声だけが妙に残っていた。
アルバート初登場回です。
書いている本人も「うるさいな、こいつ」と思いながら書いていました。
ただ、こういう人間ほど妙に頭から離れなかったりします。
クレはまだ気付いていませんが。




