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3話 出会い

森で出会った少女は、少し変だった。


見知らぬ男を警戒しながらも、放っておけないと言う。


第三話です。

「ツムギ」


口の中で、その名前を一度転がす。


聞き慣れないはずなのに、不思議と引っかからなかった。

音が柔らかい。

本人に少し似ている気がする。


ツムギは俺が名前を繰り返したのを聞いて、少しだけ目を細めた。


「うん、ツムギ」


確認するように言う。


その言い方が妙に素直で、少しだけ困る。

こういう反応は、まだ扱いに慣れていない。


俺は一拍置いてから言った。


「クレ」


ツムギが瞬きをする。


「クレ?」


「そう」


本名ではない。

だが、何となくそう名乗った。


理由は自分でもよく分からない。

死んだはずの場所から離れたかったのかもしれないし、知らない世界でまで佐々木望実を背負う気になれなかったのかもしれない。


どちらにせよ、今の俺にはクレの方がしっくりきた。


ツムギは少し考えるように首を傾げた。


「変わった名前」


「自覚はある」


否定すると面倒そうだったので、そのまま認める。


するとツムギは、ふっと小さく笑った。

さっきの笑い方より静かで、少し気が緩んだような笑い方だった。


「クレは、村の人じゃないよね」


「違うな」


「やっぱり」


即答すると、ツムギは納得したように頷く。


そりゃそうだろう。

服も靴も、この世界の人間から見ればかなり怪しいはずだ。

むしろ、よく悲鳴を上げられなかったものだと思う。


ツムギは籠を抱え直しながら、今度は少しだけ真面目な顔になった。


「どこから来たの?」


答えに詰まる。


死んで、気付いたら森にいた。

それが事実だ。


だが、事実は大抵、説明に向いていない。


「……分からない」


少し迷ってから、そう答えた。


嘘ではない。

分からないものは、分からない。


ツムギはすぐには口を開かなかった。

困ったように俺を見て、それから目を伏せる。


露骨に疑っているわけではない。

でも、信じ切っているわけでもない。


その曖昧さが、妙に安心できた。


簡単に信じる人間は怖い。

何も考えず疑う人間も、あまり好きじゃない。


ツムギは少し考えてから言った。


「気付いたら森にいた、って感じ?」


「そんな感じだ」


「……そっか」


やっぱり困った顔をする。


それでも、追及はしなかった。

代わりに、別のことを聞いてくる。


「お腹空いてる?」


「分からない」


「分からない?」


「空腹感があんまりない」


ツムギが目を丸くする。


変な答えだった自覚はある。

でも仕方ない。

本当に、空腹も喉の渇きも、驚くほど薄かった。


死んだ影響か、異世界補正か、ただの気のせいか。

どれもろくな説明ではない。


「変な人」


ツムギが言う。


声に棘はなかった。

ただの感想みたいだった。


「それはさっきも言われた」


「だって本当に変なんだもん」


少しだけむっとした顔で言う。

その表情が妙に年相応で、少し笑いそうになる。


ツムギは続けて聞いた。


「じゃあ、家は?」


「ない」


「家族は?」


少しだけ考える。


父も母も、たぶんいる。

あの世界には。


でも、今ここに俺の家族がいるかと聞かれれば、いない。


「いるとは思う」


「思う?」


「多分」


ツムギは黙った。


眉間に薄く皺が寄る。

分からない相手を前にした時の、正しい困り方だった。


俺だって困っている。

自分のことなのに、うまく説明できない。


風が吹いた。


葉が揺れる。

遠くで鳥みたいな鳴き声がした。

森は静かではないのに、会話が止まるとやけに沈黙が濃く感じた。


ツムギが俺を見る。

俺もツムギを見る。


やっぱり人間だった。


目は二つ。

耳も普通。

牙もない。

腕も脚も見慣れた本数だ。


それだけで少し安心している自分がいる。


ツムギは小さく息を吐いてから、言った。


「……行く場所、ないんだよね」


「ないな」


即答だった。


迷う理由がない。

森で一人で生きられるほど、俺はこの世界を知らない。


ツムギは籠の持ち手を指で弄りながら、少し悩むように視線を泳がせた。


こういう時、人は分かりやすい。

助けたい気持ちと、面倒を抱え込みたくない気持ちが、両方ある顔だ。


それでいいと思う。

むしろ、その方が信用できる。


しばらくして、ツムギは意を決したみたいに顔を上げた。


「じゃあ、うち来る?」


「……」


一瞬、言葉の意味が入ってこなかった。


「うち?」


「うん。ずっと森にいるわけにもいかないでしょ」


それはそうだ。


正しい。

正しすぎる。


だが、見知らぬ男を家に連れて帰る判断としては、かなり危うい。

少なくとも、俺なら少し躊躇う。


「そんな簡単に誘っていいのか」


思ったまま言うと、ツムギはきょとんとした。


「困ってるんでしょ?」


「まあ、そうだが」


「だったら放っておけないし」


あっさり言う。


そこに打算がない。

少なくとも、ほとんど見えない。


少し驚く。


こういう人間は、嫌いじゃない。

理解はしにくいけれど。


「危ないかもしれないぞ、俺」


試しに言ってみる。


ツムギは数秒だけ真面目に俺の顔を見た。


観察している。

たぶん俺よりずっと雑だけど、ちゃんと見ている。


それから首を振った。


「危なそうには見えない」


「見た目で判断するのは危ない」


「クレがそれ言う?」


「俺はいいんだ」


「よくないよ」


少しだけ笑いながら返される。


調子が狂う。

だが、嫌ではなかった。


ツムギは改めて言った。


「来る?」


俺は考える。


知らない少女について行く。

危険かもしれない。

騙されるかもしれない。

村に着いた瞬間、余所者として縛られる可能性だってある。


でも、森に残るよりはましだ。


少なくとも、今の情報量で選ぶなら最適解に近い。

それに。


少しだけ、この少女に興味があった。


何の得があるわけでもないのに、困っている相手を拾おうとする人間。

そういうのは、観察対象としてもかなり面白い。


「……世話になる」


そう言うと、ツムギの顔からわずかに緊張が抜けた。


「うん」


大きく笑うわけではない。

でも、確かに嬉しそうだった。


その反応に、ほんの少しだけ胸の奥がざわつく。


歓迎されることに慣れていないわけではない。

でも、理由の薄い好意には慣れていなかった。


ツムギは踵を返す。


「こっち」


短く言って、慣れた足取りで森の中を進み始めた。


俺はその背中を追う。


細い背中だった。

頼りなさそうにも見える。

なのに、不思議と迷いがない。


この世界で生きる人間の背中だ、と思った。


少し歩いてから、ツムギが振り返らずに言う。


「ちゃんとついてきてる?」


「いる」


「よかった」


それだけで、また少し安心したようだった。


変なやつだと思う。


俺がいなくなっていた方が、むしろ安全かもしれないのに。


だが、そういう人間だからこそ、気になる。


人間は分からない。


ずっとそう思ってきた。


怒る理由。

笑う理由。

泣く理由。

好きになる理由。

嫌いになる理由。


分からないことばかりだ。


でも今は、少しだけ違うことを考えていた。


理解したい。


人間全体を、ではない。


まずは、このツムギという少女を。


その時の俺は、まだ知らなかった。


この出会いが、ただ助かっただけでは終わらないことを。

そして、逃げることばかり考えていた俺に、いずれ帰る場所を作ることを。


第三話を読んでいただきありがとうございます。


クレにとってツムギは、この世界で初めて出会った「観察したい人間」になりました。


人間全体を理解したいと思っていたクレですが、実際には目の前の一人を理解することすら簡単ではありません。


そしてツムギもまた、そんなクレを少しずつ気にし始めています。


次回は村へ向かいます。

クレにとって初めての居場所になるかもしれません。

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