7話 見えるもの
見えることと、対処できることは違います。
そして、見えないものは時に見えるものより厄介です。
ゴブリンの耳を袋へ押し込み、俺たちは街へ向かって歩き出した。
辺りは薄暗くなっていた。
夕日は沈みかけている。
野原は赤く染まり、風が吹くたびに草が揺れた。
「急ごう」
「うん」
ツムギも頷く。
宿代はまだ足りない。
それでも街へ戻る方がいい。野宿よりはましだ。そう思いながら歩いていると、違和感を覚えた。
「……」
草が倒れている。
一ヶ所じゃない。
何本も。
何度も。
新しい。
今日できた跡だ。
「クレ?」
「静かに」
しゃがみ込む。
足跡。
小さい。
ゴブリン。
しかも一匹じゃない。
俺は眉をひそめた。
おかしい。
街が近い。
近すぎる。
ギルドの話では、街周辺は定期的に討伐されているはずだ。なら何故いる。しかも複数。
その時だった。
ガサッ。
草が揺れた。
「ッ!」
振り返る。
いた。
ゴブリン。
だが先ほどの個体ではない。
片手剣を持っている。
さらに。
「クレ! 後ろ!」
ツムギの声。
振り返る。
木陰。
弓を持ったゴブリン。
挟まれた。
「……」
息を吐く。
逃げる。
ただそれだけを考える。
勝つ必要はない。
生き残ればいい。
頭の中で、半透明の文字を思い浮かべる。
名前:クレ
筋力:E+
耐久:D-
敏捷:D
感覚:B-
魔力:E
スキル
観察 Lv2
心拍強制 Lv1
罠仕掛 Lv2
「……使えそうなものはないな」
都合良く助けてくれるスキルは無かった。
あるのは観察だけ。
なら見る。
ゴブリン。
距離。
地形。
草丈。
斜面。
木。
そして弓ゴブリン。
「……撃たない?」
気付く。
撃てないのだ。
片手剣ゴブリンが射線上にいる。
俺たちだけではない。
仲間も邪魔になっている。
「ツムギ」
「う、うん」
声が震えていた。
当然だ。
俺も怖い。
「右へ走れ」
「え?」
「できるだけ大きく回れ」
ツムギは一瞬だけ迷った。
だが頷く。
「分かった」
助かる。
こういう時、説明を求めない。
俺は小さく息を吐く。
「三」
片手剣ゴブリンが近付く。
「二」
弓が引かれる。
「一」
「走れ!」
ツムギが飛び出す。
弓ゴブリンがそちらを見る。
だが撃てない。
片手剣ゴブリンが邪魔だ。
その隙に俺は動かない。
いや、動けない。
片手剣ゴブリンが突っ込んでくる。
速い。
だが真っ直ぐだ。
「ギィ!」
剣が振られる。
俺は横へ転がる。
剣先が肩を掠めた。
熱い。
だが浅い。
立ち上がりながら周囲を見る。
石。
草。
薬草袋。
そして。
討伐証明。
袋の口から、先ほど回収したゴブリンの耳が覗いていた。
「……」
片手剣ゴブリンの動きが変わる。
耳を見た。
ほんの一瞬。
だが確かに見た。
怒った。
そう見えた。
「そういうことか」
確証はない。
だが反応した。
なら利用できる。
ゴブリンが再び突っ込んでくる。
俺は耳ごと薬草袋を掴み、思い切り横へ投げた。
袋が草むらへ飛ぶ。
ゴブリンの視線も飛ぶ。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
だが十分だった。
「今だ!」
俺は走る。
ゴブリンの横を抜ける。
背後で怒鳴り声のような鳴き声が響いた。
振り返らない。
確認もしない。
ただ走る。
生き残るために。
その時だった。
前方の草むらから、さらに別の足音が聞こえた。
俺は顔を上げる。
――ゴブリンは二体ではなかった。
低い茂みの向こうから、もう一体が姿を見せる。
木の棒を持っている。
三体目。
最悪だった。
前。横。後ろ。
全部が面倒な方へ寄っていく。
「クレ!」
右からツムギの声が飛ぶ。
見ると、ツムギは大きく回り込んでいた。言った通りに動いた結果、三体目の外側へ抜けている。
ならまだ終わっていない。
三体目は俺を見る。
距離は近い。
だが短い棒しかない。
問題は後ろだ。
片手剣持ちと弓持ちが追ってきている。
全部まともに相手にするのは無理だ。
なら、順番を狂わせるしかない。
俺は走る角度を少しだけ変える。
三体目へ正面からではなく、斜めに。
ゴブリンは目で追う。
身体の向きが遅れる。
そこへツムギの投げた石が飛んだ。
肩に当たる。
大した威力ではない。
だが、それで顔がぶれる。
十分だった。
俺は踏み込む。
棒が振られる。
遅い。
身体を開く。
掠める。
そのまま懐へ入る。
小刀を握った手で喉ではなく目元を狙う。
深くは入らない。
だが嫌がるには足りた。
「ギッ!?」
悲鳴。
その横を抜ける。
止まらない。
後ろで転ぶ音がしたが、確認しない。
「こっち!」
ツムギが叫ぶ。
右前方。
低い窪地。
その先は少しだけ下りになっている。
俺は迷わずそちらへ走る。
地面が柔らかい。
草丈が深い。
走りにくい。
だが後ろの足音も乱れる。
片手剣持ちは重心が高い。
弓持ちは足場が悪いと止まる。
追いつかせにくい地形だ。
「左へ!」
今度は俺が叫ぶ。
ツムギが進路を変える。
窪地の途中、黒い土が見えた。
水が抜けきらない場所だ。
そこを飛び越える。
俺は越えた。
ツムギも越える。
その瞬間、背後で短い悲鳴が上がった。
一体、嵌った。
振り返らずとも分かる。
重さの軽いゴブリンでも、勢いをつけたまま踏めば沈む。
さっきまで歩いてきた土の色と違った。そこだけ草が薄かった。踏まれた形跡も少なかった。
だから避けた。
それだけだ。
「まだ来る!?」
ツムギが息を切らしながら聞く。
「来る!」
答える。
優しく言う余裕はなかった。
背後の音は減ったが、消えていない。
一体は追ってきている。
弓か、片手剣か。
どちらにせよ面倒だ。
前方に、ようやく街道が見えた。
踏み固められた土。
轍。
荷馬車の跡。
人の気配。
救いだった。
「そのまま出ろ!」
草を抜ける。
街道へ飛び出す。
ちょうどその時、荷馬車が一台、こちらへ向かってきていた。
御者が目を見開く。
「なんだお前ら!?」
「後ろだ!」
叫ぶ。
それだけで十分だったらしい。
荷馬車の横を歩いていた護衛らしき男が、反射で槍を構える。
草むらの奥で、追ってきていたゴブリンが止まった。
街道までは出てこない。
人の数を見たのか、武器を見たのか、それとも単に機を逃したのか。
数秒の睨み合いの後、草の奥へ引っ込んだ。
「……っ、は」
息が漏れる。
止まった瞬間、膝から力が抜けそうになる。
だが倒れはしない。
倒れたら面倒だ。
「おい、大丈夫か」
護衛の男が聞く。
「たぶん」
またその言葉かと自分でも思った。
だが他に適した返事が浮かばない。
男は草むらを見て、舌打ちした。
「まだこんな近くにいやがるのか」
「近いのか?」
俺が聞くと、男は顔をしかめる。
「近い。だから本当は街の近くじゃ低ランクのゴブリン依頼は減ってるはずなんだがな」
面倒な情報だった。
つまり、今日の遭遇は運が悪いだけではないのかもしれない。
だが今は掘る気力がない。
ツムギが俺の隣へ来る。
肩で息をしていた。
「クレ」
「なんだ」
「袋」
「あ」
薬草袋。
投げた。
置いてきた。
一瞬、頭が真っ白になる。
初依頼の成果が消えた。
耳も入っていた。
最悪だった。
だが次の瞬間、ツムギが自分の背負い袋を軽く叩く。
「半分はこっちに移してた」
「……いつ」
「途中」
意味が分からない。
本当に分からない。
「なんで」
「クレが落としそうだったから」
「俺はそんなに頼りないか」
「うん」
即答だった。
少し腹が立つ。
だが助かったのも事実だ。
護衛の男が俺たちを見て、呆れたように笑う。
「生きてるなら十分だろ」
それはそうだった。
薬草は減った。
耳も一つ失った。
だが生きている。
それ以上を求めるほど、まだ余裕はない。
◇
街へ戻る頃には、空はほとんど暗くなっていた。
門番は朝と同じ顔だった。
冒険者カードを見せると、それ以上は何も聞かれない。
銀貨一枚も取られない。
それだけで少しだけ、この薄い板の価値が分かった。
ギルドへ戻る。
昼間より人は少ないが、それでもまだ灯りは消えていない。
受付へ行き、薬草を提出する。
数を確認される。
足りない分は当然、金にならない。
だが持ち帰れた分だけでも報酬は出た。
毒消し草も少し混ざっていたらしく、想定よりは多い。
問題はゴブリン討伐だった。
「討伐証明は?」
受付嬢が聞く。
俺は少しだけ黙る。
一つ失った。
そう思った時、ツムギが腰袋から耳を取り出した。
「これ」
「……持ってたのか」
「拾ってた」
本当に分からない。
いつの間にそんなことをしていたのか。
受付嬢は耳を確認し、頷く。
「一体分ですね」
一体分。
十分だった。
薬草採取。
毒消し草の追加分。
ゴブリン一体分。
まとめて受け取った金は、思っていたより重かった。
銀貨には届かない。
だが銅貨の束として手に乗ると、働いた実感だけは少し出る。
「どうする?」
ギルドを出た後、ツムギが聞く。
「宿、取れるかな」
計算する。
今夜一泊の最安値なら、ぎりぎりいけるかもしれない。
ただし余裕は減る。
食事を考えると、安い方がいい。
「安宿だな」
「だね」
ツムギは嫌そうではなかった。
助かる。
むしろ少し安心したように見えた。
俺も同じだった。
野宿をしなくて済む。
たったそれだけで、今日の評価は少し上がる。
歩きながら、小さく呟く。
「ステータス」
半透明の文字が浮かぶ。
名前:クレ
年齢:17
筋力:E+
耐久:D-
敏捷:D
感覚:B-
魔力:E
スキル
観察 Lv3
心拍強制 Lv1
罠仕掛 Lv2
「……」
上がっていた。
観察。
たぶん、ゴブリンの動き。地形。射線。足場。そういうものを見続けた結果だろう。
嬉しいかと言われると、少し違う。
便利ではある。
だが、便利になった理由があまり嬉しくない。
「どうかした?」
ツムギが聞く。
「少しだけ、見えるものが増えた」
「なにそれ」
「俺にもよく分からん」
本当だった。
街の灯りが見える。
人の声が聞こえる。
今はそれが、昼より少しだけましに思えた。
たぶん、今日生きて戻れたからだ。
そして俺たちは、今夜の寝床を探すために安宿街の方へ足を向けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
第七話はクレらしい勝ち方……と言うより、生き残り方を書いた回でした。
強いから勝ったわけではありません。
見て、考えて、逃げた。
それだけです。
ですが、クレにとってはそれが一番大事なことなのかもしれません。
そして街の近くに現れたゴブリン達。
その違和感は、第二章後半へ繋がっていきます。




