1話 旅の道中
第一章を読んでくださった皆様、ありがとうございます。
第二章は村の外へ出ます。
魔物より危険なもの。
強い敵より面倒なもの。
クレはこれから、それらと向き合うことになります。
もっとも本人は、向き合うつもりなどないでしょうが。
村を出てから、どれくらい歩いただろう。
朝の冷たさはもう薄れ、代わりに陽の熱が肩へ落ちてきていた。背中の荷物は軽い。中身が少ないからだ。食料も水も、旅と言うには頼りない。
それでも足は止まっていない。
止めたところで、戻る気はなかった。
振り返らなかったのは、格好をつけたかったからじゃない。見たら面倒になると思っただけだ。村も、残してきたものも、ちゃんと見たら足が鈍る気がした。
隣ではツムギが、俺より少しだけ軽い足取りで道を歩いていた。
疲れていないわけではないはずだが、それをあまり顔に出さない。昨日まで畑にいた女が、今日には旅支度をして村を出ている。その事実がまだ妙だった。
もっと止めると思っていた。
もっと迷うと思っていた。
なのにツムギは、最初から決めていたみたいな顔で俺の隣を歩いている。
「ちょっと待って」
ツムギがしゃがみ込んだ。
道端の草へ手を伸ばす。細い葉を二枚ちぎり、匂いを確かめるように鼻先へ寄せた。
「食えるのか」
「うん。ちょっと苦いけど」
「分かるのか」
「分かるよ。これは普通」
普通、と言われても俺には全部同じ草に見える。
ツムギはさらに少し先の低木から、赤い実をいくつか摘み取った。掌の上で土を払い、小さく何かを呟く。すると、実の表面を薄い水が滑った。
「……今のが生活魔法か」
「そう」
何でもないことみたいに答える。
差し出された実を受け取り、口に入れる。甘さは弱いが、酸味はちゃんとしていた。
「食える」
「食べ物だからね」
「毒かもしれないだろ」
「それは見れば分かる」
言い切る声に迷いがない。
強いな、と思う。
剣が振れるとか、魔物を一人で倒せるとか、そういう意味じゃない。こいつは生きるための知識を持っている。腹を満たして、水を見つけて、火を起こして、寝る場所を探せる人間だ。
旅に必要なのは、たぶんそういう方だ。
小さく呟く。
「ステータス」
半透明の文字が視界に浮かぶ。
名前:クレ
年齢:17
筋力:E+
耐久:D-
敏捷:D
感覚:B-
魔力:E
スキル
観察 Lv2
心拍強制 Lv1
罠仕掛 Lv2
称号
異邦人
「……」
改めて見ると、やはり頼りない。
弱い、というより、足りない。
戦うにしても中途半端だ。逃げるにしても速いわけじゃない。感覚だけは悪くないが、それだけで旅が成立するほど世界は甘くない。
観察は便利だ。
だが、観察だけで腹は膨れないし、傷も塞がらないし、夜露もしのげない。
熊にも勝てない。
いや、勝ったのだが。
あれは勝ったというより、生き残っただけだ。二度とやりたくない。
肩に何かがぶつかった。
「うお」
横を見ると、ツムギがいた。
「何してるの?」
「考え事」
「また?」
「まただな」
ツムギが呆れた顔をする。
最近よく見る顔だった。
「今度は何」
「ステータス」
「あー」
納得したように頷く。それから、少し得意そうに言った。
「ちょうどいい」
「何がだ」
「私のも見る?」
「なんで」
「人を見るの好きでしょ」
言い返せなかった。
ツムギはその反応に満足したらしく、道端へしゃがみ込む。落ちていた細い枝を拾って、乾いた土の上へ文字を書き始めた。
「ステータス」
ツムギ
年齢:17
筋力:D
耐久:D
敏捷:D-
感覚:C
魔力:D+
スキル
農作 Lv4
採集 Lv3
植物知識 Lv3
料理 Lv2
生活魔法 Lv2
称号
ソリ村の農家
「……」
見終わる。
それからもう一度見る。
採集。植物知識。料理。生活魔法。
旅で死ににくいやつだ。
少なくとも俺よりずっと。
「何」
ツムギが少し警戒した顔になる。
「強いな」
本音だった。
筋力の話じゃない。旅をする上で必要なものが、こいつには最初から揃っている。食える草を知っていて、水を綺麗にできて、火も使えて、料理もできる。旅向きなのはどう見てもこっちだ。
「そう?」
「そうだ」
「村じゃ普通だよ」
「旅では普通じゃないと思う」
俺にはない。
そう言うと、ツムギは少しだけ照れたように笑った。
「褒めてる?」
「事実を言ってるだけだ」
「褒めてるんだ」
勝手に納得している。
面倒なので否定しない。
気になったことをそのまま口にした。
「生活魔法って、水を出すだけか」
「水だけじゃないよ」
「他にもあるのか」
「ある」
ツムギは立ち上がると、少し離れた石のそばへ歩いた。落ち葉を集めて指先を向ける。小さく呟くと、葉の端に火が灯った。
本当に小さい火だった。焚き火というより、火種に近い。
「火」
次に、同じ手で袖の土汚れを払う。薄い光が一瞬だけ走り、茶色い汚れが少し薄くなった。
「汚れ落とし」
さらに掌の上へ、細い水の筋を出す。ほんの少しだが、喉を湿らせるには十分だった。
「水」
「便利だな」
「便利だよ」
即答だった。
「旅するなら必須」
少し胸を張る。偉そうだった。
「じゃあ俺にもできるか」
「魔力があればね」
「俺も魔力Eだったぞ」
ツムギは少し黙る。
それから、優しい顔で言った。
「……頑張って」
「その間は何だ」
「そのままの意味」
笑いを堪えきれず、肩を揺らしている。
俺は小さく息を吐いた。
「お前、思ったより容赦ないな」
「クレ相手ならこれくらいでいいかなって」
「どういう判断だ」
「変な人だから」
前にも聞いた評価だった。
不服ではない。納得もしていないが。
少し歩くと、道が緩やかに下り始めた。遠くに木立が見える。その向こうには、細く光る川筋もある。
ツムギが先に気づいて言う。
「あそこで少し休めるかも」
俺も頷く。
悪くない。日が高いうちに水場へ着けるのは助かる。
観察で道を見ることはできる。足跡も、草の倒れ方も、遠くの地形も拾える。だが、水が飲めるか、草が食えるか、火が起こせるかは別だ。
俺一人なら、もう少し無駄に疲れていたと思う。
「クレ」
「なんだ」
「さっきの、本当に褒めてた?」
「しつこいな」
「大事だから」
少しだけ考える。
ごまかす意味もなかった。
「……助かる、と思った」
ツムギが足を止める。
何を言われるのかと思って横を見ると、妙に静かな顔でこっちを見ていた。
「何だ」
「いや」
それだけ言って、少しだけ口元を緩める。
「私も」
「何が」
「クレがいて助かる」
即答されて、返事に困った。
俺は会話が得意じゃない。人を観察する方が楽だ。何を考えているのかを外から見る方が、自分の中を探るよりずっと簡単だ。
なのに今は、隣のこいつの言葉の方が扱いに困る。
「……そうか」
やっとそれだけ返した。
ツムギは満足したように前を向く。
その横顔を見ながら思う。
この旅で生き残るのに必要なのは、俺の観察だけじゃない。
たぶん、ツムギも同じくらい必要だった。
その時だった。
ふいに、感覚の端が何かを拾った。
足を止める。
「クレ?」
ツムギが振り返る。
道の先。川の方角。木々の隙間の向こうで、一瞬だけ何かが光った気がした。
金属。
刃物か、鍋か、それとも別の何かか。
人の気配も、ある。
「誰かいる」
小さく言うと、ツムギの顔から笑みが消えた。
旅に出てから、初めて会う他人かもしれない。
俺は無意識に、少しだけ息を浅くした。
第二章スタートです。
今回は旅の始まりと、クレとツムギの役割確認回でした。
クレは観察が得意ですが、生きる力そのものはまだ不足しています。
逆にツムギは戦闘向きではない代わりに、生活する能力が非常に高いです。
この二人は似ているようで、実はかなり違います。
そして次回、二人は村の外の人間と出会います。
森の外では、グリムベアより厄介なものが待っているかもしれません。




