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11話 痕跡

違和感はあった。


根拠はなかった。


だから確認しに行った。


第十一話です。

その夜。


ツムギが寝たのを確認してから、俺は静かに起き上がった。


床板が鳴らない場所を選んで歩く。

扉に手をかける。

ゆっくり開ける。


夜風が少し冷たかった。


「……」


違和感が残っていた。


ニーラビットの減り方。

森の静けさ。

ツムギの怖いという言葉。


どれも決定的じゃない。

だが、無視するには十分気持ち悪かった。


理由はまだ分からない。


だから、確認したかった。


俺は森へ向かう。


灯りは持たない。

必要以上に目立ちたくなかった。


月明かりだけを頼りに歩く。


夜の森は、昼とは別物だった。


暗い。

静かだ。

空気が重い。


風が葉を揺らす音だけが、やけに遠く聞こえる。


罠の場所へ向かう。


一つ目は空だった。


二つ目も空。


三つ目で、足が止まる。


「……」


ニーラビットだった。


罠に掛かっていたわけじゃない。


死んでいた。


俺は近付く。


しゃがむ。


見る。


胴体が大きく抉れていた。


正確には、噛み千切られている。


肉が裂けていた。

骨が覗いている。

毛は血で固まっていた。


月明かりの下でも、それが新しい傷だと分かった。


「……たまたまじゃない、か」


小さく呟く。


ツムギの勘。

森の違和感。

収穫の減少。


全部が少しずつ繋がり始める。


ニーラビットが減った理由。


捕食者。


その可能性が高い。


だが、少し引っかかった。


食べ残し方が妙だった。


全部持っていかれていない。

獲物を安全な場所へ運んだようにも見えない。

その場で適当に噛み荒らして、途中で興味を失ったような跡だった。


普通はどうなのか、俺は詳しく知らない。

獣の習性なんて専門外だ。


それでも、気持ち悪いと思った。


生きるために食ったというより、壊したついでに齧ったみたいだった。


立ち上がる。


周囲を見る。


地面。

木。

草。

影。


血があった。


飛び散った跡が、少し奥まで続いている。


追うべきじゃない、と思う。


その場で村へ戻って、朝になってからツムギに話す方が正しい。

一人で夜の森をうろつく理由なんて、本当は一つもない。


でも、足は止まらなかった。


知りたかった。


理解したかった。


何がいるのか。

何が起きているのか。


それを見ないまま帰る方が、たぶん落ち着かない。


血痕を追う。


少し歩く。


臭いが強くなる。


鉄みたいな匂い。

生臭い、嫌な匂い。


月明かりの届かない場所は暗い。

見落としそうになるたび、意識して目を凝らす。


木の根を避ける。

草を踏み分ける。

音を立てないように進む。


嫌な予感しかしなかった。


それでも進む。


そして、見つけた。


「……うわ」


声が漏れる。


人の腕だった。


地面に転がっている。


月明かりの下で、妙に白かった。


見間違いじゃない。


細いとか太いとか、そういう問題じゃない。

形で分かる。

指が五本ある。

肘から先だ。

人間の腕だった。


教科書で見た図とも違う。

映画の作り物とも違う。


現実の肉だった。


現実の、人の一部だった。


吐き気は無かった。


代わりに、頭の奥が妙に静かになった。


理解してしまったからだ。


これは獣の食い散らかしだけじゃない。


誰かだ。


この森で、誰かが死んだ。


「……」


立ち尽くす。


森は何も答えない。


鳥も鳴かない。

虫の音もしない。

風だけが木を揺らしている。


さっきまでの違和感が、最悪の形で輪郭を持った。


ニーラビットが減っていたのは、ただの不漁じゃない。

森が静かだったのは、気のせいじゃない。


何かがいる。


小さな獲物だけじゃなく、人間まで殺せる何かが。


その瞬間、背筋が冷えた。


遅かった、と思う。


確認しに来た時点で遅い。

一人で来た時点でもっと遅い。


それでも、今さらだ。


俺はゆっくり息を吸う。


目を離さない。


腕の先。

血痕の続き。

さらに奥の暗がり。


まだ何かあるかもしれない。

まだ“それ”が近くにいるかもしれない。


そう考えた瞬間、全身の筋肉が硬くなった。


ここに長くいるべきじゃない。


分かる。

今度はちゃんと分かる。


だが、足がすぐには動かなかった。


嫌な予感は、当たっていた。


しかも、思っていたよりずっと悪い形で。


第十一話を読んでいただきありがとうございます。


違和感は間違っていませんでした。


そして、最悪な形で証明されました。


次回『怠る』

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