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10話 静かな森

違和感は残っていた。


理由はまだ分からない。


それでも、人は理由が分からないまま生活を続ける。


第十話です。

森がおかしい。


最初にそう言ったのはツムギだった。


俺ではない。


俺はまだ断定できない。

判断材料が少ないからだ。


この世界の森を、俺はほとんど知らない。

ニーラビットが減る頻度も、鳥の鳴き声の多さも、虫の羽音の濃さも、基準を持っていない。


だが、ツムギは違う。


この森で育ってきた。

この森の近くで暮らしてきた。

日々の変化を、きっと無意識のうちに覚えている。


だから分かるのだろう。


“いつもと違う”が。


「今日はどうする?」


畑仕事の途中で、ツムギが聞いた。


鍬を止めずに言うあたり、たぶん半分は諦めている。

俺が何を言うか、予想している顔だった。


「罠を見る」


「また?」


「また」


ツムギは少しだけ呆れた顔をした。


意味が分からない。


気になるのだから仕方がない。

放っておいて解決する種類の違和感には思えなかった。


「変な人」


最近よく言われる。


否定はしない。


昼過ぎ、作業を切り上げて森へ向かう。


道中、ツムギはあまり喋らなかった。

俺も喋らない。


風の音だけがある。

葉の擦れる音だけがある。


森に入って、最初の罠を見る。


空だった。


二つ目も空。


三つ目も空。


「……」


言葉が出ない。


少ない、では足りない気がした。

いない、に近い。


「だろ?」


ツムギが言う。


「だな」


今回は否定できなかった。


近くの地面を見ても、足跡が少ない。

ニーラビットのものと思われる小さな跡はある。

だが、前に比べて薄い。

数も減っている。


俺でも分かる程度には減っていた。


生き物が減る理由はいくつかある。


病気。

縄張り争い。

環境の変化。

季節。

移動。


そして、捕食者。


その中で一番嫌なのは最後だった。


何かがいる、ということだからだ。


それも、ただいるだけではない。

周囲の小動物が目に見えて減るほどの何か。


「クレ」


ツムギが呼ぶ。


「なんだ」


「帰ろ」


珍しかった。


ツムギが自分から森を離れたがるのは。


少しだけ意外で、少しだけ納得もする。


「怖いか?」


聞いてみる。


ツムギはすぐには答えなかった。

少しだけ考えるように森の奥を見て、それから言う。


「うん」


即答ではなかった。


だから本音だと思った。


軽く言ったわけではなく、ちゃんと認めた怖さだ。


「……」


俺も周囲を見る。


木。

草。

土。

揺れる葉の影。


何もない。


何も見えない。


でも、それが気持ち悪い。


森は本来、もっと騒がしいはずだ。

鳥が鳴く。

虫が飛ぶ。

小動物が草を鳴らす。

どこかで何かが生きている音が、絶えずある。


今日はそれが少ない。


静かだった。


静かすぎる。


「帰るか」


今度は俺が言う。


ツムギは小さく頷いた。


帰り道、ツムギは少し元気がなかった。


歩く速さは変わらない。

でも、背中がいつもより少し固い。


だから、珍しく聞いてみる。


「好きなのか」


「なにが?」


「この森」


ツムギは少し驚いた顔をした。


こんなことを俺が聞くとは思っていなかったのだろう。


それから、ふっと笑う。


「好きだよ」


即答だった。


「小さい頃から一緒だもん」


一緒。


少し変な言い方だと思った。

森は人じゃない。

隣に座って話す相手でもない。


でも、ツムギにとってはそういう距離感なのだろう。


日々見てきたもの。

慣れた匂い。

見上げた木。

歩いた道。


そういう積み重ねが、“好き”になるのかもしれない。


俺にはまだよく分からない感覚だった。


場所に愛着を持つこと。


当たり前の人には当たり前なのだろうが、俺には少し遠い。


でも。


少しだけ羨ましいと思った。


村へ戻る。


夕方だった。


空は赤い。

畑が染まって見える。

家々の影が長い。

子供たちの声が遠くから聞こえる。


見慣れてきた景色だった。


いつもと同じに見える。


本当に、いつもと同じだった。


だからこそ気付けないのかもしれない。


日常が壊れる前というのは、案外こんなものなのだろう。


平和に見える。

静かに続いているように見える。

誰も、まだ壊れ始めたとは思わない。


夜。


食事を終えて、片付けをして、灯りを落とす。


ツムギはすぐに眠った。


寝息は浅くない。

ちゃんと眠れているように聞こえる。


俺は目を閉じる。


だが、眠れなかった。


理由は分かっている。


森だ。


あの静けさが頭に残っている。

ニーラビットの減り方。

鳥の少なさ。

虫の気配の薄さ。

ツムギの怖いという言葉。


どれも断定には足りない。

でも、無視するには十分すぎる。


「……少しだけ」


小さく呟く。


確認するだけだ。


それだけのつもりだった。


起こさないように静かに起き上がる。

床板が鳴らない位置を選んで歩く。

扉に手をかける。


出る前に、一度だけ振り返る。


ツムギは眠っていた。


起きる気配はない。


俺は扉を開ける。


夜の空気は冷たかった。


村は静かだ。

灯りも少ない。

遠くで犬みたいな鳴き声がした気がする。


その静けさの中で、森の方を見る。


昼よりも暗い。

当たり前だ。


なのに、昼間よりはっきりと嫌な感じがした。


何かがいるのかもしれない。

いないのかもしれない。


まだ分からない。


分からないなら、見るしかない。


俺は足音を殺して歩き出した。


夜の森へ向かって。


第十話を読んでいただきありがとうございます。


クレもツムギも、まだ何も知りません。


森がおかしいことも。


その理由も。


これから起こることも。


ただ、違和感だけが残っています。


次回、クレは一人で森へ向かいます。

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