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式部省の呪詛係  作者: 浮田葉子
第一章 怨霊の宴
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四 井戸の毒

 真薫(ちかゆき)定明(さだあきら)は、再び行斉の前に立った。


「どうだった」

 行斉(ゆきなり)は不安そうに訊いた。

「呪いの正体は、わかったか」


「はい」

 真薫は静かに答えた。

「これは、呪詛ではありません」


「何?」


「井戸に、毒が混入されていました。侍女たちは、その水を使ったために中毒を起こしたのです」


「毒……?」

 行斉は絶句した。

「では、誰かが……」


「ええ。誰かが、意図的に毒を井戸に入れたのです」


 真薫は言葉を続けた。


「行斉様、お訊きしますが、この井戸を使うのは誰ですか」


「井戸? ああ、裏庭の井戸か」

 行斉は考えた。

「あれは、侍女たちが使う井戸だな。他の使用人は、別の井戸を使う」


「侍女だけ、ですね」

「そうだ」


 真薫は頷いた。


「だから、侍女だけが倒れたのです」

「では、犯人は……」


「それは、これから調べます」


 真薫は深々と頭を下げた。


「行斉様、もう少し時間をいただけますか」

「ああ、もちろんだ」


 行斉は頷いた。


「頼むぞ、真薫」



 真薫と定明は、再び屋敷内を調べ始めた。

 今度は、使用人たちへの聞き込みだった。


「この数日、井戸の近くで誰か見かけませんでしたか」

「いえ、特には……」


「夜中に、誰か怪しい人影は」

「さあ……」


 使用人たちは、皆首を振った。

 しかし、ある老僕が、ふと思い出したように言った。


「そういえば……」

「何かありますか」


「二日前の夜、若様が井戸の近くを歩いておられました」

「若様?」


「はい。行季(ゆきすえ)様です。行斉様の御嫡男で」


 真薫は、定明を見た。


「行季様、ですか」



 行季は、屋敷の東の(たい)にいた。


 二十代半ば。

 痩せ型で、神経質そうな顔立ち。

 従五位下、左近衛少将(さこんのしょうしょう)


「何の用か」


 行季は不機嫌そうに言った。


「行季様」


 真薫は丁寧に言葉を選んだ。


「二日前の夜、井戸の近くにおられたと聞きましたが」

「井戸? ああ、歩いていたかもしれんな」


「何をされていたのですか」

「別に。ただ、散歩していただけだ」


 行季は面倒くさそうに答えた。


「それが何か」

「いえ、確認しただけです」


 真薫は、行季の部屋を見回した。


 整然としている。

 奥の文台(ぶんだい)の脇には、書物が積まれている。


「行季様は、学問がお好きなのですね」

「まあな」


「どのような分野を」

本草学(ほんぞうがく)だ」


 真薫の心臓が、跳ねた。

 本草学——薬草や毒草の知識。


「本草学、ですか」

「ああ。植物の性質や、薬効を研究している」


 行季は、わずかに得意げに言った。


「最近、(から)渡りの新しい本草書が入ってな。それを読んでいるのだ」


「なるほど」

 真薫は、静かに頷いた。

「ありがとうございました」



 真薫と定明は、行季の部屋を出た。


「真薫殿」

 定明が小声で言った。

「行季様が、犯人では?」


「可能性は高い」

 真薫は答えた。

「本草学の知識がある。井戸の近くにいた。そして——」


「そして?」


「動機です」

 真薫は声を潜めた。

「行季様は、行斉様の嫡子です。しかし、行斉様には側室——葵殿がいる」


「側室、ですか」


「ええ。葵殿は元々この屋敷の女房で、最近、側室になったそうです。本来なら別邸に移るはずが、まだこの屋敷に留まっている」


「では……」


「行季様は、お母上の北の方様の立場を守りたかった。葵殿がいつまでも屋敷にいることで、お母上が苦しんでいる。だから——」


 真薫は続けた。


「葵殿を直接排除すれば疑われる。しかし、葵殿に仕える侍女たちを狙えば、葵殿の立場が弱くなる。侍女がいなくなれば、早く別邸に移らざるを得なくなる」


 定明は息を呑んだ。


「しかし、それは……」


「推測です。証拠はまだありません」

 真薫は深く息を吐いた。

「もう少し、調べてみましょう」



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