三 物の怪なき屋敷
真薫と定明は、屋敷の隅々を調べて回った。
寝殿、対の屋、渡殿。
台盤所、御湯殿、厨、塗籠。
だが、怪しいものは何も見つからなかった。
「おかしいなあ」
定明が首を傾げた。
「呪詛の痕跡が、まっったく見当たらない」
「呪詛の痕跡?」
「ええ。誰かがこの屋敷を呪ってるなら、どっかに呪物があるはずなんですよ。人形とか、髪とか、爪とか」
定明は肩を竦めた。
「でも、何にもない。掃除が行き届きすぎてるのかな」
真薫は、庭を見渡した。
冬の陽が、低く差している。
池の水面が、冷たく光る。
「定明殿」
「はい」
「物の怪や呪詛でないとしたら、何だと思いますか」
「うーん」
定明は少し考えて、あっさりと答えた。
「人間の仕業でしょうね」
「……そう、思いますか」
「だって、物の怪の気配がないんですもん。となると、残るのは人間しかいないじゃないですか」
定明は屈託なく笑った。
「僕、陰陽師ですけど、実は現実主義者なんですよ」
真薫は考えた。
三人の侍女が倒れた。
症状は同じ。
しかし、共通点が見つからない。
——いや、待てよ。
真薫の頭に、ふと疑問が浮かんだ。
「定明殿、もう一度、侍女たちの局を見に行っても宜しいですか?」
「ええ、構いませんが」
侍女たちの局に戻ると、真薫は丁寧に辺りを調べ始めた。
茵、几帳、衣桁。
そして、簀子縁の隅に置かれた水瓶。
「これは?」
真薫が指差すと、老女房が答えた。
「侍女たちが使う水です。半挿や角盥に移して、顔を洗ったり、手を洗ったり」
「この水は、どこから汲んでくるのですか」
「屋敷の井戸です」
「井戸は、どこに」
「裏庭に」
真薫は定明を見た。
「井戸を、見に行きましょう」
裏庭の井戸は、古びた石組みだった。
深く、暗い。
覗き込むと、底に水面が見える。
「定明殿、この井戸の水を調べていただけますか」
「水を、ですか」
「ええ。何か、混ざっているかもしれません」
定明は桶で水を汲み上げた。
その水を、ひょいと日の光にかざす。
「んー、透明ですね。見た目は普通」
「匂いは」
「匂い?」
定明は水に顔を近づけた。
「あ」
「何か」
「ちょっと変な匂いがします。苦いっていうか……何だろ、薬草みたいな?」
真薫は水を受け取り、自分でも匂いを嗅いだ。
確かに、わずかに妙な匂いがする。
ほんのりと苦く、そして——。
「これは……」
真薫の脳裏に、ある記憶が蘇った。
検非違使時代。
藤原維時の死体。
附子の毒。
「定明殿」
真薫は静かに言った。
「これは、毒です」
「え、本当ですか」
定明は目を丸くした。
「ええ。おそらく、附子。この井戸に、誰かが毒を混入したのです」
「うわあ」
定明は素直に驚いた。
「じゃあ、侍女たちは……」
「毒を飲んだのです。井戸の水で顔を洗い、手を洗い、その手で食事をし……少しずつ、毒が体内に入ったのでしょう」
真薫は井戸を見下ろした。
「これは、呪詛ではありません。殺人です」
「やっぱり人間の仕業かあ」
定明は溜息をついた。
「僕の出番、なかったですね」




