五 伏せられた真実
翌日、真薫は式部省に出仕した。
朝の文殿は、ひどく静かだった。
紙をめくる音、筆を置く音が、やけに大きく響く。
昨日の出来事が、まだ身体の奥に残っている。
兼遠が、真薫を呼んだ。
「真薫くん、昨日の調査はどうだった」
いつもと変わらぬ声。
だが、その視線は真薫の表情を注意深く追っている。
「呪詛の形跡はありました」
真薫は、淡々と報告した。
「しかし、定明殿によれば、本物ではないと」
「本物ではない……?」
兼遠は、眉をひそめた。
指先で、机を軽く叩く。
「では、誰が、何のために」
「それが……」
真薫が言いかけた、そのとき。
兼遠は、静かに手を上げた。
「少し、話がある」
それは命令ではない。
だが、この場で続ける話ではないという合図だった。
兼遠は壁代の側まで進む。
外の音が遠のいた。
余人の気配はない。
二人きりになると、兼遠は一拍置いてから言った。
「合歓の君からの情報だ」
その名に、真薫の背筋がわずかに強張る。
「彼女が……」
「ああ」
兼遠は頷いた。
「源潔子様の入内が、近く予定されている」
真薫は、息を呑んだ。
「入内……」
それは噂ではなく、決定事項だという響きだった。
「ああ」
兼遠は、言葉を選ぶように続ける。
「源基隆様は、姪の潔子様を養女として迎えた。基隆様には男子ばかりで女子がいないからな」
一息。
「――そして、基隆様の娘として、入内させる」
兼遠は、真薫を見た。
「もし潔子様が皇子を産めば、源氏が外戚となる。そうなれば、藤原氏の独占は――崩れる」
真薫は、ようやく全体像を掴んだ。
左大臣家。
女房の卒倒。
呪詛“もどき”。
すべてが、一本の線に収束する。
「つまり……」
「道顕様にとって、これはかなりの脅威だろう」
兼遠の声が、低く、静かになった。
「だから、この事件は基隆様への警告だ。“入内を強行すれば、次は潔子様本人だ”と」
真薫は、思わず息を呑んだ。
「女房の萩野殿は……」
言葉の先が、自然と掠れる。
「警告のための、生贄だろう」
兼遠は、淡々と言った。
感情を挟まない声音が、かえって残酷だった。
「道顕様にとって、女房など駒に過ぎない」
真薫は、拳を握りしめた。
爪が掌に食い込む。
「また……。また、道顕様の策略か」
呻くように、真薫は顔を歪めた。
兼遠は、その様子を黙って見てから、そっと肩に手を置いた。
「しかし、我々にできることは限られている」
一拍。
「――今は、記録するしかない」
真薫は、ゆっくりと頷いた。
「――わかっています」
本当に、わかっている。
理解してしまったからこそ、
腸は煮え繰り返るようだった。
それでも、声を荒げることはできない。
真実は、声高に叫べば消される。
だからこそ、伏せられたまま、記録として残さねばならないのだと――
真薫は、胸の奥で噛みしめていた。




