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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第七章 見えぬ糸
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四 兄の忠告

 真薫(ちかゆき)定明(さだあきら)は、源基隆邸を辞した。


 門を出ると、昼の熱気が一気に押し寄せた。

 庭の木々は静かだが、どこか息を潜めているように見える。

 屋敷の中に残っていた重い空気が、まだ背中にまとわりついていた。


 しばらく無言で歩いてから、定明が口を開いた。


「真薫殿、あの呪詛、厳密には本物ではありません」


 声は落ち着いている。

 だが、いつもの軽さはなかった。


「ああ」


 真薫は頷いた。


「あなたもそう思うか」


「はい」


 定明は、立ち止まり、真薫を正面から見た。


「あれは、呪詛の形をしていますが、大した効力はないでしょう」


 術式は整っている。

 だが、呪う意思が弱い――そんな印象だった。


「では、なぜ萩野殿は倒れたんだ?」


 真薫の問いに、定明はすぐには答えなかった。


「……わかりません」


 首を振る。


「毒を盛られた可能性もあります。あるいは、本当に(やまい)なのかも」


 定明の声には、迷いがあった。

 それが、この件の異様さを物語っている。


 真薫は歩きながら、頭の中で事実を並べた。


(呪詛もどき。萩野の卒倒。源潔子の入内)


 どれも単体では、決定打に欠ける。

 だが、線を引くと、奇妙な形が浮かび上がる。


 すべてが、繋がっている気がした。

 しかし、まだわからないことだらけだ。


「定明殿、もう少し調べよう」


 真薫の声は、低かった。


「はい」


 定明は、迷いなく頷いた。


 その夜。


 真薫が屋敷に戻ると、灯の落ちた渡殿に人影があった。

 風に揺れる御簾越しに、静かな気配が伝わってくる。


「兄上……」


「真薫」


 実薫(さねゆき)は、柱にもたれかかり、立ったまま待っていた。

 その顔は、昼間の暑さを忘れたかのように硬い。


「今日、左大臣邸に行ったそうだな」


「……はい」


 短いやりとり。

 すでに調べはついている。


「女房の卒倒した件を調査したのか」


「はい」


 真薫は、頷いた。


 実薫は、民部少輔(みんぶのしょう)として、民部省に勤めている。

 本来なら、この事件に関わる立場ではない。


 それでも――こうして会いに来た。


「真薫」


 実薫の声が、低くなった。


「この案件、深く調べるな」


 その言葉に、真薫は息を呑んだ。


 実薫の表情は、鬼気迫るものだった。

 怒りでも脅しでもない。

 切実さが、むき出しになっている。


「兄上……」


「お前を、巻き込みたくない」


 実薫は、真薫の肩を強く掴んだ。

 爪が食い込むほどの力。


「被害は、これ以上拡大しない。それだけは、約束する」


 実薫は、真薫を見た。

 逃げ場を与えない、まっすぐな視線で。


「だから、適当に報告書をまとめろ」


「――兄上は、何をご存じなのですか」


 問いは、祈りに近かった。


 だが、実薫は答えない。

 視線を落とし、唇を噛む。


「……」


「兄上」


「――真薫、お前は賢い」


 実薫は、小さく言った。

 声が、わずかに震えている。


「だから、わかるはずだ。この事件の背後に、何があるか」


 実薫は、手を離した。

 その瞬間、表情が歪む。


「お前を守りたい。それだけが、私が今、お前に言えることだ」


 次兄は、ひどく苦しげだった。

 言いたいことも言えない。

 家族だと言うのに。


 実薫は去っていき、真薫は、一人残された。

 灯りのない寝所に、夜の音が満ちていく。


(兄上は、道顕様側として動いているのだろうな……)


 真薫は、静かに理解した。


(この事件は、道顕様の策略だ)


 胸の奥で、何かが冷たく固まる。


 真薫は、拳を握りしめた。


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