八 中宮の選択
弘徽殿。
中宮顕子は、次子を側に控えさせていた。
父、藤原道顕から、文が届いていた。
——合歓は、誰かに情報を流している。追放せよ。
顕子は、その文を見て、深く息を吐いた。
父の命令に、しかし顕子には従えなかった。
「合歓」
「はい、中宮様」
次子が、控えめに座った。
顕子は、次子を見た。
「そなた、誰かにあれこれと情報を流しているのではないか、と言われている」
次子は、顔色を変えなかった。
「そのようなこと、ございません」
「……そうか」
顕子は、次子を見た。
次子の目は、まっすぐだった。
嘘をついているようには、見えなかった。
しかし、顕子は知っていた。
次子が、嘘をついていることを。
顕子は、次子を見た。
強く怯まない、その目。
それは、何かを守ろうとする目だった。
誰かを、想う目だった。
顕子は、気付いた。
次子は、誰かを恋い慕っているのだ。
そして、その人のために、情報を流しているのだ。
顕子は、次子の気持ちがわかった。
なぜなら、顕子も同じだったからだ。
顕子も、帝を愛していた。
父、道顕は、顕子に言った。
「帝を操れ」と。
「帝を通じて、後宮のみならず、宮中を支配しろ」と。
しかし、顕子にはできなかった。
愛しい人を、操り人形にはしたくなかった。
帝を、ただ愛したかった。
守りたかった。
そばにいる時くらい、心安らいで居てほしかった。
だから、顕子は次子の気持ちがわかった。
次子も愛する人を、守ろうとしているのだろう。
顕子は、次子を責めることができなかった。
「合歓、そなたを信じる」
それは父へのささやかな反抗。
そして、その抵抗は自分自身へのものでもある。
愛する人を、道具にしないための。
「中宮様……」
「ただし」
顕子の声が、厳しくなった。
「これ以上、疑われるようなことはするな。――誰かと会うときは、慎重にせよ」
次子は束の間目を瞠り、どうしようもない表情で微笑んだ。
泣きそうなのをこらえたような。
道に迷った童女のような。
「……はい」
次子は静かに頭を下げた。
顕子は、去っていく次子の背を、そっと見送った。
一人になると、顕子は深く溜息をついた。
「父上……」
思わず溢れたのは、やりきれない思いだった。
父のやり方に、疑問を持ち始めていた。
多くの人を犠牲にして、権力を握る。
我が子でさえも、道具として使う。
それが、本当に正しいのか。
しかし、顕子には逆らえなかった。
父の娘として、中宮として。
「合歓……」
顕子は、次子のことを思った。
次子は、誰かを助けようとしている。
その誰かを、愛しているから。
だがそれは、父に逆らうことだ。
しかし、顕子は次子を守った。
次子の想いが、顕子にはわかってしまったから。
恋い慕う気持ちは、同じ。
顕子は立ち上がると、端近に寄り、外を見た。
京の都が、雨に濡れている。
「私も……」
顕子は、小さく呟いた。
「私も、主上を操りたくなどない――お慕い申しているのだもの」
顕子は、目を閉じた。
父には、従えない。
しかし、逆らうこともできない。
顕子は、その狭間で、揺れ続けていた。




