表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第六章 過去からの谺
37/49

二 些事ばかりの日

 真薫(ちかゆき)は、安倍定明(あべのさだあきら)と合流し、今日も京中を駆け回った。


 またしても、些細な依頼ばかり。


 庭に迷い込んだ(きつね)

 屋根裏の(いたち)

 夜中に鳴く(せみ)


 当然というべきか、なんというべきか。

 どれも、呪詛ではなかった。


「やれやれ」

 定明は、苦笑した。

「今日は、狐と鼬と蝉ですか」


「ああ」


 雨に濡れた路を歩きながら、定明は笑った。


「明日は、何でしょうね」

 

 真薫は、定明を見た。


 定明が、笑っている。

 忙しさが、定明を救っている。


 このまま、定明が笑える日が続くといい。

 そう思った。

 そして願った。

 この日々が、少しでも長く続けばいいと。



 その日の午後、真薫が式部省に戻ると、藤原兼遠(ふじわらのかねとお)が簀子縁に立っていた。


 外を、じっと見ている。

 いつもの軽い調子は、どこにもない。


「兼遠様」


 真薫が声をかけると、兼遠は振り向いた。


「ああ、真薫くん」


 兼遠は、いつものように笑った。

 しかし、その笑みは、どこか虚ろだった。


「お疲れ様。今日も、大変だったね」

「……はい」


「報告書、後で見せてくれ」

「わかりました」


 兼遠は、また外を見た。


 雨がまた、降り始めた。

 音もなく静かに、(けぶ)るように。

 京の都が、灰色に霞んでいた。


「兼遠様、何かありましたか」


 真薫が訊くと、兼遠は首を振った。


「いや……」


 兼遠は、小さく笑った。


「少し、昔のことを思い出していた」


「昔のこと……」


「うん」


 兼遠は、雨を見つめたまま、呟いた。


「もう、十五年以上も前のことだ」


 兼遠の声が、震えた。


「あの頃は……」


 兼遠は、何かを言いかけて、口を閉じた。

 そして、小さく、名前を呟いた。


「……有子」


 真薫は、その名前を聞いた。

 しかし、誰のことかわからなかった。


「兼遠様?」


「ああ、すまない」

 兼遠は、我に返ったように笑った。

「何でもない。気にしないでくれ」


 兼遠は、真薫の肩を叩いた。


「さ、仕事に戻ろう」


 兼遠は、去っていった。

 雨音だけが残された。


 兼遠の様子は、明らかにおかしかった。


 いつもの軽い調子ではない。

 何か、深い悲しみを抱えているようだった。


 そして、呟いた名前。


 ——有子。


 真薫は、その名前を心に留めた。


 誰かは分からない。

 けれど兼遠にとって、大切な人なのだろうということは、感じられた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ