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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第六章 過去からの谺
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一 雨の訪問者

 水無月(六月)

 雨の季節だ。

 夜明けから降り出した雨は、止む気配もなく、式部省の屋根を濡らし続けていた。

 湿った空気が肌にまとわりつき、衣の袖はわずかに重い。


 その朝、藤原真薫(ふじわらのちかゆき)が式部省に出仕すると、藤原顕実(ふじわらのあきみつ)がいた。


「真薫」


 顕実が、声をかけてきた。

 偶然式部省に用があったのではなく、真薫に会いに来たのだとわかった。


「顕実殿……」


 思いがけない来訪に、真薫は一瞬だけ言葉を探した。

 顕実の声は軽いが、その奥に別の響きがあることが感じ取れた。


「最近、忙しそうだな」


 顕実は、笑った。


「相変わらず、猫だの犬だの追いかけているのか」


「……まあ」


「ははっ、まさに天職だな」


 顕実は、愉快そうに笑った。

 だが、その笑みはどこか乾いていた。


検非違使尉(けびいしのじょう)だったお前が、今や動物係とはな」


「……」


「井戸に落ちた猫を助けて、貴族に感謝される」

 顕実は、真薫の肩を叩いた。

「素晴らしい仕事じゃないか」


「顕実殿は、何か用ですか」


「用? ああ、別に」

 顕実は、肩を竦めた。

「ただ、お前が最近どうしているか気になってな」


 顕実は少し視線を流した。


「父上が、お前のことを気にしている」


「……」


「"真薫という男は賢い。だから危険だ"とな」

 顕実は、真薫を見た。

「父上がそう言うとき、たいてい何か企んでいる」


「だから、様子を見に来た」

 顕実は、窓の外を見た。

「お前が、何か余計なことをしていないか、確認しに」


 顕実は、くるりと真薫を振り返った。


「でも、安心したよ」

 顕実は、笑った。

「お前は、ただ猫や犬を追いかけているだけだ」


 安堵と、失望が入り混じった声だった。


「何も危険なことはしていない。何も企んでいない」


 ほっとしたようで。

 けれどどこか嫌そうで。

 

「つまらない仕事で、つまらない日々を送っている」


 顕実は、真薫の肩を叩いた。


「それでいい。それが、お前にはお似合いだ」


 真薫は、顕実を見た。

 顕実の目は、笑っていなかった。


「心配してくれて、ありがとう」


 真薫が言うと、顕実の顔が変わった。


「は?」


「心配してくれているんでしょう?」


「……違う」

 顕実の声が、低くなった。

「心配なんか、してない」


 怒ったように眉間にしわを寄せた。


「ただ、父上に言われて来ただけだ。お前のことなんか、どうでもいい」


 顕実は、真薫から視線を逸らし、吐き捨てる。


「勘違いするな」


 顕実は、去りかけた。


 しかし、数歩進んで、立ち止まった。

 振り返らずに、小さく言った。


「……無事でいろ」


 顕実は、そのまま去っていった。


 真薫は、一人残された。


 顕実の言葉が、耳に残っていた。


 「無事でいろ」


 それは、顕実の本心なのだろう。


 真薫は、少しだけ微笑んだ。

 心の奥がほんのりと、温かかった。


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