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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第五章 束の間の日常
35/50

七 偽りの平穏

 真薫(ちかゆき)は、寝所に戻った。


 手箱を開けた。


 中には、五つの裏帳簿。


 藤原維時(ふじわらのこれとき)の事件。

 藤原行斉(ふじわらのゆきなり)邸の事件。

 賀茂光保(かものみつやす)の事件。

 藤原道顕(ふじわらのみちあき)の自作自演。

 賀茂保規(かものやすのり)の口封じ。


 真薫は、新しい紙を取り出した。


 そして、筆を執った。


 ——皐月(五月)、呪詛依頼多発。すべて軽微。

 猫、蛍、鼠、雉など。人の死傷なし。

 右大臣藤原道顕(ふじわらのみちあき)の策略と推測。

 目的は怪異雑掌所の監視と掌握。真薫を忙殺し、余計な詮索を防ぐ。


 真薫は、筆を置いた。


 六つ目の裏帳簿。


 道顕の監視の記録。


 真薫は、裏帳簿を手箱にしまった。

 そして、手箱を閉じた。



 真薫は、立ち上がり、庭へ降りた。


 月は穏やかに光っていた。

 京の都は、今日も平穏だった。


 真薫は、呟いた。


「道顕は、私を監視している」


 確認するように、口にする。


「試している」


 ぽつりぽつりと。


「大人しくしていれば、生かしておく」


 真薫は眼を細めた。


「逆らえば、消す」


 真薫は、拳を握りしめた。


「このまま、大人しくしているべきか」


 定明(さだあきら)は、笑っている。

 忙しさが、定明を救っている。


 次子(なみこ)も、安堵している。

 真薫が大人しくしていれば、安全だと。


 実薫(さねゆき)も、きっと同じだろう。


「しかし……」


 真薫は、呟いた。


「それは、偽りの平穏だ」


 道顕の手のひらの上で、踊らされているだけ。

 いつ、手のひらを返されるか、わからない。


「それでも……」

 真薫は、深く息を吐いた。

「今は、従うしかない」


 定明を守るためにも。

 次子を守るためにも。

 家族を守るためにも。


「だが、記録は続ける」

 真薫は、手箱を見た。

「忙しくても、必ず記録する」


 いつか、この記録を武器として、立ち向かう。


「その日まで、耐えるんだ」


 真薫は、月を見上げた。


 柔らかな光が、真薫を照らしていた。


「いつか……」


 真薫は、静かに誓った。


「いつか、必ず」



 真薫は、円座(わろうだ)に座った。


 ゆっくりと目を閉じる。


 京の都は、今日も平穏だった。


 猫が井戸に落ち、蛍が庭を舞い、鼠が屋根を走る。

 そんな日常。


 しかし、その平穏は、嵐の前の静けさに過ぎなかった。

 真薫は、それを知っていた。


 道顕は、いつか牙を剥く。


 定明も、いつか消されるかもしれない。

 次子も、いつか疑われるかもしれない。

 実薫も、いつ巻き込まれるかしれない。


 そして、真薫自身も。


「でも、今は」

 真薫は、呟いた。

「今は、耐える」


 真薫は、目を開けた。

 月は変わらずに光り続けている。

 曇りなく、くっきりと、鮮やかに。


 真薫は、立ち上がった。


 文台に向かい、そして、筆を執った。


 記録を続ける。

 真実を書き残す。

 それが、真薫にできる唯一のことだった。



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