六 手のひらの上
その日、真薫は北野天神を訪れた。
大江次子——合歓の君から、文が届いていた。
——午の刻、北野の社に参ります。
真薫は、境内で待った。
しばらくして、牛車が到着した。
次子が降りてくる。
真薫は、後を追った。
人気の多い境内。
ざわざわとした気配が心地良い。
昼間の北野天神は、活気に満ちている。
「なみ」
真薫が呼びかけると、次子は振り向いた。
「四郎様」
次子の声は、いつもより明るかった。
「最近、お忙しいそうですね」
「ああ。呪詛調査の依頼が増えて」
「それは……」
次子は、声を潜めた。
「右大臣様の策です」
真薫は、息を呑んだ。
「やはり……」
「右大臣様が、貴族たちに働きかけているそうです」
次子は、真薫を見た。
「些細なことでも、怪異雑掌に依頼しろ、と」
「なぜ……」
予想はできた。
だが、外れてほしくもあった。
「四郎様を、忙しくさせるためです」
次子の声が、静かだった。
「忙しければ、余計な詮索をしない。記録をつける暇もない」
「……」
「そして、四郎様が大人しくしていれば」
次子は、真薫の手を取った。
「右大臣様も、四郎様を排除しようとはしない」
真薫は、拳を握りしめた。
「つまり、道顕様は……」
「四郎様を、監視しています」
次子の目が、潤んだ。
「そして、試しています。四郎様が大人しくしていれば、生かしておく。余計な詮索をすれば——」
「消す、ということか」
「はい」
次子は、真薫の手を握りしめた。
恋人同士の睦言かと、通り過ぎる誰もが気にも留めない。
「四郎様、お願いです。このまま大人しくしていてください」
「なみ……」
「忙しいふりを、続けてください。それが、四郎様を守る方法なのです」
真薫は、何も言えなかった。
次子の言う通りだった。
道顕は、真薫を手のひらで転がしている。
従えば生かし、逆らえば消す。
「わかった」
真薫は、小さく言った。
「大人しくしている」
「……本当ですか」
「ああ」
真薫は頷いた。
「だが、記録は続ける」
「四郎様……」
「それだけは、やめられない」
真薫は、次子を見た。
「すまない、なみ」
次子は、涙を流さなかった。
ただ、今にも零れ落ちそうな雫が、眼の縁に溜まっていた。
「わかっています」
次子は、無理矢理に微笑んだ。
「四郎様は、そういう方です」
零れそうな涙を、真薫には気付かれないように。
次子はさりげなくを装い、そっと袖で拭った。




