二 取るに足らぬ怪異
真薫は安倍定明と合流し、二人はまず藤原朝照邸を訪れた。
「やあ、真薫殿」
定明は、いつもの軽い調子だった。
「また呪詛案件ですか」
「ああ。今回は……」
真薫は、報告書を見せた。
「井戸から怪音、だそうだ」
「怪音?」
定明は、眉をひそめた。
「それは……まあ、行ってみましょう」
藤原朝照邸は、四条坊門小路にあった。
中堅貴族の屋敷。
特に立派というわけではないが、それなりに整っている。
主人の朝照が、二人を迎えた。
「よく来てくださった」
朝照は、四十代。従五位下。
右兵衛府佐を務める武官だった。
武士とまではいかないまでも、貴族にしては屈強な体格をしている。
「井戸から、変な音がするのです」
朝照は大きな身体を縮こませて、深刻な顔で言った。
「これは、呪詛に違いないと」
「どのような音ですか」
真薫が訊くと、朝照は首を傾げた。
「唸るような……いや、鳴くような……とにかく不気味な音なのです」
「では、井戸を見せていただけますか」
「ああ、どうぞ」
真薫と定明は、井戸を調べた。
定明が、井戸を覗き込む。
「……あ」
定明が、声を上げた。
「何かありましたか」
真薫を振り返り、定明が何とも言えないような、微妙な表情を浮かべた。
「これ、猫ですね」
その台詞に、真薫もまた何とも言えない微妙な表情になった。
「――猫?」
「ええ。井戸に落ちて、鳴いているんです」
定明は、苦笑した。
「助けましょう」
真薫と定明は、綱を使って猫を引き上げた。
ずぶ濡れの猫が、みゃあみゃあと鳴いている。
「……これが、怪音か」
真薫は、呟いた。
「はい」
定明は、にっこりと笑った。
「呪詛ではありませんね」
朝照は、恥ずかしそうに笑った。
「これは……面目ない」
「いえ、よくあることです」
社交辞令だ。
こんなことがよくあってたまるか、と思いながらも。
真薫は、報告書に丁寧に記入した。
——藤原朝照邸、井戸の怪音。原因は猫。呪詛にあらず。
次の源経総邸では、庭の怪光を調べた。
夜になると、庭に怪しい光が見える、という。
か細い身体を震わせて、経総は怯えていた。
真薫と定明は、夜まで待った。
そして、庭に光が現れた。
点っては消え、点っては消え。
幻想的で美しい景色だ。
そしてそれは――
「……どう見ても、蛍だな」
真薫は、白けた表情で呟いた。
「ええ」
定明は、笑った。
「季節ですからね」
真薫は無言で報告書を書いた。
——源経総邸、庭の怪光。原因は蛍。呪詛にあらず。
大江正周邸では、飼い鳥の変死を調べた。
鸚鵡が突然死んだ、という。
昨日までは元気に喋っていたと、正周は泣きながら言い募る。
可愛がっていたのだろう。憔悴していた。
真薫は、鸚鵡の死骸を見た。
「……これは」
真薫は草臥れきった鸚鵡の死骸を前に、少しだけ痛まし気な視線をやった。
定明が何度も頷く。
「これは老衰ですね」
定明は、あっさりと言った。
「鸚鵡も、年を取れば死にます」
「お悔やみ申し上げます」
真薫は鸚鵡に手を合わせ、報告書を書いた。
——大江正周邸、飼い鳥の変死。原因は老衰。呪詛にあらず。




