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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第五章 束の間の日常
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二 取るに足らぬ怪異

 真薫(ちかゆき)安倍定明(あべのさだあきら)と合流し、二人はまず藤原朝照(ふじわらのあさてる)邸を訪れた。


「やあ、真薫殿」

 定明は、いつもの軽い調子だった。

「また呪詛案件ですか」


「ああ。今回は……」

 真薫は、報告書を見せた。

「井戸から怪音、だそうだ」


「怪音?」

 定明は、眉をひそめた。

「それは……まあ、行ってみましょう」



 藤原朝照邸は、四条坊門(しじょうぼうもん)小路にあった。


 中堅貴族の屋敷。

 特に立派というわけではないが、それなりに整っている。


 主人の朝照が、二人を迎えた。


「よく来てくださった」


 朝照は、四十代。従五位下。

 右兵衛府佐(うひょうえのすけ)を務める武官だった。

 武士(もののふ)とまではいかないまでも、貴族にしては屈強な体格をしている。


「井戸から、変な音がするのです」


 朝照は大きな身体を縮こませて、深刻な顔で言った。


「これは、呪詛に違いないと」


「どのような音ですか」


 真薫が訊くと、朝照は首を傾げた。


(うな)るような……いや、()くような……とにかく不気味な音なのです」


「では、井戸を見せていただけますか」

「ああ、どうぞ」



 真薫と定明は、井戸を調べた。

 定明が、井戸を覗き込む。


「……あ」


 定明が、声を上げた。


「何かありましたか」


 真薫を振り返り、定明が何とも言えないような、微妙な表情を浮かべた。


「これ、猫ですね」


 その台詞に、真薫もまた何とも言えない微妙な表情になった。


「――猫?」


「ええ。井戸に落ちて、鳴いているんです」

 定明は、苦笑した。

「助けましょう」



 真薫と定明は、(つな)を使って猫を引き上げた。

 ずぶ濡れの猫が、みゃあみゃあと鳴いている。


「……これが、怪音か」


 真薫は、呟いた。


「はい」

 定明は、にっこりと笑った。

「呪詛ではありませんね」



 朝照は、恥ずかしそうに笑った。


「これは……面目ない」

「いえ、よくあることです」


 社交辞令だ。

 こんなことがよくあってたまるか、と思いながらも。

 真薫は、報告書に丁寧に記入した。


 ——藤原朝照邸、井戸の怪音。原因は猫。呪詛にあらず。



 次の源経総(みなもとののりふさ)邸では、庭の怪光を調べた。


 夜になると、庭に怪しい光が見える、という。

 か細い身体を震わせて、経総は怯えていた。


 真薫と定明は、夜まで待った。


 そして、庭に光が現れた。

 (とも)っては消え、点っては消え。

 幻想的で美しい景色だ。


 そしてそれは――


「……どう見ても、(ほたる)だな」


 真薫は、白けた表情で呟いた。


「ええ」

 定明は、笑った。

「季節ですからね」


 真薫は無言で報告書を書いた。


 ——源経総邸、庭の怪光。原因は蛍。呪詛にあらず。



 大江正周(おおえのまさちか)邸では、飼い鳥の変死を調べた。


 鸚鵡(おうむ)が突然死んだ、という。

 昨日までは元気に喋っていたと、正周は泣きながら言い募る。

 可愛がっていたのだろう。憔悴していた。


 真薫は、鸚鵡の死骸を見た。


「……これは」


 真薫は草臥れきった鸚鵡の死骸を前に、少しだけ痛まし気な視線をやった。

 定明が何度も頷く。


「これは老衰ですね」


 定明は、あっさりと言った。


「鸚鵡も、年を取れば死にます」


「お悔やみ申し上げます」


 真薫は鸚鵡に手を合わせ、報告書を書いた。


 ——大江正周邸、飼い鳥の変死。原因は老衰。呪詛にあらず。


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