一 呪詛係、初出仕
睦月も半ばを過ぎた頃。
藤原真薫は、その日、初めて式部省の外へと出た。
藤原行斉邸は、四条大路に面した立派な屋敷だった。
門をくぐると、広い庭に池。
その奥に、寝殿が堂々と構えている。
「立派な屋敷ですね」
隣を歩く男が、感心したように呟いた。
安倍定明。
陰陽師。従七位上。
年の頃は二十前後だろうか。真薫と同年代に見えた。
涼しげな顔立ちで、狩衣姿が爽やかに似合っている。
真薫と定明は、この朝、式部省で初めて顔を合わせた。
「初めまして。藤原真薫と申します」
「ああ、噂の真薫殿ですか」
定明は、にこやかに笑った。
「安倍定明です。陰陽師やってます。よろしく」
砕けた口調に、真薫は少し面食らった。
「あ、はい。よろしくお願いします」
「堅苦しいですねえ」
定明は肩を竦めた。
「同じ年頃じゃないですか。もっと気楽にいきましょうよ」
「……そう、ですね」
丁寧な挨拶を交わし——いや、定明が一方的に砕けた調子で話しかけ——二人は行斉邸へと向かった。
真薫は定明を横目で見た。
陰陽師——呪術や占いを職とする者たち。
朝廷に仕える陰陽寮の官人でもある。
正直なところ、真薫は陰陽師というものを信用していなかった。
呪詛、祓い、占い。
どれも曖昧で、検証できない。
真薫が信じるのは、証拠と論理だった。
だが、今の真薫に選択肢はない。
式部省怪異雑掌として、陰陽師と共に働く。
それが、真薫に与えられた職務だった。
「真薫殿」
定明が声をかけた。
「はい」
「この事件、どう思います?」
「まだ、何も」
真薫は正直に答えた。
「現場を見てから判断します」
「おお、慎重派ですね」
定明はからかうように笑った。
「僕なんか、もう”絶対これ呪詛じゃないな”って思ってますけど」
「……そうなのですか」
「まあ、見てからですけどね」
門の前で、従者が二人を迎えた。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
案内されたのは、屋敷の対の一角だった。
そこに、藤原行斉が待っていた。
五十代後半。
やや太り気味で、顔色はすぐれない。
正五位下、式部大輔。
真薫の上司・兼遠の上司にあたる人物だった。
「よく来てくれた」
行斉は疲れた声で言った。
疲れ切った顔つきだった。
「恐れ入ります」
真薫と定明は平伏した。
「さて」
行斉は重々しく口を開いた。
「我が屋敷に、怪異が起きておる」
「怪異、とは」
「使用人が、次々と倒れておるのだ」
行斉の声が震えた。
「最初は小桜という侍女が倒れた。高熱を出し、うわごとを言い、そのまま……死んだ」
「いつのことですか」
「三日前だ」
「他には」
「その翌日、時雨という侍女も倒れた。症状は同じ。高熱、幻覚、痙攣。幸い、命は取り留めたが、未だに寝込んでいる」
「もう一人」
定明が静かに訊いた。
「“次々と”とおっしゃいましたが」
「……ああ」
行斉は頷いた。
「昨日、若菜という侍女も倒れた。症状は同じだ。今、寝所で苦しんでいる」
真薫は問うた。
「三人とも、侍女なのですね」
「そうだ」
「他の使用人は?」
「無事だ。男の使用人も、雑色も、誰も倒れていない。倒れているのは、侍女ばかりだ」
行斉は両手で顔を覆った。
「これは、呪いだ。誰かが、我が屋敷を呪っているのだ」
「呪い、とお考えなのですね」
「そうとしか思えぬ」
行斉は真薫を見た。
「真薫、定明殿、どうか調べてくれ。この呪いを解いてくれ」
真薫は、静かに頷いた。
「承知いたしました」




