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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第四章 届かぬ手
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七 託すという抵抗

 その夜、真薫(ちかゆき)は手箱を開けた。

 中には、四つの裏帳簿。


 藤原維時(ふじわらのこれとき)の事件。

 藤原行斉(ふじわらのゆきなり)邸の事件。

 賀茂光保(かものみつやす)の事件。

 藤原道顕(ふじわらのみちあき)の自作自演。

 

 真薫は、新しい紙を取り出した。


 そして、筆を執った。


 ——賀茂保規(かものやすのり)、病死として処理。真相は口封じ。

 右大臣藤原道顕(ふじわらのみちあき)の命令と推測。

 理由、先々月の呪物設置に関与。

 陰陽助。安倍定明(あべのさだあきら)の上司。


 真薫は、筆を置いた。


 五つ目の裏帳簿。

 保規の死の真実。


 真薫は、裏帳簿を手箱に仕舞った。

 ゆっくりと、手箱の蓋を閉じる。


 そして、さらに巧妙な場所に隠した。


 真薫は、庭へと目を向けた。

 月が、冷たく光っていた。

 京の都は、闇に包まれている。


「……このままでは」


 真薫は、呟いた。

 定明は、殺されるかもしれない。

 次は僕の番だ、と笑って言った。

 

 次子(なみこ)は、危険を冒して情報を流している。

 いつか、露見する。


 実薫(さねゆき)は、弟を守ろうとして、自分も疑われるかもしれない。

 そして、真薫自身も。


 裏帳簿が見つかれば、確実に殺される。


「逃げるか……」


 真薫は、考えた。

 しかし、すぐに首を振った。


 逃げても無駄だ。

 定明の言う通り、道顕の手はどこまでも届く。

 それに、逃げれば、次は実薫が疑われる。

 一族全体が、危険に晒される。


「では、記録を――燃やすか?」


 真薫は立ち上がり、けれど首を振る。

 それも違う。


 記録を燃やせば、すべてが闇に消える。

 維時の死も、侍女たちの死も、光保の死も、保規の死も。


 それだけは、できない。


「ならば……」

 真薫は、拳を握りしめた。

「ならば、どうする」


 考えろ。


 無意味に歩き回って、少し冷静になった。


 真薫は円座(わろうだ)に座り、口元を押さえる。

 宙を睨みつけるようにして、考える。


 定明を助ける方法は——ない。

 道顕の手は、真薫には届かない。


 家族に迷惑をかけない方法は——ない。

 既に、巻き込んでいる。


 次子を守る方法は——ない。

 次子からの情報がなければ、真薫は何も知ることができない。


「……矛盾している」


 真薫は、呟いた。

 すべてが、矛盾している。


 定明を助けたい。しかし、方法がない。

 家族を守りたい。しかし、既に巻き込んでいる。

 次子を巻き込みたくない。しかし、次子の助けが必要だ。

 記録を続けたい。しかし、それが危険を招く。


「では……」


 真薫は、深く息を吐いた。


 ただでは、死なない。


 もし、真薫が殺されるなら。

 もし、裏帳簿が見つかるなら。

 

 その前に、一矢報(いっしむく)いる。


 裏帳簿を誰かに託すか?


 左大臣派に?

 ——いや。彼らも道顕と同じだ。真薫を利用するだけだ。

 

 兼遠(かねとお)に?

 ——わからない。兼遠が敵なのか、味方なのか。それすらもまだわからない。


「……今は、まだ早い」

 真薫は、呟いた。

「今は、生き延びることだけを考えろ」


 道顕は、いつか失脚する。

 どんな権力者も、永遠ではない。


 その日まで、待つ。


 定明も、生き延びてほしい。

 次子も、実薫も。


 そのために、真薫は何ができるか。


 ——まだ、わからない。


 でも、考え続ける。

 諦めない。


「ただでは、死なない」


 真薫は、静かに誓った。


 記録を続ける。

 真実を残す。

 そして、準備する。


「いつか……」

 真薫は呟いた。

「いつか、糾弾する機会を――」


 真薫は、月を見上げた。


 冷たい光が、ただまっすぐに真薫を照らしていた。

 その光の中で、真薫は一人、立っていた。


 無力ではあるが、諦めてはいない。

 手の届かない敵に対して、それでも抵抗する。

 見えない檻の中で、それでも自由を求める。

 そして、いつか——。


「道顕を、引きずり降ろす」


 真薫は、静かに誓った。

 それが、真薫の戦いだった。



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