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式部省の呪詛係  作者: 浮田小葉子
第四章 届かぬ手
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五 願いと選択

 その夜、真薫(ちかゆき)北野天神(きたのてんじん)を訪れた。

 大江次子(おおえのなみこ)——合歓(ねむ)の君から、文が届いていた。


 ——今夜、北野の社に参ります。


 真薫は、境内で待った。

 しばらくして、牛車(ぎっしゃ)が到着した。

 次子が降りてくる。


 今回も、夜。

 従者は一人だけ。


 次子は、本殿に向かった。

 真薫は、後を追った。


 人気のない境内。

 月明かりだけが、二人を照らしていた。


「なみ」


 真薫が呼びかけると、次子は振り向いた。


「四郎様」

 次子の声は、いつになく深刻だった。

「お会いできて、よかった」


「何かあったのか」

「はい」


 次子は、周囲を確認した。

 従者は、少し離れたところで待っている。


賀茂保規(かものやすのり)殿のこと、ご存じですか」

「ああ。陰陽助(おんみょうのすけ)だった人だな」


「保規殿は、右大臣様に口封じなされました」

 次子は、小声で言った。

「――知りすぎていたからです。右大臣様の 、自作自演の呪物を置いたのも、保規殿ですから」


 真薫は、息を呑んだ。


「やはり……」


「病死として処理されたので、誰も調べられません」

 次子は、真薫を見た。

「そして、定明殿も危険です」


「定明殿が?」


「ええ。定明殿は、保規殿の部下でした。光保殿の同期でもありました」

 次子の声が、震えた。

「右大臣様は、定明殿も疑っています」


「……」


「定明殿が、四郎様と共に調査していたことを、右大臣様は知っています」


 次子は、真薫の手を取った。

 震えていた。


「四郎様、定明殿を守ってあげてください」

「私には……」


「四郎様にしか、できません」


 次子の目が、潤んだ。


「そして、四郎様も気をつけて。四郎様――どうか、記録を、燃やしてください」


「なみ……」

「お願いです」


 真薫は、次子の手を握り返した。


「定明殿は……守りたいと思っている」

 真薫は、小さく言った。

「でも、定明殿自身が諦めている」


「え……」


「逃げても無駄だ、と。そう言うんだ」

 真薫の声が、震えた。

「私には、何もできない。定明殿も、それをわかっている」


「四郎様……」

「――でも、記録は燃やせない」


「どうして……」

 次子の声が震える。


「それだけが、私にできることなんだ」

 真薫は、次子を見た。

「私は、何もできない。保規殿の死も、調べられない。定明殿も、守れないかもしれない」


 真薫の声も、震えた。


「でも、せめて真実だけは残したい。それが、私にできる唯一のことなんだ」


 次子の目の端に溜まった涙が、はらりとひとつ、零れ落ちる。

 月光が涙を丸く照らして、いっそ幻想的でさえあった。


「四郎様……」


「すまない、なみ」

 真薫は、次子の手を離した。

「お前の気持ちに、応えられなくて」


 次子はゆっくりと息を吸い、細く吐いた。

 知っていた。真薫がその選択をするだろうことは、最初から。


「――いえ」

 次子は、涙を拭った。

「わかっています」


「なみ……」

「四郎様は、そういう方です」


 ――知っていたけれど、言わずにはいられなかった。


 次子は、微笑んだ。

 ぽろぽろと真珠のような涙が、頬を滑り落ちていく。


「だから、私は……」


 言葉は、続かなかった。


 次子は、振り返らずに、牛車に乗った。

 真薫は、一人残された。

 今日の月は、いつもより冷たく光って見えた。



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