一 それは病死とされた
卯月。
桜が散り、新緑が萌え始める頃のこと。
その日の朝、安倍定明が藤原真薫の屋敷を訪ねてきた。
「真薫殿」
定明の顔は、蒼白だった。
いつもの軽い調子は、どこにもない。
「定明殿、どうした」
「保規様が……」
定明の声が、震えた。
「亡くなりました」
真薫は、息を呑んだ。
「賀茂保規殿が?」
「はい。昨夜、急に……」
定明は、うつむいた。
「病死だそうです」
「病死……」
真薫は、その言葉をうつろに繰り返した。
保規——陰陽助。
先々月、光保の死を報告した者。
そして、先月の事件では、右大臣藤原道顕の命令により呪物を設置した。
「定明殿、座ってくれ」
真薫は、定明を招き入れると円座を差し出す。
定明は、力なく座った。
「保規様は、陰陽助で、私の上司でした」
定明は、静かに言った。
「厳しい方でしたが……まあ、こうなるだろうとは思っていましたけど」
「こうなる、とは」
「口封じです」
定明は、あっさりと言った。
束の間、真薫の動きが止まる。
「保規様は、道顕様の秘密を知りすぎていた。呪物設置に関わっていましたからね」
「……」
「ただ、もう少し時間があると思っていました。まさか、こんなに早いとは」
定明は、苦笑した。
「光保が死んだのが先々月。保規様が今月。――はは、毎月のように人が死ぬなんて……」
真薫は、黙って聞いていた。
定明の達観した様子が、かえって痛々しかった。
「――調べよう」
真薫が言った。
「保規殿の死を、私たちで調べよう」
「……無理ですよ」
定明は、静かに首を振った。
「保規様は、“病死”だからです」
「しかし——」
「怪異雑掌は、“呪詛”や“怪異”として処理したい事件にしか呼ばれない。“病死”や“事故死”として隠したい事件には、決して呼ばれないんです」
定明の声に、諦念が滲んでいた。
「保規様の死を調べられるのは、誰かにとって都合が悪い。だから、病死として処理された。――僕らには、手が届かない」
真薫は、唇を噛んだ。
怪異雑掌。
呪詛のせいにしたい時だけ、都合よく使われる道具。
不都合な真実は、病死や事故死として隠される。
我々は、権力者の手駒に過ぎない。
「……私が、検非違使だったら」
真薫は、呟いて、けれどすぐに首を振った。
「検非違使でも、病死とされたなら手が出せない」
「そうですね」
定明は、寂しそうに笑った。
「結局、どこにいても同じです。下っ端は、権力者の都合に従うしかない」
定明は、真薫を見た。
「真薫殿」
「何だ」
「僕は、保規様の部下でした」
定明の声が、静かだった。
「そして、怪異雑掌の手伝いをしています。右大臣様の自作自演にも、関わりすぎている」
「……」
「知りすぎたと判断されたら……次に消されるのは、本当に僕かもしれません」
定明は、寂しそうに笑った。
「所詮、下っ端は使い捨ての駒です。いくらでも、替えはいるんだ」
「定明殿……」
「でも」
定明は、にっこりと笑った。
「真薫殿と知り合えてよかったです」
「定明殿……」
「少なくとも、一人じゃない」
定明は、真薫の肩を叩いた。
「それだけで、十分ですよ」
真薫は、定明の肩に手を置き、強く頷いた。
「ああ」




