二 呪詛返し
「怨霊に、殺された?」
真薫は、定明を見た。
「ええ」
定明は、深く息を吐いた。
「この気配、尋常じゃないです。何か、とても強い怨念が渦巻いている」
「しかし、怨霊が人を殺すなど……」
「あり得ます」
定明は、真剣な顔で言った。
「強い恨みを持った怨霊は、物理的に人を害することがある。源氏物語、六条の御息所の例をご存じでしょう」
定明は唇を歪めた。
「それに、呪詛は返されることもある。――呪詛返し、というやつです」
「呪詛返し……」
「ええ。光保殿が誰かを呪っていたとしたら、その呪いが跳ね返ってきた可能性があります」
保規が、咳払いをした。
「実は……光保には、呪詛返しについては、心当たりが、ある」
「心当たり、とは」
「光保は、最近、ある呪術を行っていた」
保規は、声を潜めた。
「大きな声では言えぬが――呪詛だ」
真薫は、息を呑んだ。
「誰を、呪っていたのですか」
「それは……」
保規は、口を濁した。
「申し訳ないが、それは言えぬ。上からの命令でな」
「上、とは」
「それも、言えぬ」
保規は、硬い表情で首を振った。
「とにかく、この件は呪詛返しとして処理していただきたい」
真薫は、定明を見た。
定明は、困ったように肩を竦めた。
「わかりました」
真薫は、保規に頭を下げた。
「では、報告書は“呪詛返しによる死”として作成します」
「頼む」
陰陽寮を出ると、定明が溜息をついた。
「光保……」
「知り合いだったのか」
「ええ。同期なんです」
定明は、空を見上げた。
「一緒に陰陽道を学んで、一緒に陰陽寮に入って。まさか、こんなことになるなんて」
「……すまない」
「いえ」
定明は、首を振った。
「光保が呪詛を行っていたのは、本当でしょう。じゃなきゃ、あんな強い怨念は生まれません」
「しかし、誰を呪っていたのか」
「それは……」
定明は、言葉を濁した。
「おそらく、右大臣様の命令でしょうね」
「右大臣――藤原道顕様か」
「ええ」
定明は、声を潜めた。
「道顕様は、政敵を排除するために、しばしば陰陽師に呪詛を命じるという噂があります」
「それは……」
「あくまで噂ですけどね」
定明は、苦笑した。
「でも、光保が道顕様の命で動いていたとしたら……口封じのために殺された可能性もあります」
「怨霊ではなく、人間にということか?」
「いや、おそらく怨霊は本物です」
定明は、真剣な顔で言った。
「あの陰の気は、嘘じゃない。光保は、確かに怨霊に殺された」
「では……」
「光保が呪詛で害した誰かが、怨霊となって復讐したんです」
定明の声が、震えた。
「呪詛返し、ですね」
真薫は、その夜、自室で考え込んでいた。
光保の死。
密室。
怨霊。
そして、右大臣・道顕の影。
——何か、引っ掛かっていることがある。
真薫は、報告書を書き始めた。
——賀茂光保、呪詛返しにより死亡。
陰陽寮塗籠にて、怨霊に殺害されたと推測。
しかし、筆が止まった。
これで、いいのか?
本当に、怨霊なのか?
真薫は、まだ怪異の存在を信じきれていなかった。




