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式部省の呪詛係  作者: 浮田葉子
序章
1/5

真実の代償 前編

 霜月(十一月)の夜。

 京の都は、冷たい闇に沈んでいた。

 検非違使(けびいし)庁の一室で、藤原真薫(ふじわらのちかゆき)は死体と向き合っていた。


 死者の名は藤原維時(ふじわらのこれとき)。正六位上、文章博士(もんじょうはかせ)。享年四十二。

 遺体は(むしろ)を敷いた上に寝かされている。

 真薫はその顔を静かに見つめていた。

 蒼白な顔。固く結ばれた唇。

 わずかに開いた目は、何かを訴えるように虚空を見つめている。


「どう見る、真薫」


 背後から声がかかった。

 真薫の同僚、検非違使尉(けびいしのじょう)藤原成光(ふじわらのなりみつ)である。

 真薫と同じく従六位下。真薫より五歳ほど年長で、温厚な性格の男だった。


「症状を見る限り、毒物による死と考えます」


 真薫は冷静に答えた。


「口の周りに痙攣の痕跡がある。そして、嘔吐の形跡に、指先の硬直。これらは附子(ぶす)の毒に見られる特徴です」


「ほう」

 成光は感心したように頷く。


「さすがだな。だが、(すけ)様はそうはお考えではないようだ」


季房(すえふさ)様が?」


 訊き返す真薫に、成光は声を潜めた。


「この事件は呪詛(じゅそ)による怪死として処理せよ、とのご命令が下っている」


 真薫は眉をひそめた。

 呪詛――貴族なら誰しもが一度は聞く言葉だ。

 たとえば、人形(ひとがた)に釘を打ち、真言を唱え、相手の死を願う。

 あるいは人形を屋敷の床下や井戸に隠し、呪う。

 方法はさまざまあれど、都では珍しくない話だった。

 貴族たちの権力闘争において、呪詛は有効な手段とされていた。

 だが——。


「現場に呪物(じゅぶつ)は?」

「ある」


 成光は苦い顔をした。


「寝所の北東の隅に、人形が置かれていた。釘が三本、打ち込まれている。陰陽師が調べたところ、強い怨念の気配があるとのことだ」


「その人形を見せていただけますか」

「……真薫、お前、まさか」


「事実を確認したいだけです」


 成光は溜息をついた。


「いいだろう。だが、余計なことは考えるなよ」



 人形は、検非違使庁の一室に保管されていた。

 布で包まれたそれを、真薫は慎重に開く。

 現れたのは、粗末な木彫りの人形だった。

 顔の部分に「維時」と墨で書かれている。胸に三本の釘。


 真薫は人形を手に取り、灯りにかざした。

 燭台(しょくだい)の炎が揺らめく。


「……成光殿」

「何だ」


「この人形、新しい」

「新しい?」


「ええ。木の切り口が新鮮です。少なくとも、作られてから一月(ひとつき)と経っていないと見えます」

「それが何か」


「呪詛は、長期間にわたって行うものです。相手の死を願い、毎夜呪いをかける。少なくとも数ヶ月、長ければ数年。――それなのに、この人形は新しすぎる」


 真薫は人形を裏返した。


「それに——」

「それに?」


「埃が少なすぎます」


 成光は目を見開いた。


「この人形は塗籠(ぬりごめ)から発見されたのでしょう。ですが、その塗籠は、普段使われていないと聞きました。であれば、埃が積もっているはずです。しかし、この人形にはほとんど埃がついていない」


「つまり……」

「事後に置かれた可能性が高い、と考えます」


 真薫は人形を布に包み直した。


「この呪物は、偽装工作です」


 成光は深く溜息をついた。


「真薫、お前の推理はいつも正しい。だが——」

「だが?」


「今回ばかりは、その正しさが仇になるかもしれん」


 溜息のように囁いて。

 成光は少しだけ目を逸らせた。




 成光が真薫を連れて邸に戻ると、すでにそこには客が待っていた。

 衣冠(いかん)姿の中年の男。位階は従五位上。

 顔には険しい表情を浮かべている。


「……成光、真薫。話は聞いたぞ」


「これは、季房様」

 成光と真薫は慌てて平伏した。


 藤原季房(ふじわらのすえふさ)

 検非違使佐(けびいしのすけ)、すなわち検非違使庁の次官である。

 実質的に庁務を取り仕切る実力者だった。


「お前たち、余計な詮索をしているそうだな」


 季房は鼻の頭に皺を寄せて、唸った。


「申し訳ございません。真薫は優秀な男ですが、やや生真面目すぎるところがあり……」


 成光が弁解しようとする。


「生真面目」


 季房は鼻で笑った。


「空気が読めぬ、と言え」


 真薫は平伏したまま、答えた。


「恐れながら、検非違使の職務は事実の究明にあると心得ます」


「事実とな?」


 季房の声が低くなった。


「事実など、誰も求めておらぬわ」


「……」


「維時は、左大臣派の者だ。そして、右大臣藤原道顕(ふじわらのみちあき)様を批判する言を露わにしていた。その維時が、呪詛で死んだ。これは政治的に非常に都合がよい」


「しかし——」


「黙れ」


 季房の声が響いた。


「お前如きが、朝廷の(まつりごと)を理解できると思うな。維時の死は、呪詛による怪死。これで決まりだ。――それが、右大臣様のご意向でもある」


 真薫は歯を食いしばった。


「私は検非違使として、真実を——」


「真実だと?」


 季房は嘲笑った。


「では訊くが、お前の言う『真実』とやらで、誰が救われる? 維時は既に死んでいる。犯人を捕らえたところで、維時は戻らぬ。むしろ、犯人が右大臣派の誰かだとでも判明すれば、政治的混乱を招くだけだ」


「……」


「いいか、真薫。この世は、真実で回っているのではない。都合で回っているのだ。お前はそれを理解せねばならん」


 季房は立ち上がった。


「報告書は、呪詛による怪死として提出しろ。以上だ」


 御簾(みす)を乱暴に跳ね上げ、季房は去っていった。



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