33 木漏れ日の先に潜む危機
直接挨拶をしてくるなんて、どういうつもり?
透子は無言で留里を見つめた。留里は微笑んでいたが、次の瞬間、その表情を醜く歪めるとハンカチを取り出し、手を拭いながら言った。
「なによ、こっちが挨拶してんのにその態度。それに挨拶も返さないわけ?」
「えっ? あ、ごめん。おはよう。留里が挨拶してくるなんて、驚いてただけ」
「どういう意味!?」
手を拭うくらい嫌なら、挨拶しなければいいのに。
透子はうんざりした。そのとき、カミラがエントランスに入ってきた。
「おはよう。透子、それに留里」
朗らかに挨拶され、透子はカミラのタイミングのよさに内心感謝した。留里はカミラの方を見ると、挨拶を返し引き下がった。
カミラの背後からカイが続いた。透子の心臓がテンポを速めたが、それを周囲に悟られないように軽く挨拶を交わす。
全員が揃ったところで、ロゼルが言った。
「では皆様。参りましょう」
透子たちはロゼルに続き、レオンやサイラスを含む護衛たちに取り囲まれるようにして進んだ。
ロゼルは村の中心部と反対方向へ向かった。前方には昨日見えた透明な壁があり、その内側には広大な牧草地が広がっていた。さらにその向こうには、別の透明な壁に囲まれた麦畑が見えた。
牧草地を囲む壁の前まで来ると、ロゼルは立ち止まり透子と留里に微笑みかけた。
「お二人はご存じないと思いますので説明いたします。この村の牧場は、すべて薄い霊石の壁で囲まれていて、牧草地の気候などは管理されています」
「霊石の壁、こんな巨大なものがですか?」
透子はその壁を見上げ、思わず口にした。相手が話している最中なのに失礼だったと思い謝った。するとロゼルは嬉しそうに微笑んだ。
「謝る必要はありません。透子様はとても感受性が豊かで勉強熱心でいらっしゃる。質問されるのは嬉しいことです。ではお答えしましょう」
ロゼルは壁を指先でトンと叩いた。すると、そこを中心に壁が波打ち、光の輪が広がりながら壁面の模様を浮かび上がらせた。
「見えましたか、モザイクのような模様が。なんだと思いますか?」
透子は少し考えてから答える。
「小さな霊石を、パズルのように組んでいるのですね?」
ロゼルは朗らかに笑うと首を横に振った。
「そう見えますね。ですが実はこの壁、霊石から紡いだ糸で織られた布なんです。あの模様は呪文を表す柄なんですよ」
透子は目を見開く。
「布!?」
もう一度その壁を見上げる。
「すごい。霊石でできた布だなんて、思いつきもしませんでした」
ロゼルは満足そうに頷いた。
「そうでしょう。これは、ロゼル村の機織りが考えて作ったものなんですよ」
ロゼルの様子を見て、外から来客がある度にこうして話しているのだろうと思った。だが、確かに誰かに話したくなるほど素晴らしい発想だった。
「触ってもよろしいですか?」
透子の問いに、ロゼルは大きく頷く。透子がそっとその透明で不思議な布に触れると、シルクのような手触りだった。見た目から、もっと硬いものを想像していた透子は、霊石からこんなものも作ることができるのかと、感心した。
「ちょっと、いつまで触ってんの? 早くしてよ!」
留里は落ち着かない様子で透子を睨みつけた。ロゼルは微笑むと頭を下げた。
「留里様。お待たせいたしました。では、次に参りましょう。こちらのドーム内は、すべてが管理されていますので、後ほど中を見学していただくとして。次は麦畑へ参りましょう」
留里は瞳を輝かせた。
「やっとなのね! 留里つまんない説明が長くてうんざりしてたの」
透子は留里のその言い方にムッとしたが、確かにしつこく質問しすぎてしまったかもしれないと思い、無言でロゼルの案内に従って歩き始めた。
麦畑の手前に森があり、ロゼルはその森へ向かいながら説明する。
「こちらの森はとても綺麗に整備してあります。遊歩道を歩きながら、様々な植物や霊種もご覧いただけると思います」
ルミナスやファタファラもいるだろうか。昨夜の温室の幻想的な景色を思い出した。そして不意にカイに視線を向けると、カイもこちらを見つめており、目が合う。
透子の心臓がひとつ大きく脈打った。思わず目を逸らした。もしかしたら、カイ先生も昨夜のことを思い出していたのかもしれない。そんなことを思いながらそっとカイを盗み見るも、カイはもうこちらを見ていなかった。
そうだよね、カイ先生が私のこと考えるわけないか。透子は自嘲気味に笑うと森の中を進んだ。
ロゼルの言った通り、道にはレンガが規則正しく敷かれ、細かな模様を作っていた。そこへ木漏れ日が差し込み、透子は歩くだけでも楽しかった。
日の光の中ではどのように見えるだろうか。透子は木々の間に目を凝らしてファタファラを探した。
そのとき、急に複数のファタファラがどこからともなく現れた。
「え、ファタファラ? いつの間に……」
ファタファラは透子の周囲を慌ただしく飛び始めた。
「どうしたの?」
透子がそこで立ち止まると、次から次にファタファラが現れ透子を取り囲みなにかを訴えるように舞った。
『村が災害や疫病に襲われたとき、ファタファラが現れて村を救ってきた』とカイが昨夜言ったのを思い出す。
ロゼルさんに伝えなきゃ。
するとなにかを感じたのか、前方を歩いていたカイがピタリと動きを止め、振り返ると透子の方を見て険しい顔をした。その横にいたカミラも、異変を察知したのか透子を見る。
透子はなにがなんだかわからずに、二人を見つめ返して言った。
「あの、これは一体何でしょう?」
次の瞬間、カイが目を見開き森の奥に視線を移したのを見て、透子もそちらの方を見る。
「バウルだー!!」
遠くで誰かがそう叫び、透子はなにが起きたのかわからずにただ怯えた。バウルってなに? 大変なことなの?
とにかく逃げなければならないと考えるが、足がすくんでその場を動けなかった。
どうしよう、ファタファラは危険を知らせてたんだ。早くどうにかしないと。でもどうやって?
そのときカイは透子に駆け寄り抱きしめると、そのまま地面に伏せさせた。その瞬間、なにかが透子たちの横を駆け抜ける。
透子は恐怖から固く目を閉じる。
一度近くを通り抜けた足音は少し遠ざかったが、急に止まった。
「ガウ! グルルル」
低い唸り声と、その間に漏れる荒々しい息遣いが獰猛な生き物を連想させた。透子はカイの胸の中で震えながらも、その恐怖の正体を確かめようとそっと唸り声のする方向を見た。




