34 消えたバウルの行方
そこには全身真っ白で、鹿のような角、首から肩、腹部まで覆う長いたてがみをもつ、美しくも恐ろしい生き物がいた。
「バウルが、なぜここに?」
この生き物が、バウル……。
バウルは憎悪のこもった眼差しで、まっすぐにこちらを見つめており、目が合うと透子は身震いした。
だが、同時にバウルが怪我をしていることに気づく。そのとき突然、留里が一歩前に出た。
「えー? 透子、こんなチョロい相手が怖いんだ。めっちゃださっ! 留里なら簡単に倒せるけど?」
そうして留里はバウルに向けて手をかざすと目を閉じ、渦巻く大きな火球を作り始める。その影響か、風が吹き荒れ激しい葉擦れの音がした。
次第に大きくなる火球は、周囲に火の粉を撒いていた。
だめ、留里は力を制御できてない。このままだとみんなが怪我をしてしまう。
それにあの霊種は、怪我をして暴走しているだけかもしれない。透子は思わず叫んだ。
「留里、止めて!」
透子は手を伸ばした。
「透子、今は動くな!」
カイはそんな透子を守るように、抱きしめる腕に力を込めた。その瞬間、留里の手から火球が解き放たれ、耳をつんざく爆音とそれに続く爆風にさらされる。
みんなを守らないと!
透子は眩いほどの閃光につつまれ、目をぎゅっと閉じた。しばらくして、辺りに静けさが戻る。
透子はゆっくりと目を開け、カイの顔を見上げる。カイは苦しそうな表情でバウルのいた場所を見つめていた。
透子はその表情から、バウルが悲惨な最後を遂げてしまったのだろうと想像し、恐る恐るカイの視線の先を見た。
だが、そこにはなにもなかった。文字通り、影形すらない。
バウルが消えた。一体どこに? さっきの留里の火球、バウルが消滅するほどの威力じゃなかったはず。
呆然と大きくえぐれた地面を見つめた。
透子はそこではっとし、カイに視線を戻す。
「みんなは? ロゼルさんは? カミラ先生は大丈夫ですか?!」
動揺する透子を見つめながら、カイは体を起こし、微笑んで透子に手を差し伸べながら言った。
「大丈夫だ。皆無事のようだ」
透子は手を取り立ち上がると、周囲を見渡す。レオンやカミラ、ロゼル、それにファニーも怪我はなく、ただ呆然とした表情で立っていた。
「よかった。みんな無事だったんですね」
ほっと息をつき、胸をなで下ろしていると、腕組みをし、片方の口角を上げ嫌らしい笑みを浮かべる留里と目が合う。
「留里……」
透子は力を暴走させたうえ、自慢げにしている留里に怒りを覚えた。
「留里、あなた何を考えているの? こんなに人が集まっているところで、あんな力を使うなんて!」
留里は大きく目を見開き透子を見つめ、楽しそうに声を出して笑った。
笑い事ではないのに。
「留里、自分のしたことわかってるの?」
留里は我慢できないとばかりにお腹を押さえて笑いだすと、涙を拭い息を整える。
「はぁ、おかしい。透子。あんた嫉妬してるの? 留里があの化け物を退治したから」
「はぁ?」
思いもよらぬ返事に思わず素っ頓狂な声を出した。だが留里はそんな透子を見て、まだ笑っている。
「その顔、傑作! いい気味。留里とあんたとの実力の差がでちゃったしね。先生たちも、留里と透子の実力差を目の当たりにして、なんにも言えないぐらいだし」
そんなことを言っているが、留里の足はぷるぷると震えている。おそらく力を出し過ぎて、立っているのもやっとなのだろう。
そこで、ロゼルが留里に大きな拍手を贈りながら前に出た。
「さすがです。留里様。とっさのことなのに、すぐに状況を判断し対処された。こんなこと、我々でもできません」
留里は透子を見下すように一瞥すると、また口元に笑みを浮かべて言った。
「でしょう。誰かに守られてるだけの誰かさんとは、大違いよね」
「はい。本当に留里様は素晴らしい」
「そう? まぁ、確かに。これだけいる中ですぐに動けたのは留里だけだもん。そう言われて当然かもね」
「その通りですね。ところで、こうなってしまったら今日の視察は中止すべきでしょう。そこで、私どもは、お屋敷で素晴らしい留里様のお話を聞きたいのですが」
透子はロゼルの態度を不思議に思う。誠実でこの村を愛する穏やかな人物だと思っていたのに、今は留里に露骨なゴマすりをしていた。
「さぁ、留里様。私の手につかまってください。お連れします。その道中、霊術について色々と御教示ください」
その台詞を聞いて透子はピンときた。ロゼルが留里の強がりに気づいて屋敷へ誘導しようとしているのだ。
留里は満更でもない顔をすると、その手を取りロゼルとサイラスに抱えられるように屋敷へ戻っていった。
透子はその後ろ姿を見つめていたが、ファタファラが周囲を飛ぶ姿を見て我に返る。
「カイ先生、バウルはどうなったんでしょう?」
「バウル、か。正直わからない。お前に心当たりは?」
「心当たりですか?」
なぜ私に訊くんだろう。
透子は不思議に思いながら、周囲でなにかを訴えるように飛ぶファタファラを見つめた。
「ファタファラが、なにか訴えてる?」
ファタファラは森の奥へ飛び始めた。
「カイ先生、ついて行きましょう。きっと森の奥になにかあるんです」
カイは頷いた。そこでカミラが二人に声をかける。
「透子。申し訳ないのだけど、私疲れてしまって。先に屋敷に戻ってもいいかしら?」
「あ、はい。すみません。気づかなくて」
「いいのよ、透子が謝る必要なんてないの。じゃあ失礼するわね。それと、レオンとファニーを護衛としてお借りしてもいいかしら?」
レオンはわかるとして、ファニーも? そう思っていると、カイが明らかに嫌そうな顔でつぶやく。
「余計なことを」
透子はどういう意味なのかわからずにカイを見上げ、その真意を探るように見つめた。その視線に気づいたカイは視線を逸らすと、一瞬バツが悪そうな顔をしたが気を取り直したように透子に向き直る。
「透子、ファタファラを追おう」
透子はなにかごまかされたような気持ちになったが、カミラを支えるレオンと、無理やり引っ張られていくファニーを横目にカイと共にファタファラを追った。
周囲を警戒しながら進む。
勢いでここまで来ちゃったけど、本当にこの奥にバウルがいるのかな?
息を切らしながら、奥へ奥へ進んでいくと、遠くから微かに甲高く悲しげな獣の鳴き声がした。
「カイ先生、この声って」
「おそらくバウルのものだろう」
透子は声のした方向に目を凝らした。すると木々の隙間から真っ白なたてがみが見え隠れする。
「いた、いました。でもなぜこんなところに……」
そこには大きな檻があった。
そのなかにバウルがいた。
「閉じ込められてる?」
「そのようだな」
先ほどのバウルがなぜ檻の中にいるのだろう。
やや困惑しカイを見上げた。カイは冷静に檻の中をじっと見つめる。
「このバウルは先ほどのバウルとちがう。先ほどのバウルはオスだった。これはメスだ」
「どういうことですか?」
そのとき、檻の向こう側に別のバウルが倒れていることに気づいた。そのバウルは先ほど襲ってきたバウルと同じ箇所を怪我していた。
「カイ先生、あのバウル!」
カイは頷く。
「先ほどのバウルで間違いないだろう」
「気を失っている?」
「そのようだな」
透子はバウルに近づくと、横に屈み込む。微かに呼吸をしていた。
「死んでしまったわけじゃなかったんですね、よかった。それにしても」
透子が檻の中を見ると、中のバウルが心配そうに気を失ったバウルを見つめていた。




