31 月が綺麗な夜に
だめと言われるのはわかっていたが、こちらに来てから、部屋から出るときはずっと誰かと一緒に行動しなければならず、一人で散歩をしたかった。
もしかしたら、一人きりで外を歩けるのはこれが最後かもしれない。
フィオナは少し驚いた様子を見せた。
「お一人で、ですか? いえ、ここの庭は外部から絶対に誰も侵入できないようにはなっていますが……」
「だめ、ですよね?」
透子がフィオナの様子をうかがうと、フィオナは微笑んだ。
「いえ、でしたら温室に行かれるのはどうですか? レオンには外で見張りをしてもらえばいいと思います」
「温室があるんですか?」
「はい。かなり広い温室ですし、外を歩くのとかわりありません」
温室であろうと、誰に気兼ねすることなく自由にどこかを歩けるのは嬉しいことだった。
「ありがとうございます。わがまま言ってすみません」
フィオナは苦笑する。
「いいえ、これはわがままなどではありませんよ。それに、透子様はあまりお気持ちをおっしゃらないから、こうしてお願いしてくださるのはとても嬉しいことです」
「そうでしたっけ? いつもフィオナさんに頼ってばかりのような気がしてたんですけど……」
「そんなことありません。とりあえず、レオンを呼びますね。温室まで案内させます」
フィオナはレオンを呼びに行くと、すぐに連れ立って戻ってきた。
「透子様、お待たせいたしました。温室まで案内します。行きましょう」
「はい。よろしくお願いします」
透子はレオンの差し出す手を取り、後に続いた。
「警備の関係で、私もこちらの屋敷の温室を見させていただいたのですが、とても素晴らしいですよ」
窓から月の光が差す長い廊下を歩いていると、レオンは立ち止まり、庭に続くドアを開いた。
「こちらから外に出て、温室に向かいます。足元に気をつけてください。少し段差があります」
レオンは外へ出るよう促し、透子の足元をランプで照らしてくれた。庭には明かり一つなく、レオンの持っているランプと月明かりだけが頼りだった。
しばらくついていくと、レオンは立ち止まった。目の前には、全面ガラス張りの建物があった。
透子が中を覗き込もうとするが、中は真っ暗で何も見えなかった。
「今、ドアを開けますね」
透子がレオンの背後から中を覗くと、淡く光を放つ白く大きな蓮の花が咲いているのが見えた。その光は温室内をうっすらと照らしている。
それが温室内の池の水面に反射し、とても幻想的な光景が広がっていた。
「わぁ、素敵」
透子は促されるままゆっくり温室内に足を踏み入れた。辺りを見回すと、いたるところに池があり、そこには光る蓮の花が咲いている。
その他にも大小様々な白い花が咲き、その花々は華やかさこそ控えめだが、花弁が半透明で、はかなくも幻想的で美しく見えた。
池は小川となり温室内を流れていて、薄く照らされる室内には、白いふわふわした綿毛のようなものが舞っている。
天井はとても高く、背の高い木々も植えられており、どの木も独特な葉の形をしていたり、枝や幹に特徴があったりと、透子が見たことのないものばかりだった。
天井を見上げると、ドーム型になっていて月がよく見えた。
あまりの美しさに、透子は見惚れ足元にある石につまずいてしまった。
その瞬間、脇から誰かに抱きかかえられ支えられる。透子はレオンが来てくれたのだと思い、その人物につかまった。
「ありがとう、レオンさん。助かり……」
そう言いかけて顔を上げると、そこにいたのはレオンではなくカイだった。
「カイ先生!?」
透子は驚き、慌ててカイから体を離した。
「すみません」
「いや、かまわない」
「支えてくださって、ありがとうございます」
透子は軽く頭を下げた後カイの顔を見上げるが、暗くどのような表情をしているかわからなかった。だが、こちらをじっと見つめていることだけはわかった。
どうしたんだろう。カイ先生いつもと雰囲気がちがう。それに、なんで何も言わないんだろう。
「カイ先生? 怒っているんですか?」
「いや、怒ってはいない」
透子はどうしてよいかわからず、カイを見つめ返した。しばらくそうしていると、カイはやっと口を開いた。
「お前はここで何を?」
「え、あ、はい。散歩をしていました。もちろん一人きりではなくて、レオンさんには外で待ってもらってます」
「そうか」
カイは月を見上げながら言った。
「私は夜目が効く。お前さえよければ、温室の中を案内しよう」
先生が案内を? 嬉しいけどいいのかな。
透子は一瞬だけ迷ったが、すぐに返事をした。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
透子が微笑むと、カイは透子の腰に手を回した。ひときわ大きく心臓が鼓動する。
お、落ち着かなきゃ。カイ先生に他意なんてない。ヴァレンディアではこれが普通のエスコートなんだから。変に避けたりしないようにしよう。
透子は歩きやすいように、少しカイに体を寄せると歩き始めた。だがその間も、当てられているカイの手の感触を意識せずにはいられず、努めて平静を装った。
少し歩くと、下へ続く階段がありカイは立ち止まって振り向いた。
「透子、少し暗いが降りられるか?」
そう言うと透子の手を取りぎゅっと握る。
「はい、大丈夫です」
答えると、二人はゆっくり階段を下った。
「この先にガゼボがあったはずだ。そこで少し休もう」
二人はガゼボの下に設えてある椅子に腰掛けた。
透子の心臓は終始落ち着きなく脈打ち、どうしてこんなにも自分が緊張してしまうのか、その理由を理解できずにいた。
目の前には先ほどの段差を利用した小さな滝が流れており、白く美しい蝶が辺りを舞っていた。
「透子。今舞っている蝶はファタファラという霊種で、このあたりにしか生息していない」
透子は驚いてファタファラを見つめる。
「霊種なんですか? でも、なぜ温室に?」
「この村は、ファタファラと深い関わりがある。村が災害や疫病に襲われたときに現れ、村を救ってきたそうだ」
「すごいですね。でもなぜ人間を助けようとしたんでしょう」
カイは透子を見てふっと笑った。透子はどきっとして視線を逸らした。カイはそんな透子の様子を気にもとめずに言った。
「人間の暮らしから恩恵を受けていて、人間がいなくなったら困るのだろうと学者は言っている。お前はどう思う?」
そんなことで、人間を助けようとするかな? 透子はひらひらと美しく舞うファタファラを目で追いながら考えた。
「そうですね、確かにそれもあるかもしれません。ですがファタファラは、問題の解決方法を知っているほど知能があるんですよね」
「そうだ」
「なら、自分たちの利益のためだけに行動をおこすとは思えません。同じ場所に生きる仲間として、人間を助けてくれているんじゃないでしょうか」
綺麗事すぎるかな? もしかして、これは私の勝手な願望かもしれない。
そのとき、ファタファラが透子の周囲に集まり、楽しそうに舞い始めた。それを見ていたカイが言った。
「正解がどちらなのか、ファタファラの反応を見ればあきらかだろう」
透子は嬉しくなり、ふっと笑った。
「ありがとうございます」
そんな透子を見て、カイは悲しそうに微笑む。
「透子。お前はこれから、ヴァレンディアの王の后になるかもしれない。様々なことを経験するだろう。その中には厳しい局面もあって、つらい経験をすることもあるだろう。だが、今のその純粋なままでいてほしい」
カイのその言葉に透子は胸の奥がぎゅっとした。今の台詞は先生としての言葉ではなく、カイの本音のような気がしたからだ。
「はい。わかりました」
カイは頷き空を見上げた。つられて透子も空を見上げる。そこには銀色に輝く月が見えた。
改めて考える。
今まで考えてみたことなかったけど、この世界にも同じように月が存在するなんて不思議。
透子は月の美しさに思わず言った。
「月が綺麗ですね……」
そう言ってはっとする。この言葉は愛の告白の意味があったはずだ。すぐにカイの様子を見るが、カイはなんの反応も示さずに、ただ月を見上げている。
透子は、カイにバレないよう安堵の息を漏らす。よかった、そうよね。カイ先生はこの言葉の意味なんて知るわけないんだから。そう思い、もう一度月を見上げる。
カイは月から透子へ視線を戻して言った。
「透子、私もそう思う。月が綺麗だ」
そう言われ、心臓が大きく跳ねるのがわかった。透子は、まるで告白の返事をもらったような気持ちになったが、すぐにそれを打ち消す。
カイ先生はただ、月の話をしているだけなのに、そんなこと考えるなんてと、自分を恥ずかしく思った。




