30 青緑の麦畑と小さな願い
今回の視察にはファニーはもちろん、フィオナやカミラとカイも同行している。
透子たちを護衛するために、馬車の周囲を騎馬隊や歩兵が囲い、強固な守りを築いていた。
レオンは馬に乗り透子の馬車の横を走っている。
透子は窓を開けてレオンに声をかけた。
「レオンさん。大丈夫ですか? 疲れませんか?」
レオンは嬉しそうに微笑む。
「透子様ありがとうございます。大丈夫ですよ。透子様こそお疲れではありませんか?」
「大丈夫です。逆にすごく楽しくて。それにしても、とても警備が厳重なんですね」
「もちろんです。尊い方々を護衛するのですから」
「尊い……。そっか、そうなるんですね」
透子は苦笑したが、内心これからお后になってしまえば護衛が強化され、自由が利かない生活が続くのだと、複雑な気持ちになった。
ふと、自分の世界で仕事帰りに英子たちと飲みに出かけたことを思い出す。
「もう二度とあんなこともできないのか……」
思わずつぶやくと、レオンが心配そうな顔をした。
「透子様? どうかされたのですか?」
「え、なんでもないですよ。大丈夫です」
「そうですか。ならいいのですが」
透子は微笑むと、前方を見つめた。
馬車に揺られ約半日。なだらかな丘陵をいくつも抜け、そして今、目の前に広大な青い麦畑が現れた。
それは風が吹くと朝露をはじき、キラキラと輝きながら、やわらかい青緑の波を作った。その上を金色の粒が舞っている。
「うわぁ、綺麗! あの金色の粒はなんだろう?」
透子は思わず馬車の窓から身を乗り出す。すると、木々の匂いに混じりどこかからかすかに酵母とパンを焼く香りがする。
「いい香り」
その中を馬車はゆっくりと進んでゆく。
そのとき、畑の向こう側に光を反射する透明な壁が見えた。
あれ、なんだろう?
その正体を探るようにそちらを見つめていると、その向こうに草原が広がっているのが見えた。
そこでは牛たちがのんびりと草をはんでおり、その上空にはいくつも棒状のなにかが浮いている。それは明らかにルフスとは違っていた。
アストラルイメージ? でもそんな感じには見えない。
透子は不思議に思いながら、まだ知らぬなにかをここで見られることに、胸を弾ませた。
しばらくしてちらほらと建物が見えてくると、市街地に入った。
透子はレオンに尋ねる。
「ロゼル村に入ったんですか?」
「はい、そうです。これから市場を抜ければ目的地に到着します」
「よかった。これで一息つけますね」
馬車はにぎわう市場を通過し、大きな屋敷の前で止まった。
レオンのエスコートで馬車を降りると、透子は思い切り伸びをした。
「空気がとっても美味しい!」
レオンは透子をまぶしそうに見つめた。
「そうですか。透子様がそのように喜んでくださってよかったです」
ちょっとはしゃぎ過ぎたかな。透子は恥ずかしくなり、笑ってごまかすと改めて言った。
「本当に素敵な村ですね」
「はい。ここは土地が豊かですから、作物もよく育ちますし。ミルクも、それで作られるチーズも絶品なのです」
その会話にカイが加わる。
「透子。今回ここに来たのはそれが目的ではない」
「はい。そうですね。私たちはここに視察に来たんですから」
「わかっているならいい。ところで、お前はこの村についてなにか質問はあるか?」
透子は先ほどの透明の壁を思い出す。それに畑の上を飛んでいた金の粒も。あれは一体なんなのか。
「来る途中で見かけたのですが、畑を舞う金の粒は一体なんですか?」
「アベイユのことだな。あれは我々と共存する霊種で、主に麦を害虫から守っている」
「ルミナスのようなものですか?」
「そうだ」
「あともう一つ、畑の向こうに広がっていた牧草地ですけど、あれはどういった仕組みなんですか?」
その質問には、後ろから来たカミラが答える。
「透子。それはこれから視察しながら説明があると思うわ」
「あ、そうですよね」
透子が苦笑すると留里が言った。
「そんなのどうでもいいから、早く終わらせてよ」
カミラがくすくすと笑う。
「あら、その気持ちはわかるけれど、もうそろそろこの村の村長が出迎えてくれるはずよ。もう少し待ってあげてね」
「ようこそお越しくださいました」
振り向くとそこにとても品の良い紳士が立っており、こちらと目が合うと深く頭を下げる。
カミラは優しく声をかける。
「いいのよ。さぁ、頭を上げて。ロゼル」
ロゼル? ここの村の名前と同じだけど……。透子は不思議に思いカミラの顔をじっと見つめた。その視線の意味がわかったのか、カミラは透子に説明した。
「こちら、ロゼル村の村長のオリヴィエ・ド・ロゼル・ヴァルモンよ。この村では村長が村の名前を継承することになってるの」
なるほど、そういうことか。
一瞬、独裁的なものを想像したが、見た限りこの村にはそぐわない。名を継承しているだけなら、この村の雰囲気とも合っている。
「わかりやすくていいですね」
カミラにそう返し、透子はロゼルに向き直る。
「ロゼルさん、今日はよろしくお願いいたします」
「それはこちらの台詞です。今日はどうぞよろしくお願いいたします。重ねて、出迎えが遅れてしまったことをお詫び申し上げます」
留里が間髪を入れずに言った。
「本当よね。未来の王妃を待たせるなんて信じられない」
その言葉にカミラとロゼルが顔を見合わせて苦笑し、カミラが口を開く。
「留里。ロゼルもなにか事情があるのよ。許してあげてね」
留里はそっぽを向いた。ロゼルは微笑んで言った。
「留里様。お許しくださってありがとうございます。さぁ、お疲れでしょう。皆様、どうぞ私の屋敷でおくつろぎください」
透子たちにも微笑んだ。
目の前の大きな屋敷に入ると、エントランスを通り広々とした客間に通される。
客間にはお茶の準備がしてあり、すぐに温かいお茶が提供された。
「美味しい」
透子はつぶやくと、クッションの効いたソファにゆったりと座り、お茶の香りを楽しむ。
しばらくすると、食事の時間を伝えられ一人ずつ割り当てられた部屋へ案内された。疲れていた透子は部屋へ入ると、少しだけと思ってベッドに体を横たえたが、気づけば日が傾いていた。
嘘! 私そんなに寝てた? 夕食の時間過ぎちゃってる!
飛び起きると、部屋に夕食の支度が整っていた。
「透子様。とても気持ちよさそうに休まれていたので、お部屋に準備させていただきました」
透子は苦笑した。
「すみません。思ってたより疲れてたみたいです」
夕食を摂ると、やっと体がいつもの調子を取り戻したように感じた。
フィオナは微笑む。
「ずっと座っての移動でしたし、体が疲れたのではないですか? 少し外をお散歩されますか?」
「えっ? いいんですか?」
「もちろんです。このお屋敷には広大なお庭も有りますし、ロゼル様から、いつでも庭に出ていいと許可をいただいてますから」
「本当ですか? じゃあお言葉に甘えて、お散歩したいです!」
フィオナの顔がほころぶ。
「わかりました。では、レオンを呼びますね」
「待ってください。わがままかもしれませんが、一人で散歩してもいいですか? 絶対に庭から出たりしません」




