29 見えないもの、見えてくるもの
「レオンは帰した。私が部屋まで送ろう」
「あ、ありがとうございます」
急にどうしたのだろう。もしかしたら、力についてなにか言われるのかもしれない。
透子は少し緊張しながらカイの横に並んで歩き出した。
「透子。お前は十分力の制御ができている。むやみ矢鱈にその力を怖がる必要はない」
突然カイにそう言われ、透子はカイが自分を安心させようとしていることに気づいた。
「はい。わかりました。ですが、今後はむやみに力を使わないようにします」
「そうか。そうだな。お前なら大丈夫だろう」
そのあとしばらく無言が続き、透子がなにか話さなければと思っているところでカイが口を開く。
「ところで、お前のフルール・サリエンテはスズランだったはずだ。なぜ霊石を?」
その質問にどこまで話せばいいか迷ったが、正直にありのままを話すことにした。
「バッグにフルール・サリエンテを確かに入れたはずなのですが、使うときになって見てみたらなくなっていたんです。もしかしたら、入れたつもりで忘れたのかもしれません」
言った後で後悔する。
こんなこと言ったら、忘れるなんて準備が足りないって怒られるかも。
透子はカイの様子を伺うように顔を盗み見た。だが以外にもカイは怒っている様子はなかった。
「なるほど。なくなったのならカミラが詳しいことを知っているだろう」
透子は、はっとした。
そっか、さっきカミラ先生はアマルで私のこと見てたって言ってた。じゃあ留里のことも見てたんだ。
思わず黙り込むと、カイが心配そうに尋ねる。
「どうした?」
今このことを言うべきだろうか? いいえ、カミラ先生が見ていたなら、いずれ真実が伝わるはず。今騒いでも損するだけだ。
「いえ、なんでもありません」
二人の間にしばらく沈黙が続く。
長い廊下を歩いていると、外から鳥のさえずりが聞こえた。きっと中庭に小鳥たちが集まっているのだろう。そんなことを考えていると、突然カイが言った。
「私は最初から信じていた」
「えっ? はい。あの、なにをでしょうか?」
カイは咳払いして言った。
「私は殿下と違って、最初からお前がどこかからあの霊石を勝手に持ち出し、フルール・サリエンテとして使ったなどとは考えもしなかった」
突然そんなことを言われ、透子はなんと言って返せばいいのか戸惑いながら答える。
「は、はい。わかりました」
カイはふっと笑った。
「そうか、わかったならいい」
カイは満足そうに、そのまま無言で歩き続けた。そして、透子の部屋の前まで来ると、カイは透子のネックレスに目を止めた。
「レインボームーンストーンだな」
透子は思わずネックレスに触れた。
「はい。大切な友人からのプレゼントで。とても気に入っていていつも身に着けてます。なんだかこれを着けていると守られている気がして」
カイは頷く。
「確かに。その石には持ち主を守るよう霊力が込められているようだ。身に着けていたほうがいいだろう」
そうなの? 気づかなかった。
ルゥはそんなこと言ってなかったが、お守りとして渡してくれたのだろう。それを嬉しく思いながら答える。
「そうなんですね。知りませんでした。ではこれからもなるべく身に着けるようにします。それにこのデザインとても気に入っているんですよ」
「そのようだな。部屋に着いた。私はここで失礼する」
カイは戻っていった。
カイ先生、もしかして信じてたって伝えるために?
透子は少し戸惑いながらも、なんだか心が温かくなっていた。
翌日、留里が霊石についてなにか感づいているかもしれないと透子は警戒したが、気づいた様子はなかった。
ただ、このころから留里が含み笑いをしながらこちらを見ていることがあった。透子は留里がこちらによからぬことを仕掛けようとしているのではないかと思い、それを考えると憂鬱な気分になった。
「透子様。ここ最近、気分が優れないようですね」
授業帰り、心配顔のレオンにそう言われ透子は苦笑した。
「そんな顔してました?」
「いえ。ですが、言葉数が少なかったり、笑顔を見せてくださることが減っているように感じたので。私の気のせいならいいのです」
そんなに観察されてたの!? でも、レオンさんがそう思うほど、私表情に出てたんだ。それならフィオナさんも気づいてるかも、気をつけないと。
透子はつくり笑顔で答える。
「自分では気づかなかったけれど、疲れていたのかもしれません」
「では、どうでしょう。お庭を散歩されては?」
「素敵ですね!」
透子は庭よりも行ってみたい場所があったことを思い出し、レオンに訊いてみる。
「あの、だったらお城の塔に登って外の景色を見てみたいんです。だめでしょうか?」
レオンは少し驚いたような顔をして透子を見つめた。
「透子様が仰っているのは、見張り塔のことですよね?」
「えっと、そうだと思います」
そう確認すると、レオンはしばらく考え込んだあと微笑む。
「あのような場所に登りたいと仰るとは思いませんでしたが」
そこで言葉を切るとレオンは頷く。
「大丈夫だと思います」
「いいんですか? ありがとうございます」
「いいえ。こんなことで喜んでいただけるならいくらでも。さぁ、行きましょう」
透子は差し出された手を取った。城の外壁の内側に入ると薄暗く長い廊下を進みながら、レオンは説明する。
「もう、何百年も前なのですが、当時ヴァレンディア王国で大きな内乱があったそうです。今では想像もできませんが」
透子は建国史でそんな内容があったことを思い出す。
「確か、政治的なものでしたよね。では、この立派な外壁や見張り塔はそのころに?」
「はい。その当時に作られたものと聞いております」
レオンは立ち止まり、ドアを開いた。
「こちらです」
透子が中に入ると、一段と薄暗くカビと土の匂いがした。上の方にだけ窓があり、そこから入る日の光でわずかに塔の中心にある螺旋階段が照らされている。
「透子様。まず、こちらのコンフォートブーツに履き替えてください」
「このブーツは?」
「そこのブーツを履くと、楽に塔を登れますから」
こんなアマルもあるんだ。
見たところ何の変哲もないブーツだったが、透子はそれを受け取るとすぐに履き替えた。それを見届けるとレオンは階段を登り始めた。
透子は慌てて質問する。
「レオンさんはこのブーツ履かなくていいんですか?」
レオンは振り返り微笑んだ。
「私は兵士です。必要ありません。では、行きましょう」
レオンは先に進んでいく。透子もその後を追った。階段を登り始めてすぐに、レオンの言っていたことの意味が分かった。全く足が疲れないのだ。
すごい、これがあればどこにでも行けそう。このブーツ、個人的に欲しいかも。
ふとレオンを見ると、まるで疲れを感じていないかのように階段を登っていく。
やっぱり、いつも鍛錬してるんだろうな。護衛もしながらなんて、いつ休んでるんだろう。
階段を登りきると、突然日の光に照らされる。
「わ、眩しい」
透子はまぶしさに細めた目を手で覆った。
「大丈夫ですか? 急に明るくなりますから」
「はい。大丈夫です」
ゆっくり目を開くと、視界いっぱいに景色が広がっていた。
「わぁ、すごい。遠くまでよく見えますね」
透子は屋上の端に駆け寄ると眼下を見下ろす。そこには城を中心にパステルカラーの城下町が放射状に遠くまで続いている。
その先に目を凝らすと、遠くの山並みや森、それに丘陵が続いているのも見えた。
「透子様、あちらには湖も見えますよ」
レオンの指さす方向を見つめると、山間部に大きな湖があり、日に照らされた水面がキラキラと輝いている。
透子は胸いっぱいに空気を吸いこんだ。そしてもう一度辺りを見渡す。そのとき、ある箇所に目が止まった。
「レオンさん。あれはなんですか? あの空間だけ、なぜか景色が歪んで見えますよね」
レオンは怪訝な顔をした。
「景色が、ですか? さあ、私にはなにも」
すると、背後から声がした。
「あそこにはクリスタリア・テラスがある」
振り向くと、アレクシスが立っていた。透子は慌ててカーテシーをする。
「いい。それより透子。お前にはあの歪みが見えるのだな。あの歪みは霊術に卓越している者でないと見えない」
透子はそっと顔を上げると、もう一度歪んで見えた方向を見つめた。確かに歪みが存在する。透子はヴァレンディアに来たころ、フィオナに中庭を案内されたときのことを思い出して言った。
「はい、見えます。あそこにクリスタリア・テラスが? 確か、フィオナさんに中庭はアストラル・イメージで囲われていると聞いた覚えがありますが」
「そうだ。だがクリスタリア・テラスは霊術により隠されている。霊力が強ければ、それを見破ることも容易い」
「では、霊術に影響を受けているものは、霊力によって見え方が変わるんですね」
「そういうことだ」
「では、人によって物の見え方は違うのかもしれませんね」
透子がそう言うと、アレクシスは透子の顔をじっと見つめた。なにか粗相があったのだろうか? 透子は、緊張しながら見つめ返す。するとアレクシスはふっと笑った。
「お前は随分と面白い考え方をするのだな」
「す、すみません。不躾に意見を言い過ぎました」
「構わない。お前の考え方は面白い」
それはどういう意味ですか? 透子はそう問いかけたかったが、アレクシスが視線を逸らし、いつもの王太子殿下の顔に戻ったような気がして、それ以上質問することをやめた。
「私は戻る。お前たちはゆっくりするといい」
アレクシスは一歩踏み出したが、そこで立ち止まると振り返った。
「透子。お前はクリスタリア・テラスに行ったことは?」
突然そんな質問をされ、困惑気味に答える。
「いえ。ありません」
「そうか、わかった」
アレクシスは微笑むと螺旋階段を下って行った。透子はレオンに向き直った。
「レオンさん。殿下はなにも仰らないけれど、とても大きな重圧があるのでしょうね」
「はい。そのとおりだと思います。私はその重荷を減らすためにできることをやる。それぐらいしかできませんが、透子様はそれをわかつことができる」
そう言われ透子は一瞬どきりとする。
「ま、まだわかりません!」
するとレオンは少し悲しげに微笑む。
「いいえ、きっとそうなります。では、私たちも戻りましょう。少し冷えてきました」
レオンは透子に手を差し出した。透子はその手に自分の手を重ねると、レオンがいつもよりその指に力を入れたように感じた。
お后候補。そう呼ばれることには、少しずつ慣れてきたつもりだった。けれどその言葉はまだ、どこか遠く、自分とは別の誰かに与えられた肩書きのように思えていた。
けれど、ヴァレンディアで暮らし、これからも候補として過ごしていくのなら、いつまでも曖昧なままではいられない。
レオンの隣を歩きながら、透子は初めて、その言葉の先に続く日々を思った。
気づくと透子は講堂のような場所に立っていた。
ここどこだっけ? ヴァレンディアって、学校なんかあったかな?
「なんだって!? なにを考えているんだ!」
その声に驚き、前方を見るとレグナートと男性が言い争っているようだった。
「わかってるさ、危険なことも。だがくぼみにできたこの小さな宇宙では、この先エネルギーが消え全体を支えきれなくなる」
「それはそうかもしれないが、空間をきり裂けばどうなるか。我々はそれを安定させる技術がないんだぞ?」
「ダグ、私もそれはわかっている。だが、今やらなければどちらにしろ、この世界は消えてしまうんだ」
私、また夢を見てるんだ。それにしても、なんてリアルな夢なんだろう。透子は二人の成り行きを見守った。
ダグはしばらく考え込むが、首を横に振った。
「ダメだ。いくらこの世界のエネルギーが消えているからといって、空間を裂き他の宇宙からエネルギーを得るなんて、できるわけがない。ほかの方法を考えるべきだ」
「だが、それじゃあこの宇宙はどうなる!? このまま指をくわえて滅びるのを受け入れろと? まだエネルギーが残っている今なら、空間をきり裂くことは可能なはずだ。今しかできない」
「いや、それにしてもリスクが高すぎる。その方法は諦めろ。わかったな、レグナート」
ダグはそう言うと、レグナートの肩を軽く叩いて講堂を出ていった。残されたレグナートは呆然とその場に立ち尽くしていた。
気づくとベッドの上だった。時計を見ると短い針は三時を指している。
昼間に空間の揺らぎを見たせいであんな夢見たのかな? どうしたらいいんだろう? でも、ヴァレンディアの話じゃないかもしれないし、そもそもあれは現実の話じゃないもんなぁ。
夢の中で接触できたらいいのに。
透子は肩を落とすレグナートを思い出しながら考えるが、答えは出せなかった。
それからの一週間は、留里が目立った問題を起こすこともなく、平穏にすぎた。
いつも留里が問題起こすから、これが普通なのになにもないとほっとする。
そんなことを考えていたある授業の終わり。カミラが言った。
「お二人とも、まだこの王都を出たことがないでしょう? ですから、ヴァレンディアの国民の生活を見るために、今度ロゼル村という村に視察に行くことになったの」
留里が勢いよく答える。
「やったー! 留里、退屈してたんだよね〜」
王宮の外へ出るのは久しぶりで、透子は少し緊張しながらその話を聞いていた。その様子を見てカミラは安心させるように言った。
「とても素朴な村よ。行けばゆっくりできるわ」
それを聞いて、透子は牧歌的な景色を思い浮かべ少し安心した。だが留里は逆に不満そうな顔をする。
「えー、なーんだ。つまんない」
カミラはくすくすと笑った。
「留里はそういう村に行くのは、お嫌いかしら?」
「留里、買い物したかったし」
「そう。だったら城下町が一番物がそろっているから、そんなに遠くに行く必要はないわ」
「もう行ったけど。なんか、留里が思ってたのと違ったもん」
すると、ファニーが嬉しそうにスケッチブックを取り出した。
「素朴な村、シャイニングプリンセスが森のなかに溶け込んで、湖のほとりを歩く……」
ファニーはなにか書き殴り始めた。透子はファニーがこうなったら、誰の声も耳に入らないのをわかっていたので、そのまま放置した。
留里が瞳を輝かせて、ファニーに話しかける。
「えっと、ファニー様? デザインされてるんですよね? 素敵だなぁ。留里、働く男性はとてもかっこいいと思います」
だが、ファニーは留里に見向きもせず今度は透子の顔を覗き込む。
「シャイニングプリンセスは、美人……」
そんなファニーの様子を見て、透子はため息をつくと授業に集中するため前を向いた。
視察は三日後とのことだった。ロゼル村は王都から馬車で半日ほどのところにあり、数日滞在する予定だった。
出発当日、透子のもとにファニーがデザインしたドレスが届けられた。
そのドレスは淡いセージグリーンだった。シンプルで控えめなAラインで動きやすく作られている。胸元と袖口には銀糸の刺繍が入り、そろいの髪飾りには小さな白い花飾りが添えられていた。
「たった三日でこんなドレスを準備するなんて、すごいです。ファニーのお針子たちは本当に優秀だと思います」
透子が支度をしながらフィオナにそう言うと、フィオナは口角を上げて答える。
「そうですね、今まで王室に仕えてきた者たちでも、デザインからドレスの仕上げまで、こんなに早くできる者はいませんでした」
「ですよね。それにレオンさんたちもこれだけの規模の移動です。こんなに急に準備するの大変だったんじゃないでしょうか?」
「もちろん、予定はあらかじめ決まっていて準備はしていたのだと思いますよ。こんなに急に話があったのは、細かい日時を決定するのに時間がかかったのかもしれませんね」
「そっか、そうですよね」
そんな話をしながら透子はドレスに袖を通した。
「ファニーの作るドレス、本当に動きやすいしデザインも素敵で着るのが楽しいです」
フィオナは頷く。
「今、社交界では透子様のドレスにとても注目が集まっているんですよ。今日のこのドレスも、きっと注目されるに決まってます」
透子は少し気恥ずかしくなり苦笑いをした。
玄関で馬車を待っていると、後方から留里が護衛を伴ってやってきて透子のドレスを一瞥し、悔しそうな顔をしてそっぽを向いた。
嫌味を言われるのではないかと思っていたので、ほっとしていると留里が独り言のように言った。
「いきがっていられるのも今だけ。このあと留里の実力がわかるんだから」
透子はそれを聞いて思わずどういうことなのか気になり振り向いたが、ちょうど馬車が来たためなにも聞けずに馬車へ乗り込んだ。
留里はそんな透子を下から睨みつけるように見つめると、鼻で笑った。
御者が鞭を打ち、馬が走り出すと、透子は留里の様子に少し不安になりながら、石畳を蹴る蹄の音を聞いていた。




