23 花綴りの季節
ルゥが答える。
「これは僕たちの制服みたいなものなんだよ。透子、そんなことよりお茶を飲んでみて! すごく美味しいよ」
クゥがそれをたしなめるように言った。
「ルゥ。お茶も会話も、相手のペースを尊重すべきだ」
透子は慌てて答える。
「大丈夫です。確かに、あまりおしゃべりしているとお茶が冷めてしまいますから」
ゆっくりとティーカップを持ち上げ、まずはその香りを楽しむ。甘い果実のような香りがやわらかく立ちのぼり、その後から柑橘を思わせる爽やかな花の香りが、かすかに抜けていった。
「いい香り。甘い香りなんですけど、あとが爽やかでしつこくないんですね」
ルゥが横で嬉しそうに答える。
「本当に? よかった。僕も好きなお茶なんだよ」
透子も嬉しくなる。それから茶葉について話し、やがて話題は花綴りの季節へと移った。
「本来はあまり礼儀なんかにこだわらずに、皆で楽しく過ごす目的で始まったんだよ」
「そうなんだ。そう言えばカミラ先生もお茶会のこと、そんなふうに言ってた気がする」
「だから透子もあんまり気にしないでよ」
「でも、やっぱりちゃんとしたいから」
それまで黙って二人の会話を聞いていたクゥが口を開く。
「透子様。作法は完璧にする必要はございません。少なくともヴァレンディアでは、失敗はたいして問題にならないのです」
「どういうことですか?」
「失敗をしたときに、どのように対応するかでその人となりを見るのです。ですから、透子様も失敗を恐れず、落ち着いて対処すること。これが大切です」
「失敗を恐れず……。そっか、そうですね。失敗したときに慌てたりしたら、ちゃんと対応できないですよね」
失敗しても落ち着いて対応する。失敗は恥ずかしいことじゃない。完璧にする必要なんてないんだ。
「クゥさん。私今、大切なことを学ばせてもらいました。ありがとうございます」
「いいえ、透子様なら私が言わなくともいずれご自身でお気づきになったでしょう。差し出がましいことをいたしました」
横からルゥが言った。
「クゥ、それに透子なら失敗しても自然と切り抜けられるから、そんな心配いらないよ」
「ルゥってば買いかぶりすぎ。でもありがとう」
三人は顔を見合わせて笑った。
それから他の者たちとも挨拶を交わした。彼らはとても気さくで、様々な話を透子に聞かせ、楽しませてくれた。
おかわりしたお茶がなくなったころ、透子はそっとソーサーにフルール・サリエンテを置いた。
これでよかったかな? 置くタイミング間違えると、もう帰りたいって意味になっちゃうってカミラ先生言ってたけど。
「透子、これ以上引き止めたら寝不足になっちゃうね。部屋まで送るよ」
ルゥは椅子から降りると、透子に手を差し出す。透子はその手を取り立ち上がる。
「ルゥ、今日は本当にありがとう。緊張がほぐれたみたい」
「どういたしまして、透子。『花綴りの季節』は当分続くから、明日もさそっていい?」
「本当に? いいの? 私はルゥやクゥさんたちがよければ毎日でも来たいな」
「わかった。でも、疲れてたら遠慮なく言ってね」
ルゥは透子に花びらのシャワーを浴びせた。
「すごい、綺麗……」
目を閉じ、花の香を胸いっぱいに吸い込む。
あぁ、幸せ。これがずっと続けばいいのに……。
そうして気づくと透子はベッドの上にいた。
「あれ? 私花綴りのお茶会に参加したはずだけど」
サイドテーブルを見ると、ピンクのリボンで結ばれた紙包みが置いてあった。
それには手紙が添えられていた。
『また明日誘いに来るね。ルゥ』
紙包みを広げると、ふわっとあたりに花の香が広がる。見るとお茶会で食べたお菓子が包まれていた。
花綴りのお茶会、本当に素敵だったな。
透子はしばらく余韻に浸った。
それから透子は花綴りの期間中、何度かお茶会に招かれた。参加するうちに、みんなと仲良くなった。
そんな中、アメリア夫人のお茶会が迫っていた。
花綴りのお茶会に参加する一方で、透子は授業でも作法の練習を続けていた。
カミラは飽きることなく練習に付き合ってくれた。留里は自分の身のこなしが完璧だと言って、あまりカミラの授業に参加しなくなっていた。
「カミラ先生。私に付き合ってくださってありがとうございます。でも授業が進まなくなっちゃってごめんなさい」
「いいのよ。時間制限なんてないんだから。ゆっくり学べばいいの。さぁ、透子。今日はどの所作を練習するのかしら?」
「はい。先日、一通り動いてみてやっぱり最初の挨拶で少しつまずいて、そこからぎこちなくなってしまったと思うんです」
カミラは少し考えてから答える。
「確かに、そうかも知れないわねぇ。どうしても屈んだりする動作が多いもの」
「はい。なのでそこを重点的に練習しようかと」
「そうねぇ、じゃあまずは最初からやってみましょう。それから少しずつアドバイスさせてもらうわね」
透子は頷き、教室のドアの前まで戻ると、カミラに合図してゆっくり歩きだし、カミラの前に立った。そして挨拶をし、ゆっくりお辞儀をすると、椅子に座った。
カミラは何も言わず、透子の動きに合わせてお茶会のホスト役を務めた。最後に透子が立ち去るまで見守り、一通りの所作が終わるとにっこり微笑んだ。
「透子、こんなに完璧にマナーを覚えてくれて本当に嬉しいわ」
「そうでしょうか、まだ少しぎこちなくて」
「ふふふ。そんなことないわ。陰で努力してたのね。一つ一つの所作が滑らかで、とても優雅だったわ」
「ありがとうございます。そんなに褒めてもらえると思ってませんでした」
「自信を持ってちょうだい。私が教えた以上に上達したわね。その動き、誰に教わったのかしら」
透子は一瞬クゥやルゥの顔を思い浮かべた。だが、彼らだけではない。カミラも根気強く透子に指導してくれた。みんながいてくれたからなのだと改めて思う。
「カミラ先生、先生のおかげでここまでできるようになりました。本当にありがとうございます」
透子は頭を下げた。カミラはそんな透子をじっと見つめた。
「本当に素晴らしい子ね」
カミラは透子を抱きしめた。透子はカミラが家族のように思えて嬉しかった。カミラ先生が恥をかかないように本番も頑張ろう。
「もう、あまり教えることはないけれど、もう少し練習したいのかしら?」
「はい。よろしければお願いいたします」
「もちろん、いいに決まってるわ」
カミラは優しく微笑むと、指導に戻った。
こうして透子はカミラの授業を熱心にこなす傍ら、カイの授業にも打ち込んだ。
みんなに恩返ししなければと思うと同時に、もしお后になったときにその責務をしっかり背負えるよう、基礎を築かねばならないと改めて考えるようになったからだ。
一方、留里はカイの授業だけは休むことなく参加していた。熱心なのではなく、カイ目当てなのは明らかだった。
「カイ先生、聞いてください。最近は服を着た鷲がこちらを覗いていることがあるんです。気味が悪くて……。守ってくれませんか?」
気を引こうとしているのか、瞳を潤ませると、授業中にも拘わらず、留里はカイの顔を見つめ、関係のない話をする始末だった。
透子はその話に呆れた。
鷲ってもしかして、クゥさん? それって花綴りのお誘いだったんじゃないのかな。だとしたら、留里、誘いを断っちゃったんだ。もったいない。
カイは煩わしそうに答える。
「いい加減にしろ」
「すみません。留里、ただカイ先生とお話がしたかったんです」
ファニーがつまらなさそうにつぶやく。
「造花がもてはやされるのって、手をかけなくてもいいからなのにさ!」
留里がファニーを睨みつけてつぶやく。
「うっさいわね、クソピンク」
そんな会話を横目に、透子は別のことを考えていた。
ルゥたちは、なぜ自分や留里に近づくのだろう?
こうしてカイはいつも留里に振り回されながらも、なんとか授業を進めていたが、ある日突然、留里が言った。
「カイ先生、ごめんなさい。留里もうカイ先生の気持ちには応えられないかもしれません。だってもっと素敵な人に出会ったから」
留里は透子を一瞥すると鼻で笑い、誰からも相手にされていないのに続ける。
「留里って、どっかの誰かとちがって放っておけない魅力があるから」
ファニーが透子に耳打ちする。
「蓼食う虫も好き好き、だねぇ〜」
「ファニーさん、しー!」
透子がカイを見ると、カイは大きくため息をついて留里に言った。
「今は霊石の説明をしている。授業に関係のない会話は慎め。うるさい」
留里は微笑み、悲しげにカイを見つめる。
「留里、そんなカイ先生のクールなところも好きでした」
カイはもう一度ため息をつき、留里を憐憫の眼差しで見つめたが、留里はそんなことお構いなしにつぶやく。
「留里は、特別な存在なんですよ。ふふっ」
「もういいか?」
カイはそれだけ言うと授業を続けた。透子は内心、これで授業に没頭できるとほっとしつつ、留里が出会ったという『もっと素敵な人』のことが少し気になった。
だが、留里の勘違いかもしれないと思い直し、そんなことに関わっている場合ではないと、授業に集中することにした。
そうして、お茶会が明日に迫った午後、カミラの授業を終えた透子は部屋へ向かう途中、ため息をついてつぶやいた。
「明日のお茶会、大丈夫かな」
レオンは優しく微笑んで言った。
「透子様なら大丈夫です。自信を持ってください。先ほど、カミラ様もあんなに褒めていらしたではありませんか」
「そう、だといいんだけど」
そう答えたとき、背後から留里の甲高い声がした。
「アレクシス様、お待ちください。そんなに急がなくても、お庭は逃げたりいたしません」
アレクシス様? もしかして王太子殿下のこと? 透子は留里の声がした方を見る。留里がアレクシスを後ろから追いかけていた。
なぜ殿下と留里が?
留里の前を歩いていたアレクシスがピタリと足を止め、振り向いて微笑む。
「早くおいで」
「はーい。今行きます」
すると、アレクシスが透子に気づきこちらを見つめた。透子は慌ててカーテシーをした。その後ろではレオンが直立し、頭を垂れている。
だが、アレクシスはその挨拶を無視した。そのとき留里がこちらの存在に気づいた。留里はいつもの嫌らしい笑みをこちらに向けると、王太子殿下の腕に手を絡めた。
「アレクシス様、早く行きましょう」
アレクシスは頷くと、なにも言わずそのまま留里と歩き始める。留里はもう一度こちらを振り返り、声を出さずに『ざまあ』と口を動かした。そしてアレクシスを見上げ、うっとりした顔で去っていった。
透子は呆気にとられた。遠ざかるアレクシスの背中が、修二の背中と重なって見えた。まただ、選ばれるのは留里なんだ。そう思うと、胸の奥にずんっと重しを乗せられたようで、押しつぶされそうになる。
「もしかして、勉強が無駄になるかも」
レオンは目を見開き、透子に訊く。
「なぜですか?」
透子はレオンの顔を見上げ苦笑しながら答える。
「あの様子だと、王太子殿下は留里を選びそう」
透子は不貞腐れたり、嫉妬したりして適当に言っているわけではなかった。今まで自分の彼氏を略奪され続けた経験からの発言だった。
結局、選ばれるのは留里。透子は心のどこかでいつもそう考えてしまうようになっていた。
すると、レオンが透子をまっすぐに見つめて言った。
「なぜですか? そんなわけありません。透子様は王太子殿下を、ご自分をもっと信用してください」
レオンが心配してくれている。けれど、透子はそう簡単にこの気持ちに折り合いをつけることはできず、無理に笑顔を作って答える。
「わかってます。大丈夫ですよ、ありがとう」
留里が選ばれても、ここで学んだことは絶対に無駄になんてならない。透子はそう自分に言い聞かせた。
いよいよ、お茶会の日を迎えた。透子はアメリア夫人からの招待状にもう一度目を通す。
きっと大丈夫。この日のために頑張ってきたんだから。
透子は徐々に落ち着かなくなっていく鼓動を鎮めようとゆっくり息を吐く。




