2 私は帰りません
「私は帰りません」
自分は天涯孤独だ。どうせ元の世界に自分を待っている人はいない。それなら、自分を必要としてくれる人たちの力になったほうがいい。
その答えに留里が即座に反応する。
「はぁ? ふざけないでよ!」
留里は立ち上がると透子を突き飛ばそうとした。イーへは慌てて留里を窘める。
「落ち着いてください」
横目でそのやり取りを見ていた透子は留里に言い返す。
「なんでそんなに怒るの? どうせ留里がお后に選ばれると思ってるんでしょ? じゃあ私がいたって問題ないじゃない」
留里は一瞬透子を鋭く睨みつけたが、何かに気づいたようにはっとすると、にやりと笑った。
「それもそっか。それに、選ばれなくて悔し泣きをする透子を見るのもいいかもね」
そう言うと、ストンとソファに腰掛けた。そんな留里を見て透子はため息をついた。
イーへは留里が座ったのを見ると話を続ける。
「では、お二人ともこの世界に残られるということですね?」
その問いに二人とも頷く。
「それは素晴らしい。では、今日はお疲れでしょう。これからお使いいただくお部屋へご案内いたしますので、今日のところはお休みください」
すると二人のメイドがやってきて、透子と留里に挨拶をした。
一人は透子の侍女を務めるフィオナ、もう一人は留里の侍女を務めるサマンサだった。
二人はそれぞれ透子と留里を案内することになった。
透子は留里とこれ以上一緒にいたくなかった。そこでトイレを借り、留里たちが先に行くのを待ってから案内してもらうことにした。
「フィオナさん、私たちは王宮で暮らすんですか?」
渡り廊下を歩きながら、透子がフィオナにそう声をかけると、フィオナはくすりと笑って言った。
「透子様、私のことは呼び捨てで構いません」
「そうなんですか? でもなんか呼びにくいっていうか」
「わかりました。透子様が呼びやすいように呼んでくださって構いません」
「よかった。あんまり呼び捨てにすることないから、慣れなくて」
フィオナはくすくすと笑った。
「はい、承知いたしました。それと先ほどの質問ですが、透子様たちのお部屋のあるお屋敷は王宮の敷地内にあります」
透子は驚きのあまり、思わず口を大きく開け、フィオナを凝視して言った。
「お、お屋敷が敷地内に!? ここ、どれだけ広いの?」
「はい。とても広いので覚えるのは大変かもしれません」
「迷子になったらどうしよう……」
「大丈夫です。そのときは私が必ず迎えに参ります。透子様を一人にはいたしません」
「はい。その前に私も覚えられるように頑張ります」
「はい。透子様、ゆっくり覚えていきましょう」
そんな会話をしているうちに、王宮の庭の一角に建てられた大きな屋敷の前にたどり着く。外観はおしゃれな洋館で、壁にはツタが這っていた。
「もしかして、この立派なお屋敷がそうなんですか?」
「はい。そうですよ。このお屋敷はお后候補のためだけに用意された特別なお屋敷なんです。では、お部屋に案内いたしますね」
そう言うと、フィオナは扉の横の壁に埋まっている球体に手をかざす。すると、その球体がふわっと淡い光を放ち、カチャリと扉の鍵が開く音がした。
「では入りましょう」
フィオナは扉を押し開け、中へ入るように促した。
中へ入ると、まず広いエントランスがあり、正面には二階へ続く階段が左右に一つずつ、中央にはまっすぐ奥へ続く廊下が伸びていた。
「一階に食堂や浴室、サロンがあります。それに中庭があって、そこには温室もありますよ。今日は遅いので案内は明日にいたしましょう。では、透子様たちのお部屋は二階です」
フィオナは左側にある階段へ向かって歩き出した。
中庭に温室? どれだけ広いの!?
そう内心つぶやきながら、ふと気になったことを訊く。
「あの、今さっき『透子様たちのお部屋』って言いましたよね? じゃあ留里と部屋が隣同士なんですか?」
「いいえ、留里様のお部屋は右側の階段を登った先です」
「じゃあ、屋敷内でしょっちゅう顔を合わせるってことはないんですね」
「そうですね、お部屋は離れていますし、あまりお顔を合わせることはないと思います。それに防音になっていますので、お声が聞こえることすら……。もしかしてお部屋が近いほうがよろしいでしょうか?」
透子は両手を顔の前でクロスさせ、ブンブンと首を横に振る。
「やめて、やめて。絶対に嫌です!」
「はぁ、そうなんですか? 仲がよろしいのかと」
「それはないから、これは覚えておいてください。私と留里は幼馴染だけど仲良くないです」
「そうなのですね、わかりました」
そう言うと、廊下の突き当たりにあるドアの前で立ち止まる。
そのドアの右側の壁にも球体があった。フィオナは何事かつぶやきながらその球体に手をかざし、球体が淡く光ると振り返った。
「透子様、この丸い物に手をかざしていただけますか?」
透子は不思議に思いながらその球体に手をかざすと、球体が反応するかのように一瞬強く光った。
「これでこのお部屋の鍵を開けることができます」
「私だけが開けられるんですか?」
するとフィオナは申し訳なさそうに答える。
「すみません。透子様以外にも、私やほかのメイドがお世話のために出入りいたしますから……」
「あ、そっか。そうですよね。それは全然いいです」
フィオナはほっとしたように息をついた。
「そうですか。透子様のお気に障らなくてよかったです」
「大げさですよ、そんなに気を使わないでください」
「いいえ、透子様は尊いお方ですから、こちらでは少しでも快適に過ごしていただきたいのです」
「大丈夫です。十分よくしてもらってるってわかってますから」
透子は微笑むとドアノブに手を伸ばす。
「透子様、私がドアを開けさせていただきます!」
フィオナは慌ててドアノブに手をかけると押し開けた。
中に入ると、まず客間があり、その先にはテラスが続いている。奥には寝室があり、どの部屋もとても広く、アンティークな可愛らしい家具が取り揃えられていた。
フィオナは一通り案内してくれた。
「お部屋の物でお気に召さないものや、お好みに合わないお色がございましたら、交換いたします。お申し付けください」
「大丈夫です。今のところなんの不満もありません」
「それはよろしかったです。では、これからお食事されますか?」
そう言われて気づく。今日はまだ夕食を食べていなかった。だが正直なところ今は興奮していて食べるどころではなかった。
それに食堂に降りて留里と鉢合わせるのも嫌だった。
「えっと、軽食を準備してください。それと部屋着に着替えたいです」
「承知いたしました。簡単なものをご用意させていただきますね。ではまず、お着替えをお手伝いいたします」
「いやいや、自分で着替えますよ」
そう答えるとフィオナは困った顔をした。
「ですが、透子様……」
透子はフィオナを困らせてしまっていることに気づき、申し訳ない気持ちになった。
「わかりました、お願いします」
そう言われるとフィオナは嬉しそうな顔をした。
「はい。お任せください!」
透子はこんな経験をしたことがなく、とても気恥ずかしい思いをしたが、これにも慣れなくてはと我慢した。




