第9話 現実の岸辺
(‥‥‥‥)
意識を取り戻したリシャンは、そのこと自体に驚いた。
思考が停止していた瞬間がある‥‥そんなことを経験した事がなかった。
「‥‥‥‥」
何かが顔に当たっている。
それは流れるように頬を滑っていく。
「‥‥‥‥」
そう言えば視界がない。真っ黒のままだ。
こういう時は目を開く。それは仮想世界も同じだ。
「‥‥‥‥」
普通なら考えればそのまま体は動かせたが、今は違う。実際に「力」を入れないとそれが実行されない。
「これは‥‥」
発せられたのは自分の声。それはいつも聞いていたものと同じはずだったが、体の内から込み上げるそれは他人のもののようで違和感しかない。
「‥‥う‥‥ん‥‥」
体を起こす。布の柔らかな感触を全身に感じる。
服を纏っている感触‥‥仮想現実にもあったはずだが、明らかに同じものではない。
目を開いた先に広がるのは金属の壁と、その壁が開いた先にある大きな水がぶつかり合う音。
遮蔽機能のある小型の船で、例の超大型宇宙船に接舷して侵入することになっていた。その瞬間の記憶はないが、ここにこうして無事にいるということは全てうまくいったのだろう。
「‥‥これが‥‥」
リシャンの髪を潮風に揺れる。どこかの波止場に乗ってきたポッドは打ち上げられている。外に出ると。沈みかけた日の光が、オレンジの斜光を放っている。
リシャンは目に染みるような眩しさに目を細めた。
「これが‥‥現実世界‥‥」
風の感触、波や自分の心臓の音、カモメの鳴き声‥‥全てが心を鷲づかみにするかのような衝撃だった。
今まで仮想世界で見聞きしてきたものとは違う、真実の世界。
そのただ中にいま立っている。
眩しさからではなく、心の動きが原因で、涙が流れてきた。
自分の意思で止めることができない。
リアルというのは何と不便で‥‥何と素晴らしいものだろう。
ポッドの中から小さな黒いものが飛び出してきた。
それはカラスで、リシャンの近くまで飛んできて、足元にとまった。
《リシャン、聞こえますか?》
クロウの声がカラスから聞こえてきた。
「聞こえてるって、いつものクロウの姿もちゃんと見えている」
《良かった、成功したんですね》
「‥‥まあね」
もうちょっとこの感動を味わっていたかったが、こうして茶々を入れてくるのはいつもの事だ。
《そのカラスは私の目と耳になるドローンです。それからこっちも試してください》
片耳にイヤリングがあり、そこから声が聞こえてくる。
=いくらなんでも人前でカラスと話すわけにはいきませんからね。‥‥それでリアルアバターの調子はどうですか?=
「順調だと思うけど」
リシャンは波止場のコンクリの上に飛び乗った。予想していたより体が重く感じられる。
=そのアバターを介して連絡は出来ますが、場所によっては途切れる所もあると思います。こちらでもモニターはしていますが、そこは注意してください=
「了解」
リシャンはコンクリに張り付いている生き物を見つけ、屈んで指をつつきながら答える。
=先ほど説明した通り、そのリアルアバターは長期の使用は出来ません。必ず稼働停止の前にログアウトの手続きに入ってください。もっとも限界時間がきたら、こちらで勝手に進めますが=
「覚えてるって」
横に歩くその小さな生き物は、リシャンの手から逃れるようにコンクリの隙間の中へと逃げて行った。
「‥‥‥‥」
リシャンは立ちあがった。黒を基調としたスカートと、ヒラヒラの帯のようなものが少し邪魔に感じる。
=ポッドの中に武器は入っています。ですが、そのような事態にならないように‥‥=




