第5話 箱舟の影
=リシャン、今いいですか?=
「‥‥‥‥」
クロウから連絡が入った。彼の声は直接リシャンに聞こえてくる。
(‥‥何?)
リシャンも心の中で答える。折角の旧友との話に水を差された感じで、返事には多少の不機嫌さが混じった。
=現在、この箱庭世界は太陽系外縁部のカイパーベルトを航行中です。その小惑星帯の中に、人工物を発見しました=
(人工物?)
リシャンは唇を噛む。
(まさか、仮想世界の箱舟?)
=その可能性もありますが、それにしてはその人工物は、内部体積がこの013の20倍以上もあります=
(サーバーにしては大きすぎるわね、内部スキャンは?)
=試みましたが、弾かれて駄目ですね。どうしますか?=
(了解、すぐ戻る)
リシャンはベンチから勢いよく立ち上がった。
「ありがとう、詩音、ちょっとふっきれた」
「そう?‥‥なら良かったわ」
詩音は笑みを向けた。
「じゃ、また」
「はい、また」
短い挨拶だけで、二人ともそれ以上のことは何も言わない。
リシャンは手を振っている彼女に背を向けて歩き出す。
また本の続きを読み始めるのか、そろそろ午後の日も傾いてきた頃合いなので帰宅するのか‥‥何れにしても彼女の時間は当たり前に過ぎていく。
彼女だけではない。この仮想世界には無数のAIがそんなありきたりな日々を送っている。
守らなければならない。
何があってもこの日常を。
「考えるのは‥‥それから‥‥」
並木道の途中で足を止める。
片手を突き出すと、何もない正面の空間に、長方形の漆黒の板が現れた。
さきほどまで流れていた風が止まったかのように感じた。
「‥‥‥‥」
リシャンは迷うことなくその板に向かっていく。
漆黒の板がリシャンを飲み込んだ後、その黒いものは、ガラスの様に四散して消え去った。
それが合図だったかのように、また風がそよぎ、桜の花びらを何枚かその中に流れていった。




