勝手に約束しちゃダメですよ!
魔導具工房に行った翌日から、わたしは午前中はギルドを午後は魔導具工房で、繊維作りを手伝うことになった。
アパートはギルドの近くなので、自分の部屋を通り過ぎて行く感じだ。うーん、帰りたいと初めは思ったが、結構コレが楽しかった。
ソフィーさんを工房長とする魔導具工房には、3人のお弟子さんと、6人の魔導具師、そして営業担当の男性が1人いた。この人はライラさんのお父さん、つまりソフィーさんの夫ということだ。
女性の方が上の立場という工房は、この世界では非常に珍しいが、それだけ夫の理解があり、ソフィーさんが優秀ということになる。
わたしの理想とする社会だ。
スライムを繊維にするには伸ばして細くする方法と、一度液状にして針の先から抽出する、2つ方法が有力になった。しかし、弾力性の高いスライムは、核を除いても伸ばしきれずに切れてしまい、水にも溶けず液状化も難しい。
粉にしたものを溶かそうとしても、水にも油にも混ざらず、溶かすことは難しかった。
初めて4日目、いよいよ行き詰まったころ、マリーさんがお土産を持ってやってきたが、なんの成果も伝えられず、少し暗くなりかけていた。
そんな中、近所に住むデラさんが焦ったような顔で工房にやってきた。
「あのー、ソフィーさん、わりーんだけどー。」
デラさんは、本当に申し訳なささが溢れるような顔をしている。
「ちょっと、助けて欲しいんだけど。」
みんな何事かと顔を見合わせる。
「実はコレなんだけど。」
デラさんは、瓶に入った謎の液体を向けてきた。
「元に、戻せないかなー。」
???
みんなは、見たこともない瓶の中のモノを覗き込む。
「何?これ。」
マリーさんが聞くと
「娘のペット‥だった‥もの?」
「ペット?」
「どこに?魚か何か?」
誰もが謎の物体を見つめる。ペット?という顔で見ていると、核のようなモノが見える。
「コレ、もしかしたら何かの魔物‥ですか?」
と、わたしが恐る恐る聞くと
「娘の、可愛がっていた、スライム。」
工房にしばらく沈黙が流れた後、
「えーっ!?」
「ハア!?」
「は、い??」
と一斉に大声が響いた。
そして、気がつくと、ソフィーさんはデラさんの手ごと瓶を強く握っている。
「きゃーっ!」
歓喜の声を上げたソフィーさんに、手を握られたデラさんは、恐怖の顔を引き攣らせていた。
「デラさん、デラさん、あなたって、ほ、んとてんっさいっだわ!!!」
ソフィーさんにものすごく褒められているのに、デラさんの顔は褒められている顔ではない。
ソフィーさんは、コホンと1つ咳払いをし、スライムの液状化の実験をしていることを話した。もちろん目的などは言わない。
「で?どうやってこんなふうになってしまったの?」
助手の1人が尋ねると、どうもスライムがデラさん秘蔵のお酒を飲んでしまったらしい。
「んー、でもアルコールは試しましたのね。」
同僚のサムさんが言う。
「もしかしたら、アルコールも種類によってダメなのかも。」
とソフィーさんは答える。
元に戻して欲しいデラさんとしては、全然会話が噛み合っていない不安に、再度尋ねる。
「あのー、元に戻りますか?」
「戻らないわ。」
「戻らないよ。」
「戻らないな。」
その場にいた魔導具師全員が声を揃えて返事をする。
「その代わり、うちにいるスライムをあげるから、どうしてこうなったのか教えて!」
冷たい返事にショックを受けるまもなく、ソフィーさんに詰め寄られる。
「えっ?えっ?戻らないんですか?どうしよう。娘に怒られる。」
「だから、どうしてこうなったの?」
「どうしても、ダメですか?」
「だから、秘蔵のお酒って何?」
「娘に怒られます。どうしたらいいでしょう。」
「他のをあげるって言ってるじゃない」
しばらくちぐはぐな会話が流れる。
とりあえず、デラさんは一度家に戻り、スライムが飲んだ酒を両手に持ち、娘を連れてきた。
まだ3歳くらいの娘は、スライムが戻らないことを知ると少し泣き出しそうだったが、代わりに違うスライムをあげると伝えると、喜んで工房の裏手に連れて行かれた。子どもなんてゲンキンなものだ。
問題はデラさんで、スライムが飲んだ秘蔵のお酒は、この世界では高級品と言われる、米を原料とした透明な『清酒』だった。
前世では料理用もあったほど、珍しくもないものだったが、ここでは清酒と言ったら超高級品。ソフィーさんに、新しいスライムと引き換えに寄越せと言われ、真っ青になっている。
「ソフィーさん、全部頂いたらダメですよ。とりあえず確認のために、コップ一杯くらい頂いて、あとはこちらで用意しましょう。」
と、わたしは苦笑気味に答えた。
しかし、この一言で、翌日ジルさんに落下の如く怒られることになった。
「なんで勝手にそんな約束してるんだーっ!」
「まあ、清酒って言ったら一本大金貨10枚(100万円)分くらいよね。」
とジルさんとルリアさん。
「いやー太っ腹だなー、セリちゃん。」
とバンさん。
いや、酒の値段なんて知らないし。
「勝手に約束なんてするんじゃねー!」
と怒られた。
ソフィーさんの工房では、早速清酒とスライムを合わせた実験が始まった。
清酒が高いとのことで、今後を考えワインやエールといった他のアルコールとも合わせてみたところ、蒸留酒でも同じような状態になった。ただ問題は、清酒の場合白く透明な液体になるが、蒸留酒では、琥珀色の液体になった。
そこで魔導具工房では、蒸留酒で液体にしたものを特注大型注射器に入れ、針先から出たところ、魔術を使った回路で透明にすることになった。
特注注射器と、超極細針は金属工房の工房長がこの間、何度も失敗を繰り返しながら作ってくれた。その針にさらに絹糸並みの細い穴を開けたのは、魔導具工房長のソフィーさんだ。
特注注射器と注射針は魔導具工房の三階の吹き抜け部分に取り付け、それを二階の吹き抜けで透明化と乾燥、それを一階で受け取る、というなかなか大掛かりなものだ。
初めの1本目の糸が一階の受け皿に来た時は、すごく感動し、みんなで喜び合った。こうして一本建物3階分の糸が次々に作り出される。ある程度束にし、それをシリカがマリーさんの待つ服飾工房へ持っていく。
イクメン事件?で、わたしを嫌っていた酒屋の主人たちは、蒸留酒を大量注文に行くと、手のひらを返したようにご機嫌顔で、対応してくれた。イクメン計画はやめないけれどね!
シャツ数枚分の糸ができると、マリーさんたち服飾工房では、早速数枚の下着を作成、それを出資元の侯爵家に献上した日は、雪雲が空にかかる寒い日だった。
早速試した侯爵は、その温かさに感動。全てを買い占めると言われ、ジルさんは説得に苦労したらしい。
残りのシャツはギルドで、白狼のミリカさんをはじめとする女性冒険者の配られた。
もちろんミリカさんたち白狼は、早速雪山の雪鹿や白鹿討伐の依頼に出かけた。残ったうちの3枚はこの日雪山依頼に出かけるトリガーの女性冒険者3人に手渡された。
その様子を見ていた他の冒険者も欲しがったので、それ以後は、追って販売する旨を伝えるのに大変だった。さらに、わたしたちはその糸を使ったアウターも作製することに。
わたしはこの下着の弱点である吸湿性の低さ、撥水性の良さを服飾工房の人たちと話し合うことになった。
「吸湿性?」
はじめは疑問だらけだったマリーさんたちだったが、わたしが実際に水の入った容器にできたシャツを浸し、水分がほとんど吸い込まれないことを見ると、なんとなく理解してくれた。
「この繊維はアルコール、蒸留酒を使ったため、汗を吸い取りにくいんです。そのため激しい戦いの後、下着の中はたぶん汗の水滴で不快になってしまいます。しかし撥水性、つまり水を弾くので、雪や雨の時のアウター、1番外側に着るものとしてはすごく適しています。」
そこまでの説明を図にすると、服飾工房の人たちは、なるほどとうなづく。この世界では今まで全てが天然繊維だったので、こういう性質は初めてなのだろう。
「しかし、内側に空気をたくさん含む綿のシャツを着て外側にこの繊維を使ったジャケットを羽織ると、綿の下着が汗を吸い取り、逆にジャケットが汗を撥水させ、体温を外に逃がさず、外側の冷たい雪や雨を中に通さないので、暖かく動きやすく、快適に戦うことができます。さらに、この新しい繊維の弱点を綿や毛と撚り合わせることで、それぞれの弱点を補い合う新しい糸や生地も作れます。」
わたしは新しい繊維の性質だけでなく、イッキに混用や混紡というところまで説明した。おそらく、この世界では、繊維を混ぜて使うことで、弱点を補える、という考え方がなかったのだろう。
シリカはわたしの話を聞くと
「さすがセリナ!最高賢者様の孫だわ!」
とわたしの手を握ってきた。
賢者とはあまり関係ないのだけれどね。
「でもこれは、わたしの(前世の)理論上の話なので、実際にはどれくらい混ぜて糸にすると1番良いものになるかは、試してみないとダメなので。」
「大丈夫!わたしら服飾工房だって、試してみないとわからないことぐらい、理解してるよ!」
「何せ初めてなことだ。今まではあったものをただ生地にして作ってたけど、オレたちにも新しいものが作れるなんで最高じゃないか!」
「なんか、魔導具工房のお株を取っちゃったみたいだよね!」
服飾工房の人たちが、楽しそうに言ってくれる。嬉しい!
新しいものを作ってみるのが、これほど楽しくて嬉しいなんて、わたしもこんな気持ちは初めてだ。
ただ、この話を後から聞いたソフィーさんが、ちょっとむくれて、結局混用したものをさらに細い糸に仕上げるのは、魔導具工房の仕事となった。
前世は、ただ教科書やニュース、ネットで調べたことを理論的に教えていただけだったけれど、この世界ではかつてとは違う素材も使って新しいものづくりができる。
トイレやお風呂事情はさておき、この世界もまんざらではないな、と改めて楽しくなった。




