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穴モテはもういやだ!  作者: 大柑子


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03. やがて来る朝から逃れられない




アフター帰りは、いつも少しだけ現実が遅れてくる。


仮眠はとったのに、頭の奥がまだ夜のままだ。


タクシーを降りたとき、街はもう普通に朝だった。スーツの人が歩いていて、学生が駅に吸い込まれていく。


こっちだけ、まだ夜の続きのまま。



やけに天気がいいし、このまま散歩しつつモーニングでも食べて帰ろうと思ったのが間違いだった。



横断歩道の前で私は足を止めた。向かい側に、見覚えのある姿があった。


制服を着た、少し髪の長い女の子みたいな綺麗な人。


一瞬で、呼吸が浅くなる。



(……最悪)



バーテンダーの男。


数日前の記憶が、途切れ途切れに繋がる。


全部がはっきりしてるわけじゃないのに、全部“なかったことにはできない”感じだけ残っている。



その瞬間だった。男が顔を上げる。


目が合った。


一拍遅れて、向こうも気づいたのが分かった。



(見つかった)



横断歩道の信号が青に変わる。


その瞬間、私は一歩目を素早く踏み出した。


逃げる、というより、これ以上関わりたくない気持ちの反射だった。



「待ってください」



声が背中に刺さる。


無視しようと思った。でも、足音が近い。



息を切らしながら、男が横断歩道に駆け込んでくる。


私は振り返らずに、そのまま早足で歩いた。


すぐ横に追いつかれる。



「すみません」



横に並ばれると、逃げにくくなる。この距離が一番厄介だ。


私はようやく足を止めた。



男は少し息を整えてから、言う。



「話、少しだけいいですか」



私はすぐには答えない。


朝の空気だけが間にある。



「……なに」



つい、不貞腐れたような言い方になってしまった。


男は少し迷ってから言った。



「連絡、返ってこなかったので」



それかよ、と一瞬思う。はっきり言って、今はそれより別の問題の方が大きい。


私は男を見る。


制服。あどけない顔立ち。暗いバーでは気が付かなかった彼の年齢。


朝の横断歩道を歩いている意味。


全部が一気に繋がる。



「ねえ」



言葉が勝手に出た。



「もしかして高校生?」



男は一瞬だけ止まって、私を見る。



「はい。高3で、来年卒業です」



その一言で、空気が完全に変わる。


私は深く息を吐く。今すぐ頭を抱えて逃げ出したかった。



「はぁ………」



何かを言いたいのに、思いつかない。


怒りでも驚きでもなくて、単純に処理が追いつかない。


もう一度男を見る。制服がさっきよりずっと現実的な意味を持って見える。



「……まじでありえないんだけど」



静かに言った。


朝の街には似合わない声だと思う。


男は何も言わない。ただ、ちゃんと受け止めている顔をしている。


私は視線を外す。横断歩道の向こう側は普通の朝で、こっちだけが少しだけズレている。



逃げたはずなのに、逃げきれていない。



そして私は気づく。


この件、もう“なかったこと”にはできない。



信号はもう変わっているのに、まだ動けなかった。







公園のベンチで、私は隣に座る男を睨んだ。


男は何も言わない。謝るでも、言い訳するでもなく、ただ黙っている。


その沈黙が余計に面倒だった。



私は視線を外してから、もう一度だけ息を吐く。


怒りというより、整理できてない感じだった。



「……ねえ」



少し間を置いてから、低い声で言った。



「なんでホテル連れてったの?」



空気が少し重くなるのが分かる。


男はすぐに答えない。


考えているのか、言葉を選んでいるのか分からない間があった。



「それは……」



そこで一度止まる。



「酔ってたので」



思わず、「は?」と言いかけた。


私は小さく笑いそうになって、やめる。


笑える話じゃない。



「酔ってたら連れてっていいってこと?」



静かに、でもはっきりと聞いた。思っていたよりも強い声が出た。


男はすぐに否定しない。


代わりに少しだけ視線を落とす。



「そういうつもりじゃなくて」


「じゃなくて、なに」



言葉を被せる。大きくため息が出た。



また沈黙。



この感じが一番だるい。


責めたいわけでも、許したいわけでもないのに、会話だけが続いてしまうやつ。


男はやっと、小さく言う。



「……気づいたら、そうなってました」



その言い方で、余計に曖昧になる。


私は少しだけ目を細めた。



「気づいたら、ってさ。


便利な言葉だよね」



皮肉というより、疲れに近い。


通勤、通学の道から外れ、喧騒が遠くから聞こえてくる。


木の影が男の顔に落ちて、ゆらゆらと揺れていた。


男は黙ったまま俯いている。



「あんたさ、」



痺れを切らして口を開いた時だった。


ぽつりと、男が言った。



「……お母さんに、殺されそうになって家出たって」



言葉の意味が理解できなくて、身体が強張るのを感じた。



「は?」



思わず声が出る。焦りと、戸惑いが含まれていた。



「そんなこと話した?私が?」



男は小さく首を縦に振る。


見上げるような瞳に覗き込まれ、思わず私は目を逸らした。



「……はい。


それに、今は高認の勉強してるって。看護学校行くために」



私は一瞬、言葉を失う。



「……まじで私が言ったの?あんたに?」



男は少しだけ間を置いてから言う。



「……初めに『家が終わってた』って言ってて。それが気になって……


俺が結構、誘導して聞きました」



その言葉で、深いため息が出る。



「……あんたさあ」



言葉が途切れる。呆れと疲れが混ざった声だった。



「で、それがホテル連れてったのと何の関係があるわけ」



男はすぐには答えない。


少しだけ、呼吸を整えるみたいな間があった。



「……逃したくないと思いました」



少し明るいグレーアッシュの瞳が、木漏れ日を受けて光った。


一瞬、目が離せなくなる。



「俺も、家が終わってて。逃げるために勉強してるから」



そう言って彼は項垂れるように顔を下げた。



「すごいなって、思って」



目が合う。その瞬間、私は息が止まった。



「っは」



小さく笑いが漏れる。でもそれは笑いというより、呆れに近い。



「なにそれ」



溢れる感情を払うように、軽く頭を振る。


(最悪だな、この会話)



足元に視線をやる。


葉の形でゆらめく影と、太陽の光で輝く砂粒がやけに美しい。


私は逡巡して、何度か開いた口を閉じた。


顔を上げ、彼を見る。



「明高でしょ」



男が一瞬止まる。



「……わかるんですか?」



私は軽く制服を顎で差した。



「有名だもん。頭いいって」



男は自分の制服を一瞬見て、私に視線を向けた。


私は腹の底から長くて深いため息をつく。



「私に勉強教えてよ」


「え……」



戸惑いを含んだ顔で、男が固まる。


私は彼をまっすぐ見つめて、もう一度言った。



「悪いと思ってんなら教えて」



私は真剣な顔をふっと崩し、少しだけ笑った。



「ま、不同意性交罪か未成年わいせつかどっち適用されんのか知らないけど」



男の顔が一気に固まる。



「……いいんですか?


俺……もう、縁切られるかと」



思わず、何言ってんだコイツという顔をしてしまった。


彼は気まずそうに目を逸らす。



「切ろうと思えば切れるけど」



冷たくいうと、彼はわかりやすく慌てた。


もつれる口を大きく開いて言う。



「すみません!勉強教えます!


だから連絡返してください!」



あまりの必死さに、自然と笑みが溢れるのがわかった。


彼を見る。美しく整った顔は、何を考えているのかあまり読めない。



ただなんとなく、この縁は長く続くだろうなと他人事のように思った。





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