第十二話 ストーキングの先に
千葉駅で総武線快速列車に乗り換え、いくつかの駅を通過した。やはり千葉駅以北と以南では利用客の数も、その年齢層も大きく異なる。大学生はあまりおらず、中年夫婦や中高生が多い印象で、学生街というよりもどちらかといえばベッドタウンのニュアンスが強い街が多いのかもしれない。
洋平と葛西の二人は相変わらず落ち着いた様子で話し込んでいて、ときおり洋平がパソコンを開いては、葛西が何か隣から言うようなそんなシーンが目立った。
「何の話してんだろ」
「ミスコンの話じゃない?」
「休みの日にも? どんだけミスコン好きなのよ」
「洋平さんはかなりミスコン好きだと思うよ」
木ノ葉は口を尖らせて、ぷいと正面を向いてふて寝をする。かと思いきや、数秒後にはパッと目を開いてはじっと二人を観察する。先ほどからどうも落ち着つきのない木ノ葉はずっとこの調子である。
「でも、カップルだったらもう少しイチャイチャするんじゃないの?」
僕はそういう。
「電車で?」
「まあ、それもそうか」
二人の距離はかなり近い。それでも、それがお互いの親密性から来るものなのか、真剣に話し込んでいるからなのか、判断はつかない。
それに、僕はだんだん飽きてきた。今はもう姉ヶ崎という、よく分からない駅まで来てしまっていて、マップで確認すると千葉からはずいぶんと離れている。帰ることも考えると、そろそろ洋平と葛西には降りてもらいたいところである。
いくつかの駅を通過したが、変わり映えのない景色がずっと続いている。田舎特有のゆく分からないテナントばかりが入ったちょっとしたショッピングモールがあり、それ以外は低層のアパートメントや住宅ばかり。大きなビルもなければ、目を引くような施設も特にない。こういった場所にはいったいどんな人が住んでいるのだろうかと考えるが、僕には想像もつかなかった。
そう思っていると、木ノ葉が僕の肩をバシバシ叩いた。
「見て、降りるよ」
見てみると、ちょうど洋平がパソコンをリュックにしまうところだった。次の停車駅を見てみると、電光掲示板には「木更津」と書いてあった。「アウトレットか」と僕と木ノ葉は顔を見合わせた。木更津にはアウトレット以外のものは存在しない。
二人が降りたのを見て、僕たちも少し遅れて下車した。僕はアウトレットに行ったことはないが、確かに大学生であればデートの定番スポットだろう。
デート。やはり二人は付き合っているのだろうか? 何でもいいから、早く帰りたい。
我々を含め、多くの乗客は木更津駅で下車した。改札を出て、階段を下った先には大きなロータリーがあった。バス停がいくつも並んでいて、彼らはそのうち一つに並んだ。僕たちは階段を降りてすぐのところで待ち構えていた。
「どうする? 帰る?」
僕はそいう言う。行き先も分かったところで、もう満足していた。
「今帰っても分からないでしょ」
木ノ葉は食い下がるつもりはないようである。
「え、でももう分かったでしょ」
「分かったって?」
「付き合ってるんじゃないの? ただの友達とアウトレットなんて来る?」
「それは何を買うかにもよるでしょ。友達の誕生日プレゼントとかだったらあり得るもん」
「いや、あり得るけどさ」
僕は肩をすくめた。決定的な証拠を捕まえるまでは木ノ葉は追跡を続けるようである。もしくは、洋平と葛西が付き合っていないと信じたいだけなのかもしれない。一体何がどうなれば決定的な証拠となりうるのか、僕は考えた。何を買ってもカップルのように思えるだろうし、何を買っても友人のようにも見える。要するに、このストーキング行為からはこれ以上得られるものはない。
その時、アウトレット行きのバスが、ロータリーに侵入してきた。そして、洋平が並んでいるバス停とは別のバス停に停まり、客を収容すると走り去っていった。
僕たちはそれを見て、口をあんぐりと開けたまま言葉を失った。
「え、アウトレットじゃないってこと?」
僕はそう言う。
「何、もう意味わかんないんだけど、どこ行くの? もう怖くなってきたんだけど」
そうこうしているうちに、もう一台のバスがやってきて、洋平たちがまつバス停に停まった。バスの扉が大きな音を立てて開くと、側面に記載されている途中の停車駅をしっかりと確認し、乗り込んでいった。
「どうする? バスはさすがにバレない?」
「いや、もうここまで来たらバレてもいいよ。行けるとこまで行こう」
僕たちは走ってバスに向かった。もう行き先は見たことも聞いたこともない場所だ。
洋平はバスに乗ると一番後ろの席に座ったので、僕たちはバスの前方の一人掛けの席に分かれて座った。他には客が三人ほどしかおらず、ガラガラだ。僕が意識を後ろに集中しながら前を見て座っていると、木ノ葉からメッセージが届いた。
『バックミラーでバレるから下見てて』
一番後ろの席からバックミラーに反射した僕を認識できるとは思えなかったが、
『確かに』
と送った。
『ここどこ?』と木ノ葉。
『知らない』
『まじで実家行くんじゃない?』
『かもね』
木ノ葉からは、口から魂が抜けている猫のスタンプが送られてきた。
ゆっくりとバスがまた動き始める。僕は今からどこへ向かうというのだろうか。揺られながら、遠のいてゆく木更津駅を目で追って、だんだんやるせない思いが募っていった。
しばらくは大きな幹線道路を進んでいた。さらにしばらくすると、右手に海が見え始めた。
『海だ!』
木ノ葉からメッセージが届くが、だからどうだというのか。僕は返信をせずに、じっと窓の外を見ていた。
南国をイメージしているのか、海沿いにはヤシの木が一定間隔で植えられていた。その高さはバスの窓から覗いてみても一番上までは見えないほどだった。周りを走っている車も、有名なスポーツカーやオープンカーが目立つようになってきた。そう言えば別荘地帯がこの辺にあると聞いたとこがある。
木更津駅から数えて、八つ目の停留所に着くと、洋平とその女性は立ち上がった。
『どうする?』
『行く』
バスを降りてすぐに右に向かって歩き始めた洋平を、二十メートルくらいの距離を保った状態で追いかけた。歩いている人はほとんどおらず、道もかなり開けているため、見つかってしまえばひとたまりもないだろう。見失う危険もなかったため、僕たちは少しの間立ち止まり、さらに遠くから追いかけることにした。
そして突然、二人は立ち止まり、くるっと踵を返してこちらに向かい始めた。
「やば」
と、木ノ葉はすぐに立ち止まる。
「止まったら変だよ」
と僕は言う。
「どうする?」
どこか逃げれるような場所を探すが、見当たらない。一本道で路地のようなものもなければ、身を隠せるような場所もない。すぐ隣に茂みはあるが、突然目の前の二人が茂みに飛び込めば、彼らの注目を引いてしまう。
そんななか、ちょうど僕たちと彼らの中間地点か、少しこちら寄りに横断歩道があることに気が付いた。
「信号渡ろう」
「え、間に合う?」
青信号はすでに点滅していた。
「走れ!」
僕たちは急いで横断歩道へ向かった。二人はこちらを見ているが、まだ距離がかなりあるため顔までは判別つかないだろう。
しかし、寸前に信号が赤に変わってしまい、足止めを食らった。そうこうしているうちにも、洋平と葛西はスマホを見ながらこちらへ歩いてくるのが横目に見えていた。
「どうする? 突っ切る?」
木ノ葉は少し震えた声で言った。しかし、目の前にはトラックや乗用車が行きかっている。
「死ぬ気?」
「でも、バレるよ」
「言い訳を考えておきな」
「私が?」
彼らはもうすぐそこまで来ていたので、僕は木ノ葉に返事はしないで反対側を向いた。もしもこれで洋平たちも信号を渡るのであれば、それこそ一巻の終わりである。
僕はじっと息を殺し、背中に神経を集中させた。
二人の足音が少しづつ大きくなってくる。二人の会話が徐々にはっきりと僕の耳にも届くようになってきて、じっとりと脇に汗をかき始めた。
「え、でも、いや、ようわからんわこの地図。ほんまにこっち?」
「そうですって、だって海がこっちなのにコンビニがこっちなわけないじゃないですか」
「ほんまか? ちゃうかったら首くくってもらうで?」
「合ってたら首くくってくださいね」
「手首ならくくってもええで」
「それはただのブレスレットじゃ・・・」
二人は僕たちの後ろを通り過ぎてゆき、話し声は少しずつ小さくなってゆく。二人は来た道を戻って行った。ただ道を間違えただけのようであった。
しばらく二人の後姿を横目におっていき、十分な距離が空いたところで木ノ葉はぶはっと息を吐いた。僕も大きく息を吐き、強く鼓動を打つ心臓に手を当てた。少し寿命が縮んだ気がする。
「あぶなかったあ」
見てみると、木ノ葉の目には少しだけ涙が浮かんでいた。
「なに、泣いてんの?」
「泣いてない」
木ノ葉は僕の目を見ない。
「泣くようなところか?」
僕がそう言うと、木ノ葉は目の端に涙を湛えながら言った。
「だって、今もし見つかってたら、確実に私はやばい女だって洋平さんの中で認定されるわけでしょ? そうなったらもう私にはどうしようもなかったじゃん。本当に、死ぬほど緊張したし、だから、それで、その、安心したら涙が出てきて、ごめん。それに、なんか仲良さそうな感じと言うか、洋平さん、私といる時あんなリラックスした感じじゃないから、それで、ちょっと嫌な気持ち」
安心と悔しい気持ちが同時に押し寄せた結果、木ノ葉の脳はエラーを起こして涙が流れた、ということだろうか。よく分からないが、きっと女の子というのはそういう生き物なのだ。
それにしても、僕が想像していたよりもずっと、ずっと木ノ葉は洋平のことが好きなのだった。
「なんか、ごめん」
僕は謝る。
「何が?」
「いや、なんて言うか、そんなに木ノ葉が洋平さんのこと好きだと思ってなかったというか、いや、分かってはいたけど、あんまり真剣に考えてなかったというか、どこか面白半分でここまで付いてきた節があった」
「なにそれ、急に?」
「急か、確かに急だったかも。ごめん」
「あはは。変なの」と木ノ葉は笑う。「なんだ、てっぺーもいい奴じゃん」
「僕はいい奴じゃないよ」
僕がそう言うと、木ノ葉は車から降りたときみたいに大きく伸びをした。
「どうする? 帰る? 追いかける?」
僕は木ノ葉に尋ねる。帰りたいと思っていたけれど、ここまで来たら木ノ葉の意向に合わせるつもりだ。
「まあ、ここまで来たし、せっかくなら最後まで見届けたい」
「そうか。まあ、いいけれど」
僕たちはまた洋平の後ろを付いて歩いた。
また、ストーキングが始まる。ストーキングをしているということを除けば、海から吹く風を左の頬に感じながら歩くのは悪いものではなかった。ちょっとした小旅行に来たような非日常感が新鮮だった。
「それにしても、本当にどこに向かってるんだろうね」
落ち着きを取り戻したのか、木ノ葉はいつもと変わらない調子で言う。
「何だろうね。もう早くしてほしいね」
「ね」
木ノ葉は笑った。
しばらく歩くと、海岸線から道路を挟んで反対側、さらに一本内側に入ったところの小道に二人は入っていった。車が一台何とか通れるくらいの幅しかない、一方通行の小さな道である。両脇には海側には防風林が経っていて、左側は、工場で働く人のための駐車場がある。土日ということもあり、駐車場には車が一台も停まっていない。
僕たちは距離を一定に保ったまま歩き続けた。さらにしばらく歩いてゆくと、防風林が途切れ、海が開け、旅館が目の前に現れた。
バブルの時代に立てられたであろう、その旅館の外観は何度か修繕工事が行われているであろうという具合には小綺麗に見えているが、建物そのもののデザインや、色使いが年季を感じるものだった。
洋平とその女性は楽しそうに話しながらその旅館の中に入っていった。
木ノ葉は遠くでそれを見たまま立ち尽くしてしまった。
理由は言うまでもない。
「帰ろっか」
しばらくすると、木ノ葉はそう言った。




