魔王の夜想
夜が更けていた。
天蓋付きの重厚な寝台に腰かけ、魔王は深々とため息をつく。部屋には灯りが一つ、小さく揺れるランプの明かりがあるだけで、空気は静かで冷たい。
玉座の間での再会から、まだ数時間しか経っていない。
だが、心のざわつきは一向に収まらなかった。
「……ふむ」
ふと、口から漏れた独り言は、自嘲気味に笑みを含んでいた。
「やっぱり、変わっておったな。……スゥちゃん」
長い睫毛に、潤んだ瞳。いつもどこか人と距離を置いていた、我が愛しき娘。
幼い頃からそうだった。他の魔族の子らがわいわいと騒ぐ中、スゥだけは離れた場所で本を読んでいたり、一人で花を摘んでいたり。無理に人と関わろうとせず、ただ静かに、自分の時間を大事にする子だった。
――心を許した相手など、ほとんどいなかったはずだ。
それが、あの謁見の間ではどうだ?
「……服の裾を、ずっと掴んでおったな」
見逃してはいない。ずっと、見ていた。
スゥが、ユーリという男の服を、離そうとせず握りしめていたのだ。
まるで、それが唯一の拠り所かのように。
「あんな甘えた顔……見たことがない。……いや、儂にも、あんな顔は……」
思わず、布団の端をぎゅっと握り締める。
「あの男……いっそ、殺してしまえば……」
口をついて出たのは、感情そのままの言葉だった。理性も王としての責務もない、ただの一人の父親の本音。
「ふふ……あのとき、すぐに斬りかかっていれば……よかったかもしれんのぅ」
魔王は顔を覆い、天井を仰いだ。
「だが、それでは……スゥちゃんに嫌われる。間違いなく、泣く。罵られる。もう二度と口もきいてもらえん」
それだけは、耐えられない。
この世の全てを敵に回してもいい。だが、スゥにだけは、嫌われたくない。
「それに、戦争も……終わらん。……また血が流れる」
魔王は両手で頭を抱えた。
「このまま、戦を続ければ、またスゥちゃんのような子が命を落とす……いや、それすら叶わず、失われるだけかもしれん」
暗闇の中で、揺れる灯りが小さく瞬く。
「……じゃが……」
魔王の瞳が、一瞬鋭く光る。
「いっそ、このまま王国を攻め滅ぼしてしまえば……? すべて終わらせて、スゥちゃんを儂のもとに引き戻す。あの男も排除し、儂だけがスゥちゃんの隣にいれば……」
妄想のように浮かんだその考えに、口元が一瞬だけ綻ぶ。
だがすぐに、かぶりを振る。
「……それも……駄目じゃな」
やはり、叶わぬ願い。
スゥは、もうあの頃の子どもではない。優しく強く、そして……自分の意思を持った一人の娘だ。
「儂のものでは、もう……ないのかもしれん」
まるで、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚が、静かに襲ってくる。
「……儂は、王じゃ。父じゃ。……なのに、なんと情けない」
頭を抱えながら、魔王はひとりつぶやいた。
だが、それでも――
「……スゥちゃんが……幸せなら、それでいい。……そう思えれば、どれほど楽だろうな……」
真夜中の吐息は、まるで重たい呪いのようだった。
そして、眠れぬまま夜は更けていく。
魔王の孤独な夜は、娘への愛しさと、決して晴れぬ葛藤に包まれて――静かに、長く、続いていった。




