秘密とおやつと春の風
王城での謁見が終わったその翌朝、王都には珍しくやわらかな風が吹いていた。
王への報告、書状の手配、各地への連絡――すべてを終え、ユーリはようやく一息ついていた。だが、気が抜けるどころか、その分心がふわりと軽くなることもなく、代わりに何か温かく、形のないものが胸に広がっていた。
(……スゥが、自分から話してくれた)
魔族の姫であることを、記憶を失っていたことを、あの場所で――王の前で。
あの言葉に、嘘はなかった。むしろ、震えながらも懸命に声を絞り出すその姿が、誰よりも真実を物語っていた。
「……って、聞いてるの?」
「ん。ああ、すまない」
気がつくと、目の前でリディアが不機嫌そうに頬を膨らませていた。金髪が陽を弾き、通りの光景に溶け込むように美しい。
「まったく。あたしが提案したのよ? たまにはリラックスしたっていいでしょ」
「そ、そうですよ。兄様、近頃ずっと難しい顔ばかりで……お身体に悪いです」
アリアが言葉を添えると、スゥも隣でこくりと小さくうなずいた。
「……おやつ、大事。……気分転換、する」
そして、三人の視線が重なり、ユーリを挟むように腕を取ってくる。
「というわけで、今日は私たち三人が案内するわ。王都の甘味処をね!」
「兄様には、今日くらい……お姫様気分で甘えていただきたいです」
「……あまあま、いっぱい」
ユーリは苦笑しながらも、その流れに身を任せることにした。
最初に訪れたのは、城下町の中央通りにある老舗の焼き菓子店『セイレン堂』だった。ここは王都の貴族にも人気の場所で、素材にこだわった菓子が並ぶ。
「うわっ、すっごくいい香り……」
リディアがショーケースの前で目を輝かせ、アリアが上品に焼き菓子を吟味する一方で、スゥはじっと棚の奥にあった紫芋のタルトを見つめていた。
「……これ、きれい」
「それが気になるのか?」
ユーリが問いかけると、スゥはほんの少しだけ視線を上げて、小さく頷いた。
「……紫色、好き。……なんか、落ち着く」
その横顔を見て、ユーリはふと気づく。スゥの髪も瞳も、紫がかった色だ。そして、それは彼女の中にずっとあった、忘れられない色なのかもしれない。
タルトをひとつ注文し、四人は店の外にある木陰のテラス席で向かい合って腰掛けた。
甘い香りと、春のやさしい風。柔らかな時間が、少しずつ過ぎていく。
スゥはタルトを一口かじり、目を細めた。まるで、ほんの一瞬だけ少女に戻ったかのように。
「……おいしい」
その言葉に、リディアとアリアもつられて笑う。
「ここのフィナンシェも美味しいのよ? スゥも食べてみなさい!」
「え、えっと、兄様……よければ半分、いかがですか……?」
(……こんな時間が、ずっと続けばいい)
ほんのひとときでも、スゥが笑えている。それだけで、今は十分だった。
次に向かったのは、王都の北側にある小さな路地裏のクレープ屋。庶民的ながら評判がよく、地元の子どもたちに人気の名店だ。
「これこれ、この生クリームたっぷりのやつ! あたし、これ食べたかったの!」
「ちょ、姉様! こぼれます、こぼれますっ」
アリアが慌てて手を貸し、ユーリが受け皿を差し出す。
そんな様子を、スゥは一歩後ろで見つめていた。
ふと、彼女の視線が、ユーリの横顔に向けられた。
そして、小さな声で、ぽつりと呟いた。
「……ねぇ、ユーリ」
「ん? どうした?」
「……私、話したいことが……あるの」
静かな語調。だが、それは明らかに、今までとは違う重みを持っていた。
ユーリは自然と足を止め、リディアとアリアも気づいて振り返る。
「……なに? スゥ?」
スゥは、二人に向き直る。そして、そっと胸に手を置き、言葉を選びながら、慎重に、けれどはっきりと話し始めた。
「……私……思い出したの。少しずつ、全部」
春風が吹き抜ける。花びらが舞う中で、スゥの髪がゆらりと揺れた。
「……私ね、魔族の、王女だったの。……魔王の娘」
しばらく、沈黙が落ちた。
リディアが何かを言おうとしたが、すぐにアリアが手で止める。そして彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「……そう、だったのですね」
「……それで……色々、わかった。ユーリが……私を助けてくれた理由も」
スゥの声は小さいが、まっすぐだった。震えていない。ただ、彼女の本心を、静かに伝えようとするだけの声。
「……怖くない、かな。私が、魔族って」
リディアが、鼻を鳴らした。
「なによ、そんなの今さら関係ある? あたしが知ってるのは、スゥがスゥってことだけよ」
「兄様も、私も、そう思っています。大切なのは、心です。血ではありません」
「……うん」
スゥは、涙をこぼしそうになるのを必死に堪えながら、それでも笑った。
それは今までのどんな笑顔よりも、自然で、やさしい笑みだった。
「……ありがとう」
甘味巡りの最後は、小高い丘の上にある茶屋。王都の街並みを一望できる絶景のスポットだ。
日が傾き始めた空の下、四人は縁側に座って並んだ。
「……不思議だな」
スゥがぽつりと呟く。
「今まで、思い出すのが怖かった。でも……今は、全部思い出してよかったって……思える」
ユーリは彼女の手をそっと握った。
「……これからは、一緒に進めばいい」
「……うん」
この日の夕暮れは、ほんの少しだけ、色が濃かった。
それは、過去の痛みも、未来への不安も包み込むような、やさしい春の色だった。
――そして、返信が届くまでは、あと数日。
戦いの幕が開く前の、静かな幸福の時間だった。




